「こういう状態」ってやつです。
ここをよくご覧になる方ならぴんと来るでしょう。
私がこういう言い方をする時は、
ほぼ間違いなく抱えている心の病に関することです。
それは仕事中にやってきた。
きついわな。
後で振り返ればたいしたことではないんですがね。
その時々は大変な思いをしているんです。
大げさに判りやすい例えなら、
「気が狂いそうになる」そんな感じ。
私はこれに関して逃げないと決めてしまった。
トイレの個室に逃げ込んで、座って目をつむり20分。
それが逃げの限界。
不審に思われない「休憩」と取ってもらえる限界だ。
いわゆる「障害者雇用」「作業所」で低賃金に甘んじている病気の仲間たちと私の状態が、
さほど違うとは思わない、思えない。
されど仲間に今の私の生き方を勧めようとも思わない。
これは多分に危険な選択だ。
一歩間違えたら・・・、である。
だけど私は後戻りできない道を選んでしまった。
踏ん切りと言ってもいい。
心の病を言い訳に何かをできない、あるいは諦める。
そういうことを止めると決断した。
きつい選択であった。
私は引き替えに
ある程度の賃金をもらえる仕事、その仕事のある程度の安定を手にした。
病気のことを話した(今の職場の)仲間は少ない。
けれど話した人は変わらず私と付き合ってくれている。
積極的に病気を隠すつもりもない。
話しても大丈夫、その自負があるからこそではある。
私の病気は治っていない。
その大前提はあるのだが、
私は「治ったつもりになる」という自己暗示をかけているのかもしれない。
さて冒頭の「こういう状態」の話に戻る。
「こういう状態」は月曜日になることが多い。
共通点は日曜の次の日ではなく、
惰眠明けということである。
私が短眠を心がけているのは、
時間を有効に使いたいというのももちろんだが、
睡眠時間が短いほど体調がよいというはっきりした統計があるからなのだ。
睡眠は短い方がいい。
統合失調症患者。
私が言うべきことでは断じてない。
けれど経験則として事実であるというのも、
また断じてよいことなのである。
ここをよくご覧になる方ならぴんと来るでしょう。
私がこういう言い方をする時は、
ほぼ間違いなく抱えている心の病に関することです。
それは仕事中にやってきた。
きついわな。
後で振り返ればたいしたことではないんですがね。
その時々は大変な思いをしているんです。
大げさに判りやすい例えなら、
「気が狂いそうになる」そんな感じ。
私はこれに関して逃げないと決めてしまった。
トイレの個室に逃げ込んで、座って目をつむり20分。
それが逃げの限界。
不審に思われない「休憩」と取ってもらえる限界だ。
いわゆる「障害者雇用」「作業所」で低賃金に甘んじている病気の仲間たちと私の状態が、
さほど違うとは思わない、思えない。
されど仲間に今の私の生き方を勧めようとも思わない。
これは多分に危険な選択だ。
一歩間違えたら・・・、である。
だけど私は後戻りできない道を選んでしまった。
踏ん切りと言ってもいい。
心の病を言い訳に何かをできない、あるいは諦める。
そういうことを止めると決断した。
きつい選択であった。
私は引き替えに
ある程度の賃金をもらえる仕事、その仕事のある程度の安定を手にした。
病気のことを話した(今の職場の)仲間は少ない。
けれど話した人は変わらず私と付き合ってくれている。
積極的に病気を隠すつもりもない。
話しても大丈夫、その自負があるからこそではある。
私の病気は治っていない。
その大前提はあるのだが、
私は「治ったつもりになる」という自己暗示をかけているのかもしれない。
さて冒頭の「こういう状態」の話に戻る。
「こういう状態」は月曜日になることが多い。
共通点は日曜の次の日ではなく、
惰眠明けということである。
私が短眠を心がけているのは、
時間を有効に使いたいというのももちろんだが、
睡眠時間が短いほど体調がよいというはっきりした統計があるからなのだ。
睡眠は短い方がいい。
統合失調症患者。
私が言うべきことでは断じてない。
けれど経験則として事実であるというのも、
また断じてよいことなのである。