幸福維新の志士となれ <幸福の科学>

国難打破から、いざ、未来創造へ

Pray for JAPAN

 

頼れるどころか、もはや「有害」な日本の震災報道

2011年03月18日 | ニュース・報道
2011.03.18(Fri)  JB-PRESS烏賀陽 弘道

3月17日午前0時40分。今、この原稿を東京の自宅で書いている。3月11日金曜日午後2時46分(東日本大震災発生)以来、この国がもう後戻りのできない別の時代に入ってしまったことを刻一刻感じている。

 マグニチュード9.0の巨大地震。大津波。原子力発電所事故。どれ1つとっても「国難」級のクライシスが3つ、束になってやって来たのだ。これ以上深刻な危機は「戦争」か「大規模テロ」ぐらいしか思い浮かばない。

 今後の日本の歴史は「3.11以前」と「3.11以降」に分類されるだろう。そういう意味で「2011年」は、「1868年」(明治維新)「1945年」(敗戦)に続く日本の現代史の分岐点になるだろう。

(中略)

新聞報道では、まるで「チェルノブイリ並み」

 率直に言おう。私は日本の新聞やテレビ、ネット報道をいくら見ても、東京から退避した方がいいのかどうか、分からない。「検出放射線量は○△シーベルトでした」とか「半径10キロで待避指示が出ました」とか、いつもの調子で発表数字をそのまま電話帳のように書き写して記事にしてもらっても、困るのだ。

 一例。朝日新聞3月13日日曜日朝刊は、同原発の爆発の第一報で「広域避難はチェルノブイリを思い起こさせる。しかし、この事故と直接比較できない」(1面。竹内敬二編集委員)と遠回しな表現だが「チェブノブイリのような核物質が放出されてまき散らされるような事態にはならない」と言っている。「最悪の事態回避へ懸命」という応援団的な見出しからも「安心してね」というメッセージを送っている。

ところが、2日後の同15日火曜日夕刊1面で、同じ竹内編集委員が突然豹変する。「最悪の事態に備えを」という見出しで「極めて深刻な放射能放出が始まった」と切り出し、「すでに福島第一原発の敷地周辺では非常に高い放射線量が検出されている。今後、1986年の旧ソ連チェルノブイリ原発事故と比較して語られることになる」と、それまでの論調を一変させ、「これはチェルノブイリ並みの事故だ」と言い出し始めたのだ。

 その夕刊はご丁寧にも、1面の反対面である12面を全部つぶして「放射線から身を守るには」という大見出しで「窓閉め換気扇停止」「服をポリ袋へ」「ぬれマスクを」「風は南東から北西へ 東京、今夜一時雨か」と、これはもう「放射能が降り注ぐ」ことを前提にした「防災広報」である。

 「40万人が疎開 被曝死推計4000人」と「チェルノブイリ事故」の記事が「放射能汚染マップ」つきでデカデカと並んでいる。この新聞を読むと「福島第一原発事故はチェルノブイリ並みの放射能汚染がまき散らされる」と理解しない方が不思議だ。

 この「夕刊4版」が、首都圏に配布されるバージョンであることを、私は新聞社勤務の経験で知っている。つまり、朝日の紙面を作った人間は、福島県や茨城県の読者だけでなく、東京の人間も「放射能から身を守るには」という情報を知るべきだ、と考えて印刷、配布しているのだ。

 首都圏の人間が「放射線から身を守るには」という紙面を読まされた時、どう思うだろう。当然「福島第一原発の放射能物質は、東京にも降り注ぐのだな」と理解するに決まっているではないか。

 私は仰天し、焦った。周囲に電話(それもつながりにくい!)やメールで聞いても、15日の夕刊配達以降、誰もが「もうヤバい」「最悪の事態だそうだ」「会社が休みになったら東京を出る」と浮き足立っているのが分かった。私は京都の母親に「そっちに行ってもいいか」と言うべきかどうか、携帯電話の登録番号を何度も呼び出してはやめた。

フェイスブックで入手したアメリカ海軍からの情報

 しかし、何かが矛盾している、何かヘンだという感覚がどこかに引っかかった。というのは、原発の地元・福島県に出した政府の避難指示が「原発から半径20キロメートル以内」(後に30キロメートル以内に拡大)だったからだ。

  原発から東京都心までは200~250キロメートルである。もし、朝日が言うように東京に放射能物質が降り注ぐなら(「東京は雨」とまで、ご丁寧に天気予報まで掲載してくれているのだ!)、政府はもっと避難指示の範囲を拡大するはずではないのか? 政府は事故の被害を少なめにしか公表していないのではないか? それとも朝日が重大なミスリードを犯したのか?

