goo blog サービス終了のお知らせ 

ま つ ど

市販のガイドブックに載らない松戸のあちこち

中和倉熊野神社

2009-10-16 14:56:33 | 神社・寺院
 創建元禄十五年(1702)。明治三十四年(1901)本殿再建と伝わっています。(少々写りが悪いのですがこの写真です)。
 当時の戸数19戸、人口は113人といわれている中和倉村の鎮守様です。
この辺りが発展したのは昭和三十年以後のことにです。
 本殿の彫刻は一見の価値有。
                            (中和倉322)

松戸で唯一

2009-03-17 21:04:54 | 神社・寺院
 来迎寺にある、元禄十六年(1703)建立の六幢地蔵塔。六つの面に六地蔵が浮彫りになっている貴重な石造物です。この周辺は平潟遊郭のあった所で、遊女(飯盛り女)の供養等もある。  
                             (松戸2176)


水戸光圀と本土寺

2009-02-23 20:34:01 | 神社・寺院
 本土寺参道の途中西側にある寺の駐車場と工務店の間を一寸入った所にあるこの石碑は、本土寺にある秋山夫人の墓の改葬前にあった墓跡に建っています。
 この辺りは水戸家のお鷹場であり、水戸光圀が鷹狩に来るうちに、伯父武田信吉の生母お都摩の方(徳川家康の側室)墓の発見しました。そこは墓石は無く目印に一本の松があっただけでした。
 光圀は本土寺に立派な墓石を建て、遺骨を探しましたが見つからず、墓土を新墓地に収め供養し、位牌を安置して二十石の田地を寄進しました。さらに参道を整備し松杉の並木を植えました。
                         (平賀12)

風早神社の三角点

2008-11-05 21:16:08 | 神社・寺院
 この三角点は3等三角点です。
標高29.4m 東経139度55分 北緯35度47分に明治34年に
設置されています。
 三角点は、通常は見通しの良い所や山頂にあり、ハイキングで山の頂に着いた時よく見かけます。位置や高さの標準点で地図の作成には重要なものです。
 明治十三年に作成された第一軍管地方二万分の一迅速測量原図(通称フランス式彩色地図)を見ますと今の新京成上本郷駅辺りが地図作成の基準点になっていますので、三角点は見通しの効いたこの高台に設置されたのかもしれません。 
 松戸市内に三角点は5箇所あります。1等三角点が1つ馬橋北小学校校庭にあり、2等三角点は1箇所、3等三角点が2箇所、4等三角点が1箇所ありますが、他の所は民有地などにあり自由に見られません。              (上本郷3107)


了源寺の羅漢様

2008-06-02 21:52:47 | 神社・寺院
 ユーモラスな羅漢様は住職の自作との事。次の羅漢様はいつ出来るのでしょうか。
 この寺は江戸時代の寛文年間(1650~1670年)の創建と伝えられています。度重なる火災で寺歴・寺宝が焼失して詳細はわかりませんが、裏の墓地には相当古い墓石があり歴史を証明しています。本堂には三十番神が祀られています。
 春は境内に咲く枝垂れ桜がきれいです。(根木内379)

幸谷観音堂

2008-05-23 22:24:09 | 神社・寺院
 御本尊は行基作といわれる黒い十一面観音像ですが、秘仏のため12年に一度午歳の四月に御開帳される。江戸時代から「幸谷の黒観音」で信仰を集めていた。
 お堂の右前角に松戸市教育委員会が立てた文化財の標識①松戸市有形文化財「幸谷観音野馬捕りの献額」の説明板と②観音下遺跡の標柱が2つあります。
 ①は小金牧で行われていた野馬捕りを描いた額で横136cm・縦96cmあり、お堂の中に掲げられています。
 ②はお堂の周りに白い貝殻が散らばっているとおり縄文時代後期(約3500年前)の貝塚です。未調査ですが土器片、貝類が出土しています。
 前を通る小径は鬱蒼とした大木や竹やぶの斜面林に入っていきますので一寸した森林浴が味わえます。(福昌寺)

赤城神社

2008-05-17 21:05:10 | 神社・寺院
 新松戸駅の東側に祀られている。元は約30mほどの小高い山頂に建っていたが、JR武蔵野線を通すため山が崩されて平地にされた所に再建された。神殿の直ぐ後には電車が走る。入り口のスダジイの古木のみが往時を偲ばせる。
 天正十七年(1589)に群馬県の赤城神社を勧進して幸谷の氏神として崇拝してきた。(幸谷630)

首のない弘法大師様

2006-05-20 22:46:07 | 神社・寺院
 宝光院の境内に夥しい数の弘法大師石像がある。参道右脇に並んでいる像はきちんとしているが、本堂左前には破壊された像が整然と納められている。どういう意思で誰が壊したかは解らない。
                     (松戸2-1842)
 もとは相模台にあった向山寺(廃寺)の境内にあった四国八十八ヶ所巡りの石像群であった。現在イトーヨーカドーと大きなマンションが建っている裏手公園際の金毘羅神社は向山寺境内にあり、江戸時代松戸の河岸が栄えていた時は船頭や乗組員の参詣で賑わっていたという。
    *現在は境内を整理したため存在しない

90段の石段

2006-04-30 13:42:39 | 神社・寺院
 急な九十段の石段を一気に登ると頂上に鎮座するのは子の権現様。古くは開運・増殖の神として敬拝されてきた。また下の病気足腰の傷みの平癒祈願の参詣舎が近郷近在から数多く訪れたという。お参りには足元に十分気をつけて踏み外さないように(和名ヶ谷628)