のんきいきいき So(走) Happy! -櫻庭健一の日記-

いつも笑顔と感謝を忘れずに
甘っちょろいと言われても希望を捨てず生きる
過去の少しの試練はそれで乗り越えたのだから

高校野球はEテレで?

2011年08月16日 22時10分00秒 | Weblog
高校野球の中継がのびた。
「高校野球はこのあと6時からはEテレでお伝えします」
そんなことをNHKのアナウンサーがのたもうた。
母が「もう見られないんだね」と。
私がその場にいなかったら、
母はもう見られないと観念して視聴を中止したことだろう。

私が特別頭が良い訳ではない。
母が特別馬鹿な訳でもない。
わからない方もいらっしゃると思うので説明する。
Eテレとはつい最近までNHK教育テレビと呼ばれていたチャンネルである。
NHKの方針により名称変更となった。

教育テレビからEテレへの名称変更はNHKによると
「より親しみを持っていただくため」
らしいんですがね。
EテレのEはEducationalの略だという。
Educationが教育だから、つまりは教育を英語に直訳だ。
「教育」と「Educational」どっちがわかりやすいか。
特に私の母も含めの高齢者。
親しみを持ってもらうという目的なのに、
これでは本末転倒ではないかな。

再度の名称変更がさらなる困難を招くというのはわかる。
でも教育テレビに戻すなら今のタイミングがギリギリ最後ではないかな。
デジタル放送への移行は、
リモコンのボタンが増えてわかりづらくなっただけ。
私の両親の評価はそんなところだと思う。
たかがテレビを見るために操作がわからなくなって息子を呼ぶ。
それが健全であるわけがない。
Eテレへの名称変更はデジタル放送完全移行とリンクしている。
そう考えるのが妥当だと思う。
何かをきっかけになんでも新しいものに変えることがよいってものではないだろう。

あくまで個人的な意見だが、
やはり名称は教育テレビに戻すべきだと思う。
話は飛躍するがあくまで仮定のお話として、
奈良の大仏を親しみやすい名称といって
「THE DAIBUTSU」
にするくらい無理のある名称変更ではないかな。

もちろん横文字にした方がわかりやすいものもある。
わかりやすい例なら、この「テレビ」って名称もそう。
完全に日本語化した言葉を無理して日本語名称にすれば、
逆にわかりにくくなるよね。

すべての名称変更を否定するほど頭の堅い人間ではない。
響きが今風というだけで前よりわかりにくくなる名称変更はおかしい。
今からでも遅くはない。
「Eテレ」は「教育テレビ」に戻すべき。
こう主張する私はやはり頭の堅い人間なのだろうか。

その直感は正しいか

2011年08月15日 23時59分00秒 | Weblog
>昨日のニュースより
#広島県廿日市市宮島町にある世界遺産・厳島神社で14日、恒例の夏の風物詩「宮島水中花火大会」が開かれた。海上に浮かぶように立つ大鳥居のシルエットが花火の光で照らし出され、訪れた観光客らが美しさに酔いしれた。(MSN産経ニュースより)

「宮島水中花火大会」
Webの見出しを見て思わず突っ込みを入れた。
「水中じゃなくて水上でしょ」と。
よく見たら「水中」で正しかったのね。
「沖合の船から水中に投げ込まれた約200発」
だそうな。
写真を見たらちゃんと水面から火花が上がっているわけ。

「直感で動け」とはよく言う。
私もよく使うフレーズだ。
直感は間違えることもある。
この件で私は間違えた。
だから今日は「直感で動け」とは言わない、言えない。

みんな笑顔、みんな幸福。

2011年08月14日 05時08分14秒 | Weblog
いやー、飛ばしたねえ。
全開です。
某所にて。
笑いを取るために命かけたよ。
笑われることはまったく苦にならない。
むしろ快感。

俺、ドM?
いやいや・・・(苦笑)

マジな話。
笑われるっていうと聞こえは悪いかもしれないけれど、
自分が笑われるってことは、
誰かを笑顔にできたということ。
自分が誰かに笑顔をあげられた。
素敵なことじゃないですか。

笑いは世界を救う。
笑いながら戦争はしない。
笑顔のあるところに平和あり。
笑顔のあるところに幸福ありだ。

どうやったら笑いを取れるか。
考えることは頭を使う。
脳トレのゲームより有効でしょ。
政治家に馬鹿は多いが、コメディアンに馬鹿はいない。
チャールズ・チャップリンは天才であった。
欽ちゃんこと萩本欽一さんしかりである。
本気で笑われようと思ったら、
それは物凄くエネルギーを使うことだ。
泣くことよりエネルギーを使うと思うよ。

笑われて幸せ。
皆の笑顔を見られて幸せ。
皆も幸せ。
私も幸せ。
いいことずくめじゃないですか!
そしてまた私は笑われる努力を続ける。

なぜ怒る?