 ここで読者は混乱する。どこまで信用できて、どこからは信用できないのか、さっぱり分からない。これがまさに、疑心暗鬼の始まりなのだ。

 この猜疑は、他の報道も含め「東京電力の不手際」「政府の危機管理の甘さ」といった批判によって増幅される。つまり、「政府・東電は何か深刻なことを隠しているのではないか」という疑いが膨らみに膨らむのだ。

 さらに「米軍空母ロナルド・レーガンが基準以上の放射線を検知し移動した」などと「状況は悪化している」と示唆する報道だけはどんどん届いてくる。

 結局、私は日本の報道を信頼することをあきらめた。どれも似ているので、多様性がないから判断材料がないのだ(この問題はまた次回以降検証する)。

 そして、思い詰めたあげく、アメリカ海軍に勤務する友人がフェイスブックで連絡が取れることを思い出し、「ロナルド・レーガンに何が起きたのか、情報がないか」と聞いてみた。

 すると、そのスレッドに、別のフレンドが「心配しないでください。状況は大丈夫です。アメリカの報道はどれも誇張しすぎです。ウォールストリート・ジャーナルのこの記事は信用できます」とリンクを教えてくれた。

 この人はフレンドのフレンド、面識はない。かつてフレンドリクエストが来て、よく確かめずに承認したスノーボーダーの兄ちゃんである。だが、よくプロフィールを見たら「アメリカ海軍情報部」とあるではないか!

 続いて同じスレッドに海軍勤務のアメリカ人が続々と投稿し始め、そこからアメリカはじめ、英語のリンクを回った結果「今のところ東京は心配しなくていい」という感触ができてきた。

各国政府の見解から危機の程度を判断すると

 16日になって、東京にいるアメリカ人の音楽仲間がフェイスブックに投稿したポストに「東京のイギリス大使館が発表した首都圏への放射線の影響」という英語のリンクを偶然見つけた。

 結論は、「チェルノブイリ級の事故になることはまずない。なっても汚染物質が降るのは半径30キロメートル程度」とあるではないか。あまつさえ「首都圏のブリティッシュスクールは休校すべきか」という問いに「地震や津波を別として、被曝の心配なら、その必要はない」とまで言い切っている。「今回の事故をチェルノブイリに例えるのは、完全に間違っている、と強調した」(イギリス政府主席科学顧問のジョン・ベディントン氏)。

 (日本語の要旨はこちら。イギリス大使館のサイトはこちら

 ここから、芋づる式に東京の被曝の恐れについて、アメリカ政府の見解、オーストラリア政府の見解がネットで見つかった。

 見解はどれもほぼ同じ。「チェルノブイリみたいな事故にはならない。なっても首都圏は安全だろう」という話だ。しかも、よく見ると「チェルノブイリ事故でも、人間が住めなくなるような危険レベルに達したのは半径30キロ以内」とあるではないか。朝日の記事は一体何だったのだろう。

 私はこの情報を日本語でツイッターに書いておいた。すると、みなさんよほどこの種の正確な情報に飢えていたのだろう、たちまち200以上リツイートされて「ありがとう」メッセージが洪水のように押し寄せた。「英語原文」を投稿したら、これまたボランティアで翻訳してくれる人が次々に現れ、あっという間に日本語版が流れ始めた。

 こうして、フェイスブック~ツイッター~英語ニュースサイトと渡り歩くうちに「まだ東京脱出の必要はなさそうだ」という感触だけは掴めた。やれやれである。

危険の程度を正確に評価せず、取材もしない日本メディア

 しかし、大迷惑なのは「チェルノブイリに備えよ」みたいな朝日の報道だ(他の新聞やテレビも不正確という意味では大同小異)。こうなると「読まないでもいい」などという苦笑ものの失敗談ではない。「読むだけパニックが起きるので有害」ではないか。

