昨日。
大学時代の仲間が集まった、らしい。
らしい、というのは私にはお声がかからなかった。
Facebookで開催を知ったからである。
正直に言うと少し悲しい思いをした。
ああ、俺、クラス会に呼ばれない人間になっちゃったのかなあ。
そしてしばらくして。
冷静に考えてみた。
完全に私の被害妄想だった。
これは自分の言動が呼んだ当然の結果。
つまり私の責任なのだと。
名簿やリストはあるだろうから。
私を「忘れた」ってことは考えづらい。
そもそも私はこういうときに「真っ先に声をかけられない」タイプの人間ではない。
少なくとも自分ではそう自覚している。
父のこととか。
ここでいろいろ書いているじゃないですか。
Facebook繋がりの友達は読んでいるかもしれないわけで。
勝手に忙しがって。
それが、その雰囲気が、自然と周囲に伝わって。
あいつはとても忙しそうだから誘わないほうがいいかなあ。
そんな風に友達に気を遣わせてしまったのではないかと。
そう考えると反省しきりですね。
普通にしていた。
オープンな姿勢を保っていた。
それは私の思い込みだったのかもしれない。
逆の立場に立てばね。
今の私はやはり誘いにくい人間だと思うのよ。
やたら「忙しオーラ」を発散している人間には声をかけづらいでしょ。
父の介護で時間がままならなくなることがあるのは事実。
でもそういうときだからこそ息抜きは欲しい。
申し訳ないけれど姉や姪っ子と相談して、お世話を頼んで。
それが月数回なら許される贅沢じゃないかと勝手に思うわけです。
姉や姪っ子にも仕事のシフトや予定があるから。
そういう息抜きの日にお世話を頼めないこともあるだろう。
行ける予定が、父の突然の変調とかで「ドタキャン」もあるかもしれない。
そういうときは幹事さんに「ごめんなさい」するしかないわけだけれど。
でもやっぱり誘うだけは誘って欲しい。
それが正直な気持ち。
私も変わらなくちゃな。
「誘いづらい男オーラ」を発散しないように。
日頃の言動に気をつける。
やっぱり今回誘われなかった大元の原因は私にあるわけだから。
その自覚があるのだから。
変わろう。
というわけで。
友よ。
次回からは是非誘ってねん!(^^)
大学時代の仲間が集まった、らしい。
らしい、というのは私にはお声がかからなかった。
Facebookで開催を知ったからである。
正直に言うと少し悲しい思いをした。
ああ、俺、クラス会に呼ばれない人間になっちゃったのかなあ。
そしてしばらくして。
冷静に考えてみた。
完全に私の被害妄想だった。
これは自分の言動が呼んだ当然の結果。
つまり私の責任なのだと。
名簿やリストはあるだろうから。
私を「忘れた」ってことは考えづらい。
そもそも私はこういうときに「真っ先に声をかけられない」タイプの人間ではない。
少なくとも自分ではそう自覚している。
父のこととか。
ここでいろいろ書いているじゃないですか。
Facebook繋がりの友達は読んでいるかもしれないわけで。
勝手に忙しがって。
それが、その雰囲気が、自然と周囲に伝わって。
あいつはとても忙しそうだから誘わないほうがいいかなあ。
そんな風に友達に気を遣わせてしまったのではないかと。
そう考えると反省しきりですね。
普通にしていた。
オープンな姿勢を保っていた。
それは私の思い込みだったのかもしれない。
逆の立場に立てばね。
今の私はやはり誘いにくい人間だと思うのよ。
やたら「忙しオーラ」を発散している人間には声をかけづらいでしょ。
父の介護で時間がままならなくなることがあるのは事実。
でもそういうときだからこそ息抜きは欲しい。
申し訳ないけれど姉や姪っ子と相談して、お世話を頼んで。
それが月数回なら許される贅沢じゃないかと勝手に思うわけです。
姉や姪っ子にも仕事のシフトや予定があるから。
そういう息抜きの日にお世話を頼めないこともあるだろう。
行ける予定が、父の突然の変調とかで「ドタキャン」もあるかもしれない。
そういうときは幹事さんに「ごめんなさい」するしかないわけだけれど。
でもやっぱり誘うだけは誘って欲しい。
それが正直な気持ち。
私も変わらなくちゃな。
「誘いづらい男オーラ」を発散しないように。
日頃の言動に気をつける。
やっぱり今回誘われなかった大元の原因は私にあるわけだから。
その自覚があるのだから。
変わろう。
というわけで。
友よ。
次回からは是非誘ってねん!(^^)