こちら大分は良い天気が続いています
吹く風もからっとしていて空の雲も高い位置にあります
ここ最近はキンモクセイの香りがあちらこちらでしていて
その香りにリラックスさせてもらっています
そんな気持ちのいい季節
大分市民なら改めて、ここらで、今一度、しっかり歩いておいていただきたいところがあります。
大分市大手町の遊歩公園
府内城址から県庁を通り過ぎながら南へ向かう細長い公園です
一見すると只の遊歩道です
ここが主役になるのは夏にある「府内パッチン」という大分市民の祭りで使われる山車が展示される時か
クリスマスの季節にある樹々のライトアップくらいで(今はもう無いかも)
その時ですら山車やイルミネーションにばかり目が行って
本来の遊歩公園がどんなものなのか大分市民である私ですらスルーしていました
「なんかたくさん像的なものがあるのは知ってる」くらいで
最近大分県では「大友氏」が密かなブームであると前回ブログで書きましたが
じゃあ大友宗麟って何をした人なの?って聞かれて説明するとき、きっかけとしてここ遊歩公園がおススメなんです。
その大友氏の功績の一つである「西洋文化をこの地にもたらした」ということを今に伝える像やレリーフが設置されているのです。
なんで西洋文化なの?
「日本に初めてキリスト教を伝えたフランシスコ・ザビエルは、東洋宣教の途次1549(天文18年)年日本に渡来した。
その後鹿児島、平戸、山口で布教し、1551年(天文20年)大友宗麟の招きにより、大分に来て布教した。
かくてこの地は日本における中心地となり、西洋文化が目覚ましく開花した。
少年たちはビオラを弾き、讃美歌を歌った。これは日本で唱歌を歌った最初である。
またクリスマスにはこれも日本最初の西洋劇が演ぜられた。更に日本で初めての西洋病院さえあった。その他初等学校、問答学校、通訳学校、
伝道士学校、コレデオもあった。実に大分こそは当時西洋文化の花園であった。」―大分県キリシタン史跡顕彰会 上田保氏による文を一部抜粋ー
だそうなんですね。
織田信長をはじめ豊臣秀吉とか全国を統一した武将はとにかく、九州では加藤清正とか、武士が後世まで有名であるのには戦いっぷりがすごい
ことがポイントとなりがちですが、この大友宗麟、「西洋文化を自国に取り入れ自分もキリシタンになっちゃった」という珍しいパターンとして
語ってもいいじゃないでしょうか。
大分県は今では人口密度的に留学生の数が全国的に上位にあるそうですが、
当時もポルトガル人をはじめとして西洋人が多くいたようですよ。今も昔も様子が似てるっておもしろいです。
なんか話が長くなったので、この先はさっきの文章をそのまま表現している遊歩公園の風景を写真で紹介します
全てはここから始まりました フランシスコ・ザビエル渡来
西洋劇が初めて日本で演じられたそうです
芸術作品なんだと見ていました、今まで。
大分の歴史を語ってもいたのです。
西洋医術もここからなんですって
このほかにも滝廉太郎像があったり、それぞれのレリーフや像には説明板があります
府内町でランチやお茶した後にゆっくり散歩するのもよしです。
戦国武将はなんだか難しくて、女性は敬遠しがちですが、他の武将と一味ちがった大友宗麟という人物を西洋文化という面からたどってみると
とっつきやすくていいかもしれない。
遊歩公園の主役達があなたのお越しをお待ちしていますよ。