2011年08月13日 05時55分05秒 | Weblog
スーパーでお買い物。
凄い人に遭遇してしまった。

レジで私の前の前に並んでいる男性。
推定年齢、私と同じくらい。
取り立てて特徴があるわけでもないごく普通の男性。

女性店員:「ビニール袋はお使いになりますか?」
その男性:「ボケ!要らんに決まっているだろ!馬鹿野郎!」

突然、物凄い剣幕。
店員さんの名誉のためにいうと、
店員さんの口調は決して怒りを誘うものではなく、
むしろ誠実さを感じさせるものだった。

その後1分。
クレーマーというしかない調子、発言内容で店員さんに詰め寄る。
店員さん、なんで怒られているのか、なんで謝っているのかわからなかっただろうな。

周囲3メートル、どん引き。
助け船を出そうとも思ったが、
そうすると事態が余計ややこしくなる雰囲気と申しましょうか。

さっそく現場責任者っぽい人が飛んできた。
その途端逃げるように、
「もういい!馬鹿野郎!」
もう一度馬鹿野郎の捨て台詞と共に去って行った。

なんだったんだろ、あの人。
頭に「ヤ」のつく自由業っぽい人でもなかった。
家で嫌なことでもあったかな。

妄想台風、夢見生。
即座にこの男性がここに至る3通りのシナリオが浮かんだが、
皆さん聞きたくもないでしょうから、
作品発表はやめときます。

戦争。死を賛美するなかれ。

2011年08月12日 23時36分04秒 | Weblog
日本テレビ、金曜ロードショー。
監督:クリント・イーストウッド
映画「硫黄島からの手紙」
観ました。

この映画を観る機会は結構多い。
理由は私のことをよく知る人ならご存じかと。

戦争。
嫌いである。
戦争による死を美化すること。
同じく嫌いである。

戦死も尊い命を失うことのひとつ。
その意味でその死を否定するものではない。
愛する人を、国を、守るためって、
死んでいった人の気持ちを否定する気もない。
でもさ。
死の瞬間って、本質として、
泥臭くて格好悪いものだと思う。
美しい戦死体ってあります?

最終的にその戦争に勝った国が、
その戦争(戦勝)を正当化する。
大まかにいって負けた方より人をたくさん殺したから勝った。
たくさん殺した方が正しい。
不条理そのものだ。

硫黄島。
例外ではなく、日米双方、たくさんの尊い命が失われた。

映画「硫黄島からの手紙」
私が評価したいのはこの映画が、
「最後に死で終わる」映画じゃないってこと。

過去、歴史をひもといて、
終わらなかった戦争は存在しない。
今起きている「終わりがない」と思える戦争だって、
長い歴史的観点からいえば、
いつかは終わる。

人間は「悲惨を終わらせる能力」をもっている。
私はそう信じたいのである。

5ヶ月後の現実。それでも生きるということ。

2011年08月11日 23時43分00秒 | Weblog
>私、夢見生のHP本舗“裕遊字的(ゆうゆうじてき)(http://ikiru.jp/)”内、今日の字遊航海
#東日本大震災から5カ月たった11日夜、犠牲者追悼と被災地復興の願いを込めた花火大会「ライトアップニッポン」が岩手、宮城、福島3県の10市町で一斉に開かれ、計約2万発が打ち上げられた。(毎日jpより)

あれから5ヶ月。
時が止まったままの人たちもいる。

安易にただがんばれと言うこともできない。
でも今日は8月11日だ、3月11日じゃない。
時間は確実に流れている。

私は被災者じゃない。
その気持ちは推し量ることしかできない。
でもどんなに辛かろうと今生きている人間は生きていくしかない。
その現実は知っている。

人間が必ず向き合わなければならない現実ふたつ。
人はいつか必ず死ぬということ。
人はいつか死ぬ日までは必ず生きなければならないということ。

死からは逃れられない。
そして生からも逃れられない。

午前0時を過ぎれば、
等しく明日はやってくる。

がんばろう、ニッポン!

