烏有亭日乗

烏の塒に帰るを眺めつつ気ままに綴る読書日記

エコロジストのための経済学

2006-08-01 17:49:23 | 本:経済

 『エコロジストのための経済学』(小島寛之著、東洋経済新報者刊)を読む。私はエコロジストではないのだが、著者が「経済学と本格的に取り組みはじめた後の、私の勉強の成果を、既成の理論から研究途上のものまで余すところなく書いた」というあとがきを読んで購入を決めた。この著者の本を読むのは、これで四冊目である(ブログで感想を公開しているのはうち三冊)が、あとがきを読むたびに著者の熱い思いを感じることができる。本文は、論理的にさらりと書いたような印象を受けるが、短いあとがきにはその熱い思いが凝縮されており、この温度差が心地よい。
 今まで読んできた本の総集編といった趣があるのだが、その中で面白かったのは、商品取引における情報の非対称性がもたらす影響を論じたところと、ゲーム理論で合理的に選択された戦略も結果からみると全体として非合理的になり、かつそれから容易に抜け出せない状況に陥ることがあることを論じたところ(いずれも第6章)だった。
 情報の非対称性を分析したのはアカロフという経済学者ということだが、豊かな情報化社会ならではのこの現象は、社会問題を分析する上で大切な視点である。そして環境問題をつい自然科学問題ととらえがちな自分にとって、経済学的視点から考えるというのは非常に教えられるところが多い。



 市場取引というのは、自然科学が正確に反映されるような理想的存在とは言えない。人々は市場において、「嗜好」や「気分」で購買行動をしており、普通の状態なら、これは「市場の匿名性」や「商品の無差別性」と、それを利用する裁量権によって、生産者にも利益をもたらしている。しかし、だからこそ、これが災いし、環境問題がもたらす悪性シグナルや情報の非対称性が市場取引にいたずらをすることも起きる。これは豊かな社会における市場取引の持つトレードオフだと言ってよい。


 この後にゲーム理論を使って、社会が一旦選択した選択肢から容易には抜け出せない状況というのを説明している。各人が個々に判断して行動している状況では、各人が別の選択がよりよいと考えていてもそちらに移れない状況というのがあるのだ。赤信号はみんなで一斉に渡らないといけないのだ(一人で渡ってしまえば、車に轢かれる確率が高い)。このことから著者は現在の自動車社会が必ずしも最適な選択の結果生まれたという保証はないことを論じている。この結論は一概には言えないが、生物の進化もそうしたものであろう。そのつど遭遇した環境(これは個体にはどうしようもない外的制約である)に最適な個体がより多くの子孫を残して、その環境に適した形に進化していくが、それはある意味でその環境にしか適さないようになっていく、進化の袋小路に入っていく選択でもあるのだ。その結果絶滅していく生物種は限りなく多いと思われる(だから絶滅危惧種もどれくらいの割合が人間の責任なのかははっきりしない。もちろんだからといって何もしないでいいということにはならないのだが。)。
 高度情報化社会になると、ある情報が非常に短時間に極めて多くの人に周知されるだけに一斉にみんながある選択肢を(各人は合理的と信じて)選ぶということがますます増えるであろう。このときその選択肢をとらない少数の人が必要以上の不便を強いられる頻度がさらに増えてしまう心配がある。こうしたことはどうしても中央で管理をしないといけないことであると思う。


 あとなるほどと感じたのは、第8章にあった貨幣の機能のところで、貨幣は個人が持つ物々交換の欲望が一致する確率が低くなるという困難を解決する道具であるということを述べたあとに、それを成り立たせる社会的合意というつかみどころのないものをひとつの戦略として定式化することで説明可能であるというコチャラコータという経済学者の議論を紹介している。各人の個別的な戦略が貨幣という情報を媒介を介してあたかも社会的な合意がなりたつようになるというのは大変面白いことだと感じた。個人が損得勘定で動くとしてもそれにある方向性を持たせることに成功すれば、社会全体の構造が変わりうるということだ。


 全体を通読して、これは決してエコロジストになるための本ではなく、エコロジストの怪しげな説にだまされないために役に立つ本と言えそうだ。お買い得です。