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以前の職場の後輩から、年賀状の返事がきました。
「昨年は“業務日誌”で笑かしてもらい、またいろいろ考えさせられました(以下略)」
とありました。
後輩よ。
こんなブログを読んで、ものを考えるな。
このブログで得られるものは一抹の寂しさだけです。
ブログ“業務日誌”は、業界の荒野にはびこる雑草を目指しています。
今日、トシオさん宅にケアプランを届けて、ついでに色々と話をしてくるつもりだったのですが、緊急の用が出来てダメになってしまいました。
おかげで明日のトシオさんとの対決(ナマホCWを交えての面談)も保留。
トシオさんが眼鏡を購入するために眼科受診をし、見積もりなどを区ナマホ課に提出しにいくのをつかまえて、そのまま話し合いに持ち込もうというハラだったのですが、トシオさんはどうあっても私とリリーさんとナマホCWを同席させたくないようです。
色んなウソがバレて、自分の立場が悪くなるのを怖れているんですね。
そこで私もナマホ課に電話で打ち合わせして、トシオさんが区役所に顔を出したらすぐに出かけるようスタンバイして待つことにしました。
予定では、来週トシオさんとリリーさんが区役所に行くらしいことはわかってます。
トシオさんを追い詰めることはせず、しかしこれ以上誰も騙されないように見張ります。
今日、トシオさん宅に行くはずだった時間、私は利用者ショーヘイ氏宅で、ショーヘイ氏の吐いた血の海の中で、必死に心肺蘇生をしてました。
朝、ひがしデイケア職員から、ショーヘイ氏を迎えに行ったが未応答ですと連絡があり、家族に連絡をとって、隣家に鍵を借り、隣家のご主人に立会いをお願いして一緒に自宅に入ったところ、ショーヘイ氏が居間のフローリングの上で、自分の吐いた血だまりの中に顔を突っ込んで、うつ伏せに倒れているのを発見しました。
呼吸もない、脈もふれない、しかも冷たい。
すぐに救急車を呼び、到着するまで胸骨圧迫心臓マッサージ。
…すでに亡くなっているのは明白だったのですが、それでもなお、肋骨が折れるかと心配しながら必死で続けました。
一応救急救命講習とか受講したし、アタマでは理解しているつもりだったのですが、いざとなるとてんでダメですね。
大好きな利用者さんでしたが、本音を言えば死んだ「人」に触れるのが怖かった。
で、気付いたらめそめそ泣きじゃくりながら心臓押してました。
2年前にBLSのABCとか講習を受けたときは、
心臓マッサージ30回毎に人工呼吸を2回行う。人工呼吸をすばやく行い、心臓マッサージの中断時間を10秒以内に抑える事が重要。2人以上いる場合はこの30:2の心肺蘇生を1サイクルとし、5サイクル毎に心臓マッサージと人工呼吸を交代する。
と習ったのですが、消防隊の救急救命士の方によると、
「それ、去年の9月頃に改正になりましたよ」
だそうです。(参考までに)
今は、心臓マッサージ15回のみ。
救急車到着までこれを繰返す、とされているとか。
血液などを吐いて倒れている場合、感染症などの危険があるためとのこと。
しかし、たとえどちらにせよ、私にはあの場で人工呼吸をすることは出来なかったと思います。
結局、救急車が到着し、本物の救急救命士による心肺蘇生処置ののち、救急車に同乗して病院へ。
ERで状況説明をして、家族の到着を待ち、方々へ連絡。
家族が到着してからは、混乱されているご家族にただ付き添い。
検査の結果、脳内出血が原因と判明したため変死扱いにはならず検死もなし。
また発見時に隣家の方とふたりで確認したことがよかったのです。
駆けつけた警察官からも「帰ってよし」と言われて少しホッとしました。
あとはご家族にお願いして辞去。
前日はデイケアで、金曜日の訪問のアポをとったのに。
「ヘルパーさんはどうですか?」
と聞くと
「うん、もう家族同様よくしてくれるよ」
と。
「デイケアではどうですか?」
と聞くと
「何もかもが楽しい。リハビリの連中もいい若者ばかりだ」
と。
福祉用具の相談員のことも、デイ送迎車の運転手のことも、配食サービスのお弁当のことまでも
「万事よし。本当にありがとう」
と答えて下さっていた、かわいい方でした。
