のんきいきいき So(走) Happy! -櫻庭健一の日記-

いつも笑顔と感謝を忘れずに
甘っちょろいと言われても希望を捨てず生きる
過去の少しの試練はそれで乗り越えたのだから

東日本大震災、三年後の思い。

2014年03月11日 12時42分10秒 | Weblog
>私、夢見生のHP本舗“裕遊字的(ゆうゆうじてき)(http://ikiru.jp/)”内、今日の字遊航海
#平成23年3月11日14時46分18秒、巨大地震発生。東日本大震災から今日で三年。

祈る。
あの日、僕は無力だった。
あのとき。
休暇を取って、家族旅行で訪れたホテル、チェックイン時のロビー。
西方面への旅行。
ロビーがホテルの中でもっとも安全で情報が集まる場所であることはいうまでもない。
発生があと一時間早かったら止まった列車の中で缶詰めになっていただろう。
つまり僕は奇跡的に超ラッキーだった。

交通機関は麻痺。
つまり、すぐ家に戻るという選択肢は無かった。
やむなく予定通りホテルに二泊して、ただ動かずそこで過ごした。
大変な思いをしている人がたくさんいる。
そこで自分だけのんびり温泉に浸かる。
温泉に浸かるのに罪悪感を抱く。
初めての経験だったな。

食い入るようにテレビを見つめた。
刻々と増える犠牲者の情報。
原発の爆発。
そして僕は何もできなかった。

何もできない。
自分の身を守るだけで精一杯。
多くの人が味わった思いの中に僕は居た。

白状しよう。
罪悪感を持ちながらも。
旅行を、温泉を。
楽しんでいる自分が居た。
あれは自分とは別世界で起こっていること。
そんな感覚で。
一種の現実逃避だったのかもしれない。
今さら当時のそんな自分を責めても仕方の無いこと。

家に戻ると。
けっこう大変なことになっていた。
食器棚のガラスが割れて下に落ちていた。
テレビの上の前年に98歳で亡くなったばかりのおばあちゃんの写真立てが倒れていた。
ああ、おばあちゃんが僕らを守ってくれたのだね。
心からそう思った。

直接の知り合いに犠牲者や行方不明者はいなかった。
それも自分の中での人ごと感を増幅させたのかもしれない。
私がやったこと。
微額の寄付。
半年後の被災地への旅行。
それくらいだ。

無力感を持って。
その自分とも向き合って。
やるべきことをやる。
自分ができることをやる。
自分しかできないことをやる。
直接、被災地、被災者に届く行動でなくても。
物事は廻り廻る。
懸命に生きれば。
自分のためだけでなく、人のことを考えて誠実に生きれば。
それは届くと信じる。

今日できること。
祈ること。
14時46分。
手を合わせる、祈る。
微力かもしれないけれど。
私にできることを考える。
そんな今日の過ごし方です。