烏有亭日乗

烏の塒に帰るを眺めつつ気ままに綴る読書日記

経済学のキーワード

2007-01-22 20:36:45 | 本:経済

 『故事成語でわかる 経済学のキーワード』(梶井厚志著、中公新書)を同じ著者が5年前に出した『戦略的思考の技術』(中公新書)とともに読む。
 順番からすると、後者を先に読んで、ゲーム理論による経済活動の分析で登場するさまざまな概念(インセンティブ、コミットメント、ロック・イン、シグナリング、スクリーニングと逆選択などなど)を抑えて、前者に進むというところだろうが、後者だけでも解説は丁寧にされているので、どちらでも好きなほうから読める。
 後者はいわゆる中国の故事に因んだ成語を経済学の視点から分析するというものである。四字熟語に限らず漢文に登場するこれらの成語の来歴は高校時代に教えられたり、漢文学者の著書による解説で教えられるのが通例であるから、著者による分析は、まさに目から鱗が落ちるものである。漢学者の講釈はどうしても史実に忠実であろうとするあまり、斬新な解釈はなされない。例えば本書の冒頭に掲げてある「覆水盆に返らず」という成句であれば、「過ぎ去ったことに対して悔やんでも仕方がない」という字義通りの解釈がされるのが関の山であるが、本書の場合ここから、すでに投資されてしまって回収不能な埋没費用sunk costという概念を用いることにより、覆水というものがどのような費用とみなすべきかという視点から論じられる。あるいはこれに続く「蛇足」では、「余計なこと」という意味からさらに発展して、「追加的な便益」をきちんと把握することがいかに困難かということを説明する。一番早く蛇を書き上げたついでに足を追加して賞を逃してしまった男のことを嘲笑うのは簡単なことであるが、現代の経済生活でこうしたことが頻繁にあることを示されると、思わず赤面してしまう。
 本書で取り上げられている「朝三暮四」、「完璧」、「敗軍の将は兵を語らず」の解釈は深く実に面白い。
 二つの著書を読むと、現象を解釈する上で一貫性のある理論に則って解析することの重要性が隠れたメッセージとして読み取ることができ、この本を読んで感じる面白さはまさに雑多な現象をそれにもとづいて快刀乱麻を断つ如く一刀両断にすることの面白さなのである。