病院は3ヶ月を過ぎて退院となり、老健では薬が高すぎて何軒も入所を断られ、在宅復帰を決心されてから限度額超のサービスを組んで頑張ってこられましたが、自分の計画に過不足がなかったか、在宅に戻ったことは正しかったのか、と今少し後悔しています。
「父はハリケンさんに本当に感謝していましたよ」
と言って下さったご家族の言葉に救われる思いです。
デイケアにて、ショーヘイさんが最後に書いた赤い花の絵の絵手紙。
その横には
近く会えると思います
の文字。
先に亡くなった奥様への言葉だったのでしょうか。
デイケアのナースは思わず泣いてしまったそうです。
ただただ寂しいです、ショーヘイさん。
どうか安らかに。
「昨年は“業務日誌”で笑かしてもらい、またいろいろ考えさせられました(以下略)」
とありました。
後輩よ。
こんなブログを読んで、ものを考えるな。
このブログで得られるものは一抹の寂しさだけです。
ブログ“業務日誌”は、業界の荒野にはびこる雑草を目指しています。
今日、トシオさん宅にケアプランを届けて、ついでに色々と話をしてくるつもりだったのですが、緊急の用が出来てダメになってしまいました。
おかげで明日のトシオさんとの対決(ナマホCWを交えての面談)も保留。
トシオさんが眼鏡を購入するために眼科受診をし、見積もりなどを区ナマホ課に提出しにいくのをつかまえて、そのまま話し合いに持ち込もうというハラだったのですが、トシオさんはどうあっても私とリリーさんとナマホCWを同席させたくないようです。
色んなウソがバレて、自分の立場が悪くなるのを怖れているんですね。
そこで私もナマホ課に電話で打ち合わせして、トシオさんが区役所に顔を出したらすぐに出かけるようスタンバイして待つことにしました。
予定では、来週トシオさんとリリーさんが区役所に行くらしいことはわかってます。
トシオさんを追い詰めることはせず、しかしこれ以上誰も騙されないように見張ります。
今日、トシオさん宅に行くはずだった時間、私は利用者ショーヘイ氏宅で、ショーヘイ氏の吐いた血の海の中で、必死に心肺蘇生をしてました。
朝、ひがしデイケア職員から、ショーヘイ氏を迎えに行ったが未応答ですと連絡があり、家族に連絡をとって、隣家に鍵を借り、隣家のご主人に立会いをお願いして一緒に自宅に入ったところ、ショーヘイ氏が居間のフローリングの上で、自分の吐いた血だまりの中に顔を突っ込んで、うつ伏せに倒れているのを発見しました。
呼吸もない、脈もふれない、しかも冷たい。
すぐに救急車を呼び、到着するまで胸骨圧迫心臓マッサージ。
…すでに亡くなっているのは明白だったのですが、それでもなお、肋骨が折れるかと心配しながら必死で続けました。
一応救急救命講習とか受講したし、アタマでは理解しているつもりだったのですが、いざとなるとてんでダメですね。
大好きな利用者さんでしたが、本音を言えば死んだ「人」に触れるのが怖かった。
で、気付いたらめそめそ泣きじゃくりながら心臓押してました。
2年前にBLSのABCとか講習を受けたときは、
心臓マッサージ30回毎に人工呼吸を2回行う。人工呼吸をすばやく行い、心臓マッサージの中断時間を10秒以内に抑える事が重要。2人以上いる場合はこの30:2の心肺蘇生を1サイクルとし、5サイクル毎に心臓マッサージと人工呼吸を交代する。
と習ったのですが、消防隊の救急救命士の方によると、
「それ、去年の9月頃に改正になりましたよ」
だそうです。(参考までに)
今は、心臓マッサージ15回のみ。
救急車到着までこれを繰返す、とされているとか。
血液などを吐いて倒れている場合、感染症などの危険があるためとのこと。
しかし、たとえどちらにせよ、私にはあの場で人工呼吸をすることは出来なかったと思います。
結局、救急車が到着し、本物の救急救命士による心肺蘇生処置ののち、救急車に同乗して病院へ。
ERで状況説明をして、家族の到着を待ち、方々へ連絡。
家族が到着してからは、混乱されているご家族にただ付き添い。
検査の結果、脳内出血が原因と判明したため変死扱いにはならず検死もなし。
また発見時に隣家の方とふたりで確認したことがよかったのです。
駆けつけた警察官からも「帰ってよし」と言われて少しホッとしました。
あとはご家族にお願いして辞去。
前日はデイケアで、金曜日の訪問のアポをとったのに。
「ヘルパーさんはどうですか?」
と聞くと
「うん、もう家族同様よくしてくれるよ」
と。
「デイケアではどうですか?」
と聞くと
