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ま つ ど

市販のガイドブックに載らない松戸のあちこち

真隆寺

2011-02-01 09:47:30 | 神社・寺院
 この寺に田中新田から移された祖師堂があったので、田中の寺とか、または赤門寺と呼ばれていたようです。真言宗の寺でしたが鎌倉時代に日蓮宗の改宗しています。
 改築された山門ですが、境内のあずまやから眺めますと、何となく赤っぽく見えます。或は薄くべんがらが塗ってあるのでしょうか。
                                (紙敷708)

中学校の校庭の片隅

2010-11-03 16:18:22 | 神社・寺院
 欅通りを歩いていた時、常盤平中のフェンスの中に小さな石造物が目に入りました。
 そこは校庭の整備がされず雑木林が残っているところです。小さな石祠(八幡宮)と大甕の壊れた底の部分でした。常盤平団地が出来る前、子和清水が湧いていたこの辺りに住んでいた農家の屋敷神かもしれません。
                         (常盤平6-25)
                           

五香、六実の稲荷社

2010-10-20 20:03:17 | 神社・寺院
 五香六実は、同時に開拓されその鎭守様は「たかお神社」ですが、五香、六実両地区にはそれぞれの名前が付いた稲荷様が祀られています。五穀豊穣を願って地域の人が建立したのでしょう。
 両方の神社にはそれぞれ開拓記念樹の大きな幹の一部が保存されています。それを見て推測してみれば、現在は市街地の一郭に組み込まれていますが。4、50年前までは街道脇の緑豊かな農村であったのでしょう。

たかお神社

2010-10-04 20:45:15 | 神社・寺院
 たかお神社の印字が出来ませんでした。「たか」は高ですが「お」は雨カンムリに龍の字です。
 明治政府の小金牧の開墾事業として五香六実に入植したのが明治二年でした。その中心となった開墾会社が運営をした「香実会所」や授産所を建て集落をつくりました。また心の拠りどころの鎭守を祀ったのが「たかお神社」でした。
 祀られている神は、出雲から勧請した龍蛇神と、大山阿夫利神社から勧請した「たかおノ命」の二神です。
 写真は昭和42年に建てた「開墾百年記念碑」で五香六実地域の開拓の歴史が刻まれています。
 境内にあります。
                           (六高台1-15)

串崎新田開村250年記念碑

2010-06-25 12:41:09 | 神社・寺院
 昭和五十五年(1980)に造られた記念碑のあるこの八幡神社は、飛行場の拡張のため、二度も移転させられています。
 松戸飛行場は現在の松飛台に在りました。串崎崎新田村と五香六実の地区に、昭和15年民間パイロット養成の飛行場が開設されました。太平洋戦争の時は陸軍の航空隊の基地になり、戦後に一部はアメリカ軍のキャンプ地をへて、自衛隊の補給基地になっています。
 
                          (串崎新田218)

春日神社(紙敷)

2010-06-12 12:00:41 | 神社・寺院
 まだまだ緑が残る東松戸周辺。台地の上にあるので、崖線にかかる参道が竹藪を付きぬけ、急な石段の上に建立されている。この雰囲気も何時まで持続されるか、近くまで宅地開発がされている。
                          (紙敷1136)

キリシタン灯篭 か

2010-06-02 12:43:09 | 神社・寺院
 河原塚の本勝寺の境内の片隅に建っているが、一見しただけでは判らない。
 横から見ると火袋の下の柱がよく見ると十字になっている。柱の袂に彫ってある像がマリア様に見える。
                            (河原塚289)

高塚新田八幡神社

2010-05-18 18:45:21 | 神社・寺院
 「源頼朝の名馬"生月"の墳丘の地に在り、古来より大樹鬱蒼として遠く行徳浦を往来する舟の目標になっていた」と伝わる。
 梨香台団地に隣接し、周囲の梨園より心持ち小高い地にある。
緑が濃い長い参道の奥の森の中に鎮座している。
                            (高塚新田505)

みのり神社

2010-05-09 19:17:11 | 神社・寺院
 稔台は、江戸時代は小金牧でした。ここは旧陸軍用地内でした。
明治時代は陸軍工兵隊の演習地になっていましたのを、戦後60人の人々が開墾を始めて、困難に立ち向かい現在の稔台が形成されたと記念碑に記されています。
 神社の由緒では相模台の戦いの折、弁財天が勧請されて信仰されてきたとも書かれています。
                        (稔台 39)

寛永寺にあった石燈籠

2010-05-03 12:34:04 | 神社・寺院
 上野の寛永寺に奉献された石燈籠が移されて、清光寺の本堂前にあります。
 東叡山文恭院殿尊前・従五位下松平長門守源定保の銘が刻されている。天保十二年(1841)
 文恭院とは、11代将軍徳川家斉のこと。今治藩主の松平長門守が奉献したものです。
                         (松戸488)

岩瀬胡録神社

2010-04-28 10:54:14 | 神社・寺院
 通称「大六天」と称す。祭神は面足命。
大録天とか第六天(神仏習合時代は第六天魔王を仏様の守護神とされ民間信仰の対象になっていた)は、明治の神仏分離令の時多くは神代七代の第六代面足命に祭神を変更した。
 松戸市内に胡録神社は3社あり同様な沿革がある。第六天社が胡録神社に改称した理由は知らない。
 胡録神社の名称についての訳を教えて欲しい
                          (岩瀬220)

天照大神という地名

2010-04-08 15:29:04 | 神社・寺院
 このは慶国寺の山門の中から、春日神社を写したものです。鳥居の先の急な石段を登った所に社があります。
 境内には伊勢神宮を完璧に模したミニチャを社殿にした天照大神神社が祀られています。
 この近くに、字名「天照大神」という地名があり、地価の課税標準地になっています。
                           (秋山240)

後姿が丸見え 小根本神明神社

2010-02-16 18:25:35 | 神社・寺院
 松戸市役所の正面からは、境内の古木は切られて後姿が丸見えです。
 正面に廻りますと小高い丘の上に鎮座しています。梺には古い道祖神(安永五年の銘)や庚申塔などがあり、石段を5、60段も登らないと社殿に着きません。
                    (小根本6)

相模台の金毘羅神社

2010-01-08 18:34:15 | 神社・寺院
 相模台の崖縁にある大きなマンションの影になったところにあります。江戸から明治にかけては松戸の河岸は大いに繁盛していました。その頃の船頭や商人達が必ずお参りしたのがここにあった金毘羅さんで、江戸川河岸からここに通じる金毘羅通りは賑わっていたようです。       〔左:金毘羅通り・右:神社〕
                        (松戸1140)

串崎新田の弁財天

2009-11-11 18:59:09 | 神社・寺院
 春木川の源流の一つ。北総線に沿って遡ると大町駅に至る。
大町駅の新鎌ケ谷寄ホーム下にある弁財天の社は、何時も湧水で溢れている弁天池の中島にある。この辺りの字名は、串崎新田古和清水という。
                    (串崎新田169?)