ただいま~~

2011年08月10日 22時18分01秒 | Weblog
一泊二日。
旅行から帰還しました。
神戸へ旅行。
有馬温泉泊でした。

神戸には「会ったことのない知り合い」が住んでいるのですが、
(ネット上の知り合いということね)
残念ながら欠礼しました。
会いたかったですけどね。
一昨日の深夜に決めて昨日の朝出発。
ほとんど行き当たりばったりの旅だったので、
当日突然連絡して予定を狂わせたら悪いと思って。

楽しかったですよ。
出発してから宿を決めるというのはスリリング~!
想定外もあったけれど、
計画なしだからこそのラッキーもあったし。

いい気分転換、リフレッシュになりました。
明日からまた、頑張るぞー!

♪いい湯だなっ!

2011年08月09日 22時09分02秒 | Weblog
かなり西の方に来ています。
(JR西日本管轄内)
甥っ子と温泉旅行。
一泊二日の慌ただしい旅ですが、それなりにのんびりと楽しんでいます。
突然決まった旅で昨日の今頃は旅行のりの字もなかったのですよ。
宿を押さえたのは今日の行きの新幹線の中。
無計画、行き当たりばったりの旅であります。
さ、早く寝て早く起きて、朝風呂朝風呂っと。

頑張れ石川遼。これよりテレビ生観戦。

2011年08月08日 04時46分02秒 | Weblog
これより男子ゴルフ。
世界選手権シリーズ、ブリヂストン招待
最終ラウンド。
テレビ生観戦であります。

3日目首位と1打差11アンダーでホールアウトの
石川遼選手応援のためです。
この若者はただものじゃない。
ゴルフもそうだがその人格。
ゴルフに対する真摯な姿勢。
それだけならプロゴルファーとしてあたりまえだが、
あれだけちやほやされているのに常に謙虚。
私よりだいぶ若いけれど尊敬していますよ。

最近までね。
いやーなジンクスができあがりつつあったんですよ。
私がテレビ生観戦すると、
応援する人(またはチーム)が勝てないという。
そのジンクスはおかげさまでなでしこジャパンに
吹き飛ばして頂きました。

NHK BS-1、午前5時から生中継。
ただ今の時刻、午前4時45分。
さ、準備万端。
気合い入れて応援観戦します。

ファブリーズは飲み物なの?

2011年08月07日 11時49分16秒 | Weblog
ファブリーズを買った。
正確には詰め替えパックだ。
その裏に書いてあった注意書きに仰天した。

これは、飲み物ではありません。

え?!?!?!
これってわざわざ書くべきことなの?
ファブリーズを主に飲用に使用する。
指摘されるまでそれをやめなかった。
そんな人の話は聞いたことがないのだけれど・・・

深く考えた。
これを書かなきゃいけないってことは、
書かないと文句を言う人がいるということだろう。
メーカーにも同情するよ。

揚げ足を取ることだけ考えているとしか思えない言動をする人がいる。
「但し書きがない!間違って飲んだらどうするんだ!」
と言う(もしくは言いかねない)大の大人が世の中にはいるのだ。

百歩譲って、小さい子どもが間違って飲んだら、
という仮定ができるとしよう。
でもそれって保護者の責任でしょ。
メーカーに責任を求めることじゃない。
間違って飲むくらいの子どもは字を読めないし。

万歩譲って、誤飲の可能性があるとしよう。
それは一般常識、自己責任でしょう。
山で毒草を誤って摘んで食べて食中毒を起こしたとする。
「これは毒草です。食べられません。」
と草に書いていなかった。
って厚生労働省とかにクレームつける人、いる?
それくらいのことですよ。

そういう人は私のこのブログ記事を読んでも文句をつけるのだろうか。
そんなもん、怖かねぇやい。
かかってきなさい!(笑)

ショック!本屋騒動。

2011年08月06日 23時59分00秒 | Weblog
最寄りには少し大きめの本屋が2軒あった。
「2軒あった」
そう、過去形。
1軒が潰れてしまったのです。
最寄りの本屋が1軒になった。
本好きにとっては実に痛い。

うーん。
これは私の行動にも問題があった。
安易にamazonとかに頼りすぎていた。
自宅に居ながらにして、朝注文すれば基本当日中に届くというのは魅力だったからね。

今後は、ありそうな本、に関しては残った1軒の本屋に行くことにします。
この本屋が潰れることは避けたい。
実際に本の中身を見てから買えるというのは大きいもの。
本屋は電車で行くか、徒歩30分。
そういう事態は非常に困る。

本屋が衰退するのは時代のすう勢かもしれない。
本はネットで注文できるし、
今後電子書籍の流れも加速する。
黙っていたらみんな潰れる。
本屋さんはそれくらいの危機感を持ったほうがいいかも。
このまま同じ商売を同じように続けていては駄目。
何か生き残りを賭けた新たな方向性を考えなくてはならない。