「何もかもが楽しい。リハビリの連中もいい若者ばかりだ」
と。
福祉用具の相談員のことも、デイ送迎車の運転手のことも、配食サービスのお弁当のことまでも
「万事よし。本当にありがとう」
と答えて下さっていた、かわいい方でした。
病院は3ヶ月を過ぎて退院となり、老健では薬が高すぎて何軒も入所を断られ、在宅復帰を決心されてから限度額超のサービスを組んで頑張ってこられましたが、自分の計画に過不足がなかったか、在宅に戻ったことは正しかったのか、と今少し後悔しています。
「父はハリケンさんに本当に感謝していましたよ」
と言って下さったご家族の言葉に救われる思いです。
デイケアにて、ショーヘイさんが最後に書いた赤い花の絵の絵手紙。
その横には
近く会えると思います
の文字。
先に亡くなった奥様への言葉だったのでしょうか。
デイケアのナースは思わず泣いてしまったそうです。
ただただ寂しいです、ショーヘイさん。
どうか安らかに。
なぜだか「あ、この人に見つけて欲しかったのね」
「この人に最後に会いたかったのね」と思うことがよくあります。
ショーヘイさんはハリケンさんに見つけて欲しかった。
そんな気がします。
奥様に会いに、紅い花を持っていらしたのですね。
きっと奥様がお迎えに来てくれたのでしょうね。
ご冥福をお祈りいたします。
私も涙が・・・・
ショーヘイさんのご冥福をお祈りいたします。
朝から泣けてくるじゃないですか。
こんな場に遭遇することはあり得ることと、
ケアマネとして覚悟や準備が必要なのはわかっているのに
実際には亡くなった方に触るのが怖かった、
その場から逃げたかった。
そんなシーンに組み込まれたくなかった。
そんな自分が情けなくて、泣くのもなんだか申し訳なかったのです。
でも、なーちゃさんのコメントのおかげで、やっと
ただこの利用者さんがいない寂しさに純粋に
泣けてきました。
ありがとうございます。
ガラじゃないけど…
いくらケアマネでも慣れることなんて出来ない。
慣れられなくてもいいですよね。
でもショーヘイさんは本当にハリケンさんに感謝しておられると思いますよ。
同じようなシチュエーションを経験した私ですが、うまい言葉が見つかりません。
ただただご苦労様です。
私はオチャラケ介護士でしたので、こういう経験は初めてでした。
施設では呼べばナースが来てくれたし、在宅でも危険な状態の人はいても、亡くなっている人というのはありませんでした。
こんなに、こんなに怖いものとは思わなかったです。
今思うと、ショーヘイさんの所在がわからないことをご家族に連絡したときに、仕事中だったご家族が
「これから見に行ってみようかしら」
と言われたにもかかわらず、
「いいえ、私がちょっと寄ってみます」
と引き受けたことで、あんな辛い場面をご家族が見つけずに済んだのだ。
それだけでもよかったのだと思う…私にとってはそれほど怖かったです。
一昨日の夕方。
その時、ふとその人の事を思い出し、「明日、顔見に行こう」と思っていました。
昨日、朝に逝去の報告を受けて、お顔を見に自宅へ伺いました。
静かに静かに、休んでいらっしゃいました。
看護師のとき、当直で「私が看取るから」そう声掛けしたその晩に、亡くなった方がおられました。
反対に、普段仲良くしていたのに、最後の日にはお逢いできなかった方もおられました。きっと、別れのときを見せたくなかったんだと思います。
おかげで、未だにその方が生きている・・・そう思えます。
最後はその方の意思が働くのではないか、そう思う時があります。
ショーヘイさんは、ハリケンさんに最後看取ってもらいたかったんだと思いました。
いつまでの覚えていてほしかったんじゃあないでしょうか?
ショーヘイさんのご冥福を、お祈りいたします。
そんな当たり前のことに、これまでは気付かないフリをしてきたように思います。
ショーヘイさんには、それを教えられました。
どの利用者さんともきちんと関わっていなくてはダメですね。
まだ心の中では整理できていないけど…これから少しずつ。
時折思います。
そういう意味では「ありがたいなぁ」と思うこともあります。
そう思わせてくれるご利用者様ばかりではないのが
現実ではありますが。
いずれ誰かのお世話になって生きていくのなら
「この人の人生の最後の一幕にご一緒させてもらえて
とっても楽しかった」
といってもらえるばあちゃんになりたいです。