のんきいきいき So(走) Happy! -櫻庭健一の日記-

いつも笑顔と感謝を忘れずに
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過去の少しの試練はそれで乗り越えたのだから

昨日書けなかったこと。戦争について。

2008年06月24日 22時47分00秒 | Weblog
嫌ですよ。
戦争は。
やっぱり。
理想論者と言われようが、戦争はどうしても嫌い。

理屈から言いましょうか。
戦争の大義名分ってあるじゃないですか。
どんな戦争でも一応。
最たるものが「自由と民主主義を守るため」ってやつかな。
現場の戦場でそんなものありっこないんです。
どんな立派な大義名分があったって、
目の前にいる敵をなぜ撃つかと言えば、
「死にたくないから」
それだけです。
死にたくないから殺す。
そんな世界に人を引きずり込む。
お偉いさんは戦争の大義名分の上にあぐらを掻いているけれど、
現場の兵士たちは
「死にたくない」
の思いで目の色を変えて人殺しをするわけです。
もっと言いましょうか。
最近の戦争は今言ったことが当てはまらないものが増えてきている。
いわゆる危険のないところで「スイッチを押すだけ」の兵器。
銃砲の飛び交う中なら殺意も罪の意識も存在するかもしれないけれど、
「スイッチポン」で人を殺す。
「スイッチポン」の結果は火炎地獄だというのにね。

理屈から外れましょう。
単純なことです。
人と人が殺し合うのはおかしい。
その「感覚」なんです。
それを忘れているとしか思えない人たちが、
テロや戦争に明け暮れる。
世界的比率で言えば相当な割合の人が、
「信じる神」を持っている。
その神の名の下に戦争やテロ。
メジャーどころの宗教で、
戦争を推奨する教えなどないのに、
教えをどんどん曲解して、宗教をおとしめている。
変な解釈をされる神様こそたまったものではない。
戦争をしている人の多くは、
家に帰れば優しい家庭人。
友達とも普通に付き合う善良な人。
普通の人が目の色を変えて人を殺す。
そんなのおかしいよ、絶対に。

昨日書いたとおり、
いい加減なことを書くわけにはいかない。
戦争についてね。
だから今日、じっくり考えて書きました。

沖縄も不幸のどん底に落ちた。
昨日。
63年前に3カ月近く続いた組織的戦闘が終結した「慰霊の日」。
私は心から祈った。
誤解を受けてもかまわない。
沖縄の悲劇は一部でしかない。
戦争の悲劇は世界中にある。
私はこんなことを書いてささやかな抗議をしたり、
目をつむって祈るくらいしかできない。

命は大切。
そんな当たり前のことと向かい合わずに、
大義名分を振りかざして戦争やテロをする。
はっきり言う。
馬鹿だ。
馬鹿者どもに届けという思い。
私の文章はたぶん届かない。
己の無力を感じてしまう。