 要は、竹内編集委員はじめ、朝日にいる社員記者の人材のレベルでは、今回の事故が首都圏ではどの程度の危険を想定すべきなのか、正確に評価することができないのだ(朝日新聞の編集委員だと言われても、この人物の記事がどの程度信頼できるのか、まったく読者には分からないという事実が、また分かりにくさに拍車をかける)。

 私をはじめ市民は「最悪の事態に備えよ」と書かれた時点で「チェルノブイリ」を思い浮かべる(「あるいはそれよりもっと悪いのかもしれない」という「最悪の到達点」さえ見えないのでもっと不安だ)。

 もし、チェルノブイリを指標にしたいのなら(イギリス政府はそれも「完全に間違い」と完全否定している)「チェルノブイリと同じだ、同じだ」と叫び回るだけではなく「チェルノブイリとは何が違うのか」を取材して併記すればよいのだ。それを同じ紙面に載せて「ここは同じ」「ここは違う」と書いて読者に判断してもらえばいいではないか。

 ちなみに、東京のイギリス大使館は皇居のそば、半蔵門にある。どの新聞社も、取材に行くのにクルマで30分かからない。ご覧のとおり、私でも自宅でデスクに座ってネットをたどるだけで、3つの政府の公式見解を取材できた。「チェルノブイリとはここが違う」という対論を取材するのは、ばかばかしいほど簡単なのだ。つまり、これは「発想」と「意志」の問題なのだ。

 たとえみっともない誤解でも、朝日が「福島第一=チェルノブイリ」と信じるのは勝手と百歩譲っても「両論併記」は報道の鉄則ではないのか。

 ここに、日本の記者クラブ系メディアが抱える宿痾の腐臭がまた漂ってくる。彼らはあまりに「日本政府発の情報偏重」であり「国内情報偏重」である。外国の「政府公式情報」ですら「チェルノブイリはありえない」と断定しているのに、視界から落ちてしまう。

 日本政府や東電の発表を押しのけて、外国政府の見解が1面トップでもいいではないか。自分で判断できず、公式情報に頼る手法でも、それくらいはできる。なぜそれほど日本政府情報を世界の公式情報の中でも偏重するのか。

 この生死がかかったクライシスに、何という劣悪な報道だろう。平時なら「ミスリードでしたね」とへらへら笑って許しているかもしれないが、これは戦争並みのクライシスなのだ。生死がかかっているのだ。この愚劣な報道は有害ですらある。

 もう一度言う。クライシスに市民のために役立たない報道など、何の存在価値があるのだ。

日本の奇跡は終わっていない(英・フィナンシャルタイムズ)

2011年03月18日 | 災害・事故
友人たちが過去数日間のエピソードを語ってくれた。地震の当日は何万人もの人がオフィスに泊まり、何百万人の人が蟻の行列のように何キロも歩いて自宅に帰った。

 月曜になると、電車の運行が限られていたにもかかわらず、大勢の人が何とかして職場に戻ってこようとしたという。

 停電や次の大地震に備えて、トイレットペーパーや電池、豆腐がなくなった棚もあるが、人々が買う量を1人当たりパン1斤、牛乳1パックに自主制限しているところもある。日本を知る人、工場で働く従業員や細かな作業に取り組む職人を見たことのある人にとっては、どれも励みになる話だ。

 日本はその国民以外にほとんど天然資源を持たない国だ。日本の奇跡を生み出したのは彼ら日本人であり、また、世界がこの国の経済停滞にうんざりし、幻滅した時でさえ、別の種類の日本の奇跡を守り通してきた人々だ。

災い転じて福となす

 筆者がこうして原稿を書いている今も、ホテルは新たな余震で揺れている。今の状況は厳しく、恐ろしい。だが、筆者の頭をよぎるのは、もう定年退職している旧友の緒方四十郎氏が今週教えてくれたことだ。