本に関するノウハウは一朝一夕ではできないから、
何かそれを活かして、新しい商売ができないものかな。
それ具体的に何かと問われたら、今は思い浮かばないので、
「何を無責任な」と言われたら返す言葉がない。
それでも必ず何かある。
その道のプロが一生懸命考え続けて、
新しいアイディアが何も出てこないってことはないだろう。

本屋さんの未来を私は悲観しない。
真面目に正しい方向性の努力をし続けた者は多くの場合報われる。
何の場合でも同じである。

亡くなっても松田選手はすぐそばにいる。

2011年08月05日 06時02分01秒 | Weblog
>昨日のニュースより
#長野県松本市のグラウンドで2日に急性心筋梗塞(こうそく)で倒れた元サッカー日本代表DFの松田直樹選手(34)は4日午後1時過ぎ、入院中の松本市の信州大医学部付属病院で死亡した。(毎日jpより)

やりきれないニュース。
偉大なサッカー選手、松田直樹選手の死から一夜明けた。

死はどんな人、どんな場合でも人の心を暗くする。
と言いたいところだが、私の場合はちょっと違う。

死は身近なものだから、特別忌むべきことではない。
まったく悲しくならないかと言われればそれは違うけれど、
やっぱり身近な人を失ってどうしようもなく落ち込むことはない。

もちろんお葬式のときにへらへら笑うことはない。
でも決して暗くはならんのです。
親戚の葬式で、暗く沈んでばかりの葬式の記憶はない。

両親は青森県人同士の見合い結婚。
青森に親戚がたくさん。
横浜生まれ横浜育ちの私の本籍地もいまだに青森県。
青森は死を身近なものとしてとらえる風習がある気がする。

死者は生きている人のすぐ隣にいる。
そんな感覚。
幽霊とかそういう意味ではない。
お墓や仏壇に普通に話しかける感じ。

私の場合も、
去年亡くなったばかりのおばあちゃん、
亡くなって21年が過ぎたおじいちゃん、
すぐそばにいて、私を見守ってくれている。
そういう感覚があるのです。

死後の世界とか霊界とか。
具体的に死者がいる場所についての理屈は苦手。
死後の世界があるとすれば、
それは残された人の心の中にあるもの。
心の中にある限り、死者はこの世から消えることはない。
そういうことだと思う。

松田選手の突然の死は確かにショックだけれど、
松田選手は死してなお、
サッカー選手、サッカーファン、彼を思うすべての人のそばにいる。
特に人望の厚かった松田選手ならなおさらだ。
彼は彼を慕うみんなの心から消えることはない。
私はそう信じている。

心が痛む。松田直樹選手の死。

2011年08月04日 21時27分12秒 | Weblog
>私、夢見生のHP本舗“裕遊字的(ゆうゆうじてき)(http://ikiru.jp/)”内、今日の字遊航海
#長野県松本市のグラウンドで2日に急性心筋梗塞(こうそく)で倒れた元サッカー日本代表DFの松田直樹選手(34)は4日午後1時過ぎ、入院中の松本市の信州大医学部付属病院で死亡した。(毎日jpより)

所属はJFLの松本山雅FC
心臓の動きを戻す「AED」は当日の練習場に設置されていなかった。
クラブも所有していなかった。
J1、J2では練習時「AED」は用意されるというのに。

自ら選んだJFLという道。
たらればは禁止かもしれないが、
「もし・・・」
ともいいたくなる。

私はにわか代表ファンレベルのサッカーとの関わりだから、
松田選手のプレースタイル、人格、エピソードはよく知らない。
よって「知ったか」はできない。

でもさ。
わかるよ。
いろんなページやサッカー選手のブログを見たらさ。
ああ、この人、うわべの付き合いだけでなく、
本当に慕われていたんだなって。

心が痛む。
設備さえあれば避けられたかもしれない死。
心からご冥福をお祈りいたします。
合掌。

なでしこジャパンに国民栄誉賞。当たり前でない当たり前。

2011年08月03日 06時31分25秒 | Weblog
>私、夢見生のHP本舗“裕遊字的(ゆうゆうじてき)(http://ikiru.jp/)”内、今日の字遊航海
#枝野幸男官房長官は2日午前の記者会見で、サッカー女子ワールドカップ(W杯)で初優勝した日本代表「なでしこジャパン」に国民栄誉賞を授与すると正式に発表した。(MSN産経ニュースより)

至極当然だと思う。
政治利用と勘ぐる方が政治利用だよね。

そこには常に笑顔があった。
日本に元気、勇気、夢、希望をくれた。
最後まで決して諦めるな。
本気で信じ続ければ夢は叶う。
薄っぺらな理想論で語られがちのことをなでしこジャパンは体現した。

