今朝の、福島民報に、JRいわき駅南口でも、磐城平城内堀の一部とみられる遺構が見つかったと、報じていた。試掘調査で、明治時代ころの石組みの構造物がみつかり、さらにその下の地層から、磐城平城の内堀の南端分部とみられる土のくぼみが発見された。くぼみには江戸時代ころの焼き物も埋まっていたという。詳しくは、福島民報をどうぞ。歴史のことも疎いので、へぇそうなんだぁと、云うだけです。画像は、1622年ー元和八年八月ー岩城平城内外圖ー内藤左馬介政長家臣配家一覧ーとある。ものの本によると、1602年に鳥居忠政の代に、築城を始め、1622年に完成して、出羽山形に、栄進とある。入れ替わりに、前記の内藤左馬介政長が、城主に、その家臣の一覧の図のようだ。岩城平城は、大阪城を模して築城したとか。広大な外濠をめぐらしたとか。うろ覚えです。画像の図は、ちょっと前に、知人からいただいた。なんか元本は、彩色されてあったという。知人がいうのには、貸してくれというので、ある人に貸した。後日に、返却されたものは、原本と違うと、交渉をしたが、だめだったと、聞いた。城跡のことは、退屈まぎれに、あちらこちらの本を、ペラペラめくる。