 彼は「災い転じて福となす」という日本の諺を引用してくれた。英語では、散文的に「make the best of a bad bargain(不利な状況で最善を尽くす、逆境を乗り越える)」と言われる。日本語では、むしろ「災難を曲げて、それを幸福に変える」というような響きがある。緒方氏は、日本がまさにそれを成し遂げられることを願っている。

大川隆法党名誉総裁 緊急提言 ~震災復興への道2

2011年03月18日 | 幸福の科学
※2011年3月15日に収録された大川隆法党名誉総裁の「震災復興への道」質疑応答の要約の一部を以下に紹介いたします。

質問①:東北地方の復興ビジョンについて

個人にお金をばら撒いて終わりにするだけではダメで、しっかりとビジョンをつくるべきです。また、関東大震災のときは、「100m道路をひこう」という案がありましたが、結局できず、戦争で丸焼けになる原因になりました。100m道路をひいていたら、震災・空襲に強かったと思います。

20m以上の堤防をつくったら、景観が悪くなるという人がいるなら、その場合は道路を上げればよいでしょう。強化ガラスを張り巡らしても構わないと思います。いざという時のために、要所要所に津波に負けない建物を建てることも大切です。

ビルで栽培できる野菜工場も考えられないわけではありません。鉄筋コンクリートのなかで流されない農地をつくってしまうのです。世界的に水不足も起きるで、海水を売り物にする技術を研究するといいでしょう。

日本の飛行場は海抜0m地点が多いのですが、今後は防衛的・防災的な観点からも考えておく必要があります。山をくりぬいて、防衛出動、災害出動可能な基地をつくっておくことも、東北なら可能です。また、今回、電気系統がもろさを見せましたので、震災に強いものにする必要があるでしょう。頑丈な筒みたいなもので護って、地下に埋めるなりすることが大事です。緊急時の補助発電も大切です。

空母も震災対策機能が非常に高いことは知っておいた方が良いでしょう。豪華客船以上の力があります。これを今回は考えるとべきときが来たのではないかと思います。景気対策にも役立ちます。


質問②:国家の意義、国家というもの大切さについて

今回の震災で、国が力を合わせないと、難局は乗り切れないことを改めて再認識することができました。国家の部分を空白地帯にしていくのは危険です。沖縄の問題でも、地域主権といって、沖縄が日本とアメリカの仲を悪くするところまで持っていくのは、国家の主権侵害に当たると思います。最近、アメリカの外交官が「沖縄はゆすりの名人だ」など、不適切な発言をして更迭されましたが、「日本の国益というものを考えていない」ということを批判したのだと思います。

価値観の問題は、国の方向を決めるも問題です。何がこの国を護り、何がこの国を発展させるのか、正しさの価値基準を、もう一回再検討するときが来ているのではないかと思います。「少数意見を大事にすることも大事だし、恵まれない人に炊き出しすることも大事かもしれませんが、そうはいっても、やはり、国家・国益のレベルから見れば、「最大多数の最大幸福」を目指すのは当然のことだと、私は思っております。

大震災 非常時シフトに変えよ ばらまき止め全地方選延期を

2011年03月18日 | 消費税・財政問題
2011.3.18 03:06 産経新聞

 日本が今回の未曽有の国難を乗り切るためには、一刻も早く後手の対応から攻めの対応へと態勢を立て直さなければならない。具体的には国家の非常時を踏まえたシフトへの変更である。

 菅直人首相はまず、直ちにマニフェスト(政権公約)を撤回して子ども手当などのばらまき政策中止を表明し、その予算を復興のための財源に充てるべきだ。従来の発想にとらわれていては責務を果たせない。

 ≪子ども手当は復興財源≫

 被災地での統一地方選実施を延期する特例法案が衆院を通過し、きょう成立するはこびだ。だが、今は国民が心を一つにして、救援に当たるべきときだ。被災地以外であっても与野党が争い、選挙カーが候補者名を連呼して走り回る状況だろうか。

 西岡武夫参院議長は全国規模で延期するよう主張した。政府は各選管と協議し、緊急事態における選挙戦の回避を検討すべきだ。

 与野党は来年度予算の成立後、復興費用を盛り込んだ補正予算編成に取り組む必要がある。

 菅首相がマニフェストの見直しを断行しなかったため、予算関連法案は一部を除き成立のめどがたっていない。政府は「つなぎ法案」で子ども手当の支給を4月以降も続けることを諦めていない。非常時に何を優先すべきかを判断できていない。

