Takekida's log

千里の道も一歩から

選択の科学 -選ぶことこそ力につながる‐

2011-11-05 22:24:24 | Books
やっとマラソンの筋肉痛も抜けてきました。
11月末に会社で駅伝がある以外は特にレースの予定は無いのでしばらくは子育てと体を作る時期に当てたいと思います。

選択の科学
クリエーター情報なし
文藝春秋


なんでも選択できる方が良い、選択肢も多いほうが良いと思うのは自然なことだと思いますが必ずしも全ての人にとって幸せではなく弊害をもたらすこともあると言われたらどうでしょう。 確かに選択が多いということはその分決断を迫られるわけで選んだ選択肢を内省した時、後悔を感じることも増えるでしょうし選ぶのがストレスになると言うこともあるはずです。 選択することは自分の意思を示すということで人生の中、重要な分岐点となっていることも多いと思います。 そんな選択にまつわる人間の特性の研究をまとめたのがこの本です。 筆者はコロンビア大のビジネススクールの教授ですが厳格なシーク教徒で盲目の方です。シーク教徒とのことですべてが厳格に決められ切るものから結婚相手まで決められていたという逆に「選択」のない人生を過ごしていたというのが意外な点。
であるからこそ選択することが力であると教えられているアメリカでの生活の中で選択する意味について深く考えるようになったのでしょう。

内容の抜粋…
社長など選択の余地のある人ほど長生きする確率が高い、動物園でも選択できない動物たちは野生の動物に比べてh利金寿命は少ない…が原理的な宗教、社会体制にいる人たちほどうつ病の割合は低い。
品揃えを増やすと逆に売り上げは落ちる、他人と同じに見られたくないため不合理な選択をする。
・・・などなど

日本も昔と比較すればはるかに選択肢が増えているのかと思います。ただアメリカのように常に自主性が重んじられ選択することが責任につながる風土で生きている国民性の違いもあり、日本では少なからずいきづらさを感じる人が増えているのも事実かと。これは東ドイツの例など急速に資本主義がもたらされた国やロシアのように急に選択肢が増えた国でも起こる問題とのこと。 ただこれからも日本の社会は選択肢が極端に少なくなることはないでしょうし、社会がますます個人化してあらゆるものに対して自己責任を求める風潮は収まることはないでしょう。ということは個人として情勢を的確に判断し、自主的に考えて選択肢に対して決断を下せるような人がこれからはさらに重宝されていくことは間違いないように思います。ただ見方を変えれば選択するのも個人の力だけでなく社会とのつながりの相対関係で成り立っているという視点もあるかと。 選択で幸せになるためにはまず選択そのものを考えてみるというのもいいと思います。 
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2 Comments

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選択 (まっつん)
2011-11-05 23:22:28
最近、読んだ本に自分が選択したものに価値を感じる、とありました。選択できないことは楽かもしれないけど、やっぱ人生は自分で選びたいですね。
 どういう人生を選択しても、社会とは関わるわけなんで、少なくともフィーリングの合う世界にいるって大事だと想います。合わないと想ったら勇気を出して辞めるという「選択」も大事に感じます。
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Unknown (たけきだ)
2011-11-06 20:12:27
認知バイアスの1種に当たるものですね。ユーザーレビューもある程度はそういったバイアスが入っている可能性があるので注意が必要だと思います。
自分が環境に合っているかを見極める感覚と言うののも確かに重要ですね。そして次に飛び込む合っている環境と思われる環境の見極めも重要かと。 人によって環境に対する守備範囲は違うように思いますがどんなところでもやっていける人というのが能力が高いという一つの指標なのかもしれません。ある意味、鈍感である力なのかもしれませんが。
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