『満州事変から日中戦争へ』(加藤陽子著、岩波新書)を読む。
戦争への道を突き進んでいく日本の状況を戦略、外交、経済などの面から分析されている。興味をひいたのは、盧溝橋事件のところだった。支那駐屯群歩兵第一連隊が夜間演習を行っているとき、二等兵の行方不明事件に単を発した偶発的衝突が上海の日本租界での市街戦に発展し、戦争となる。対ソ戦しか念頭になかった日本陸軍はソ連の動向が気になっていたから、現役兵率の高い精鋭部隊を上海・南京戦に投入しなかったのだという。これは同時代の専門家も疑問だったようで、元陸相の荒木貞夫は、日記に
動員令下る。出動は未だなり。今回の召集は、後備の未年者と第一乙未教育[補充]兵を招集したるは何によれるか
と書いていることが紹介されている。
現役兵というのは、軍の中核を担うことを期待された者で満二十歳から二年間(海軍では三年)勤めた。その期間が終わると予備役となり、その期間は五年四ヶ月(海軍は五年)。予備役が終わった者は後備役で、十年(海軍は五年)戦時の召集に応ずる義務があったという。この年齢の違いが軍紀に影響を与えたようだ。上の「第一乙未教育補充兵」というのは、第一乙種合格で、一期三ヶ月の教育召集を経験しない兵を指す。上海・南京戦に従軍した兵士は軍隊としての質が悪かったということだ。陸軍の調査によると、中国戦線における役種区分は、現役兵率16.9%、予備兵28.3%、後備兵41.5%、補充兵13.5%という割合であった(四捨五入のため合計は100にならない)。第十軍軍法会議の記録による被告の役種をみると、既決犯では後備兵が57.8%、予備役22.5%、補充兵役14.7%、現役3.9%と圧倒的に後備兵が多い。すなわち後備兵率が高い軍隊は規律がゆるく犯罪率が高い”あぶない”軍なのだ。
速戦即決で中国との戦争に勝利するという見込みがはずれ、戦況が長期化すると帰還兵の不穏な話(「先頭間一番嬉しいものは掠奪で上官も第一線では見ても知らぬ振をするから思う存分掠奪するものもあった」、「戦地では強姦位何とも思わぬ」)が漏れ伝わるようになり、軍も言動取締りを行ったようだ。
見込み違いながら国民には正当性を主張せざるを得ないから近衛内閣は「東亜新秩序」声明を出し、政府よりの知識人の言説がこれを支持する。まさにこういうのを泥沼化というのだろう。
戦争はよくないと単純にいわれるが、十五年戦争は宣戦布告もなく始まった「戦争」であり、収拾がつかないまま拡大していった。当然政府の責任は問われるのだが、調停のタイミングを逃してしまうと悲惨な結果になるという点で、外交能力の質が決定的に重要である。そこでは「戦争はいけない」などという大所高所からの原則論を唱える人よりも狐のような鋭い損得勘定に対する嗅覚をもった外交判断を下せる人物のほうがはるかに必要のように思う。残念ながら当時の日本にはそういう人材がいなかったということだろう。