 子ども手当のほか、高校授業料無償化や高速道路無料化、農家への戸別所得補償はいずれもばらまき批判が強い。大震災でさらに優先度は下がっている。

 子ども手当の中止で約2兆2千億円が浮く。こうした予算を震災復興に回せば計約3兆3千億円が確保できる。民主党内に、子ども手当は来年度の増額分(約2千億円)のみの圧縮にとどめたいとの考えがあるのは耳を疑う。

 阪神大震災では3度にわたり3兆円を超える補正予算が組まれた。今回は当時を相当上回る費用が必要だと指摘されている。的確に対応しなければならない。

 自民党は、ばらまき予算が削減されれば、赤字国債の発行に必要な特例公債法案に賛成する考えも示している。与野党が一致して、相当規模の補正予算の方針を打ち出すことで被災者の不安を和らげ、危機に立ち向かう政府の姿勢を内外に示すことが重要だ。

 当面の緊急復旧対策費に加え、今後の中長期的な復興需要に向けた財源確保も検討しなければならない。復興に関するビジョンを策定し、それを実現する大規模な財源を確保する「復興債」発行なども検討する必要がある。

 政府は大震災発生直後に緊急災害対策本部を発足させたのに続き、原子力災害、電力需給など7つの「対策本部」や「会議」を立ち上げた。菅首相は3つの「本部長」となっている。

 一方、自民党が主張する「震災担当特命相」は置いていない。求められるのは組織の数ではなく、あらゆる緊急事態に対応する的確で迅速な判断だ。

 ≪原発対応の一元化を≫

 福島第1原発が陥っている深刻な事態に対応して、「原子力災害対策本部」と、政府、東京電力の「統合連絡本部」の2つが併存している。そのため、枝野幸男官房長官の発言と東電や経済産業省原子力安全・保安院の発表に食い違いが生じている。対応を一元化し、情報を集約して発表する態勢を整えることが急務だ。

 自衛隊員らは放射性物質に汚染された区域で、被曝(ひばく)の危険にさらされながら作業にあたる。司令塔にぶれは許されない。にもかかわらず、首相は仙谷由人前官房長官を官房副長官に起用した。今頃、そんな人事を行って、司令塔は混乱しないだろうか。

 原発関係国・機関の協力も重要だ。スリーマイル島原発事故(1979年)の経験をもつ米国はいち早くエネルギー省や原子力規制委員会(NRC)の専門家を派遣した。汚染状況を探知・分析する計測機器の提供を申し出ているが、16日時点で日本政府から具体的要請はなかったという。メンツにこだわっていてはなるまい。

 自衛隊ヘリや警視庁の特殊車両が原子炉への決死の注水作戦を進めるなかで、震災の避難所では不十分な医療や寒さで、お年寄りの命が失われている。

 こうした事態を平時の体制で乗り切れないことを為政者と国会は再認識すべきだ。

ばらまき棚上げし10兆円計上を

2011年03月18日 | 消費税・財政問題
慶応大学教授 竹中平蔵

2011/03/18 産経新聞

 東日本大震災は、時間とともに深刻な被害状況が明らかになっている。歴史上類を見ないような大災害に当たり、日本社会全体の対応が世界の耳目を集めている。

 これまで日本は民間人・現場の優れた対応に反し、政治・中枢部門の戦略的対応が劣っていることが何かにつけて指摘されてきた。今回も、各個人のモラルある行動や現場での秩序・相互扶助が海外メディアなどで紹介されている。こうした中で、今まさに、政府の対応が問われる局面となった。

 これまでのところ、概(おおむ)ね過去の災害で蓄積された「マニュアル」に沿ったものとなっている。災害対策本部を立ち上げ、自衛隊を派遣、激甚災害指定などを行った。こうしたノウハウは官僚が十分に持っているが、政治の課題はこれらを十二分に活用しつつ、同時に随所で官僚の対応を超えた思い切った指示を発することだ。検証は今後行われようが、現時点では、(1)記者会見で質問に応じなかったなど総理の国民との対話が十分とはいえない(2)原子力発電所に関する説明が不明確(3)計画停電の発表が遅れその後も交通などの混乱を招いた-点を指摘しておこう。