もちろん裏付けはあったわけで。
普段(不断)の練習、コミュニケーション、研究。
それらがあったからこその優勝だった。

あれは奇跡だった。
言うのは容易い。
確かに神がかった勝利だった。
でも奇跡の二文字で片付けるのはなでしこジャパンに対して失礼だろう。
奇跡と呼ばれる出来事には必ず真実という名の理由がある。

負けるのは
はずかしくない
本当にはずかしいのは
負けたままでいること

幾多の苦難があった。
たくさん負けた。
今大会中も1次リーグで負けているわけで。

あえて奇跡と言うならあれは運命と奇跡の合作。
1次リーグでイングランドに勝っていたら、
決勝トーナメント初戦でドイツと当たることはなかった。
決勝でアメリカと当たることはなかった。

負けと思った瞬間が負けの始まり。
だから、なでしこジャパンが負けたのは、
まさにイングランド戦の終盤からだけ。
これは結果だけを言っているのではない。

決勝戦。
後半36分、宮間のゴール。
延長後半後半12分、澤のゴール。
残り時間を考えれば「負けた」という思いが頭をよぎっても責められない。
でも、なでしこジャパンは負けていなかった、スコアだけじゃなくね。

勝負事は結果がすべて。
だけど今回に限っていえば、決勝で負けていても、
なでしこジャパンは笑顔と賞賛で日本国民に迎えられたと思う。
なでしこジャパンは東日本大震災という国難の中、
沈みがちな我々に幸せな時間をくれたのだから。

だから当たり前のことだと思う。
この国民栄誉賞を。
そして当たり前のことだが、
この当たり前をなでしこジャパンは誰も当たり前とは言わない。
有言実行の中にも謙虚な一面を持つ。
それも私たちが支持したくなる理由のひとつであることも、
「当たり前」のことである。

さて、私は今日ここまで、
彼女たちという言葉を使わなかった。
「なでしこジャパン」で通した。
「なでしこジャパン」は、男女も問わず、
選手、監督、スタッフ、関係者、
ひっくるめての総称だと思うから。

最後におまけの笑い話・・・

先日某所で
「決勝、生で観た!」
と自慢したところ、
「え!フランクフルト行ったの?」
だって。
迂闊だな、俺。
確かにこの表現だと誤解を受ける。

でも、するってーと、何か?
本気で聞かれたということは、
マジでドイツに行きかねない男というのが俺の評価か。
喜んでいいのか・・・(苦笑)

そんな余裕はないよ、いろんな意味で。
「生で観た」というのはテレビ生観戦のことです。
そもそもフランクフルトがドイツのどこにあるのかを知らない。
ドイツの国土の形を示されても絶対ドイツとはわからない。
無知の自爆・・・(^^;)

高校球児たちよ、笑顔で野球を楽しんでくれ。

2011年08月02日 05時58分08秒 | Weblog
>私、夢見生のHP本舗“裕遊字的(ゆうゆうじてき)(http://ikiru.jp/)”内、今日の字遊航海
#東日本大震災で被災した岩手、宮城、福島3県の代表校が1日、そろって東北を離れ、大阪や神戸の宿舎に入った。2日はそれぞれ甲子園練習に臨み、大舞台の感触を確かめる。(asahi.comより)

野球をできる幸せ。
高校球児たちはそれを実感している。
甲子園レベルから、地方大会1回戦レベルの高校まで、
この気持ちは今、日本全国で共有されているだろう。

球児たち、徳に被災地から出場の球児たちには、
震災に縛られるだけの甲子園にして欲しくない。
「被災地のために」「被災者のために」頑張る。
確かにその気持ちは尊いけれど、それだけにして欲しくない。
野球を楽しんで欲しい。
好きだから野球を続けている。
それを忘れず野球を楽しんで欲しい。

懸念だけではない。
春の選抜高校野球。
甲子園でも笑顔まで自粛のような雰囲気があったでしょ。
震災直後に笑えないというのもわかる。
でも、それだけじゃ余計悲しいよ。

震災のことを完全に忘れろと言っているんじゃない。
甲子園のグラウンドの上で、
震災を一時的に忘れて野球に没頭するのは罪じゃないよ。

私は一所懸命と共に、笑顔の球児が見たい。
無理して笑えとは言わない。
心から笑って欲しい。
炎天下、汗にまみれて
笑って白球を追いかける姿。
矛盾することを言うようだが、
結果それが被災地、被災者、そしてニッポンを
勇気づけるのだと思う。