 ≪絶対に誤ってならぬ原発対応≫

 当面は、被害者の救出、避難者への支援、被害状況の把握が重要となる。また原発問題への対応は絶対に誤ってはならない。そのうえで、物資確保を含む国民生活への影響に注視しつつ復興へ対応することや経済政策が問われる。

 マクロ的に見ると、今回の災害で経済には二つの変化が生じている。第一は東北地方を中心に生産“能力”が低下したこと、第二はそれに伴い現実の生産=所得が減少することだ。これは全国的なもので、首都圏で通勤困難となり生産活動が減退していること、部品調達が困難になり他地域の製造工場が休業に追い込まれていることなど現実化している。実際、首都圏のスーパーやコンビニでも目に見えて品不足が広がってきた。

 需要面では二つの力が働く。所得減で消費・投資が鈍る半面、緊急支出としての消費・投資が進んで、いわば特需が生じることだ。結論からいうと、短期的には特需が生まれるが、中期的には減収で需要も縮小する可能性が高い。

 ≪対策費、阪神大震災の3倍超す≫

 こうした中、当面の政策として求められるのは救済・応急復興予算を遅滞なく計上、実行することだ。阪神淡路大震災の時、政府は3度の補正予算で3兆円を上回る予算を計上した。今回被害の全容が明らかでないので厳密な議論はできないが、大雑把(おおざっぱ)に見積もってもその3倍以上、10兆円を上回る規模の対策費が必要となろう。

 激甚災害指定が行われた結果、国はインフラ復旧のための公共投資で、地方への助成を大幅に拡大することになる。民間への助成では私有財産への補償は難しいが、阪神大震災では瓦礫(がれき)撤去などギリギリの線で公的支出を行った。

 今回も政治決断で踏み込んだ施策が必要だ。民間部門の復興にはもっぱら低利・無利子融資など政策金融を活用することになる。現政権は大きな政府を志向し、全て政府が直接関与する傾向があるが、地域の民間金融機関の活用など柔軟な対応が求められよう。

 ≪増税でなく国債増発で対応を≫

 財源調達手段として、国民に一定の負担を求める構想、つまり増税案が浮上している。だが、所得が少なくなる国民にさらに負担を求めるのは経済の論理に反する。今回のような場合こそ、国債増発で対応すべきである。ばらまきと批判の強い子ども手当などをこの際思い切って棚上げし災害対策に振り向ける政治決断が必要だ。

 増税以前に行うべき政策として寄付の控除拡大も挙げられる。国民の高いモラルと連帯意識を考えれば、税制上の考慮で、相当額の寄付が集まると考えられる。その分、税収減となるが、資金に余裕のある人からの調達であり、そうでない人にも負担を課す増税よりはるかに優れた措置といえる。

 経済正常化後に国民負担を求める、いわば「つなぎ国債」のような工夫はあり得よう。今回の教訓を生かした長期的な対応策もとる必要があり、リスク管理の検証チームを現段階から機能させておくことも、あってしかるべきだ。

 当面の問題は、以上の措置をいつどんな形で実施するかだ。本来なら速やかな補正予算で対応すべきだが、補正予算を組むにしても2週間程度の時間が必要であり、年度末であることを考えると、審議中の来年度本予算との関連が出てくる。与党は本予算を通したうえでの補正予算編成を主張、野党は本予算の組み替えを求める。

 政局より国民生活を優先する観点でいえば、子ども手当の一時棚上げなど大幅な予算組み替えで対応するのが望ましかろう。少なくとも、こうした選択肢の検討を首相は急ぎ指示すべきではないか。その際、使途を定めず国庫債務負担行為(契約など)を可能にする「ゼロ国債」も考慮に値しよう。

 優れた民間の現場と非効率な政府の中枢管理…。こうした日本への評価を払拭できるのか、政治指導者たちの奮起が求められる。