幸福維新の志士となれ <幸福の科学>

国難打破から、いざ、未来創造へ

Pray for JAPAN

 

円高は日本を救う

2011年03月27日 | 消費税・財政問題
2011/03/27 ウォール・ストリート・ジャーナル

ジェフリー・ウッド

 為替市場の急激な乱高下は苛立たしいかもしれないが、大抵それだけのことである。逆に政府がその短い混乱に反応すると、長期的な影響を及ぼすこともある。主要7カ国(G7)が円高抑制目的で先週実施した協調介入は、まさにそのいい例だ。

G7は、円相場の「過度の変動や無秩序な動き」―例えばドルに対する急激な円高など―は、「経済及び金融の安定に対して悪影響を与える」と述べた。しかし先進国の財務相は、自然な円高の流れを止めることで、東日本大震災で打撃を受けた日本から復興のチャンスを奪い取っているのである。仲間の国にダメージを与える政策に、その国からお墨付きを得た上で合意するなどというのは、G7としても初めてかもしれない。

 投機筋が1995年の阪神淡路大震災の経験をもとに円高を見込んで円買いに走っていると言う人もいる。阪神淡路大震災の後、保険会社は保険金支払いのために円を大量に買わなければならなかった。それにより、もちろん円は上昇。この説によれば、投機筋は将来の需要に便乗するために円を買っていることになる。ただ、この見解が正しかろうと間違っていようと、政府と中央銀行が経済政策全体を考慮すべきであることには変わりない。そして現在の状況下での政策は、日本経済のために円高を支持すべきなのである。

 まず、震災が日本製品の需給バランスにどのような影響を与えたかを考えて欲しい。日本はより多くの―それもかなり多くの―物資を必要としており、海外も今まで通り日本製品を必要としている。もちろん生産能力の大部分が震災の被害を受けたので、供給が激減した一方で需要が増加していることになる。そして日本製品が外国製品よりも不足し出すと、価格は必然的に上昇するので、円もドルやユーロに対して上昇することになる。

 投機筋が円の価値を吊り上げていると非難する人は、円高が日本にとって大惨事だと考えている。だが、円高は日本復興の妨げになるだろうか。円高反対派は生産の落ち込みを心配している。通常、需要の低迷が生産に影響するが、最近の日本は外需に頼ってきた。もし日本製品に対する外需の落ち込みが問題なのだとしたら、円高は確かに回復を遅らせる。

 しかし今回は状況が違う。日本のGDPは低下するだろうが、それは国内供給の落ち込みによるものである。その場合、食品や建設資材などの日本向けの供給を増やすことが重要になる。現状では、日本は出来るだけ物資を国内で消費し、輸出を最低限に留めたいだろう。そのために必要なのは輸入だ。円高は輸入コストを下げ、より多くの製品やサービスが日本に入りやすくする。

 早急に物資が必要な日本にとって、為替介入は危険である。介入は調整速度を緩やかにし、相場のボラティリティーを下げるという主張もあるが、逆に今は調整が早い方が日本に物資が入るのも早まる。ボラティリティーの急上昇は相場が適正な水準を見つける過程の一部であり、そのボラティリティーを下げることは結局相場安定を遅らせるのである。

 中央銀行はまた、介入は外貨準備高の増加に繋がると正当化する。しかし今の日本に他国のドルやユーロル建て資産は必要ない。日本には膨大な円建て資産があり、高い貯蓄率となって現れている。成長がこの先減速するかどうかに関わらず、今こそこの余剰資産を使う時なのだ。貯蓄を使えば、差し当たり収入に頼らなくて済む。日本が外国から容易に借り入れることができるかどうかは問題ではない。この貯蓄のおかげで、為替変動が資本の移動を低下させるという説―もともと正当性が怪しいが―は意味がないのである。

 もしこの為替変動が国内銀行システムの懸念材料となりパニックを引き起こす可能性まであるのであれば、日銀は流動性を提供するというお馴染みの方法で手を貸せばよい。しかし、流動性は一時的なもので、根本的に資本損失を解消することにはならない。海外の銀行や他の金融機関に資金を出してもらう方がよりよい策である。

 結果として、円高はこの悲劇からの復興に役立つだろう。G7は為替市場にその手を委ねるべきである。

(ジェフリー・ウッド氏は英カス・ビジネススクールの経済学名誉教授およびバッキンガム大学の金融経済学名誉教授)

「独善」「場当たり」の首相 大震災に現れたヒトラーの亡霊

2011年03月27日 | 民主党政権
2011/03/27 産経新聞

 北澤俊美・防衛相(73)の好きな言葉に「文民統制=シビリアン・コントロール」があるが、生半可に理解している節がある。アドルフ・ヒトラー(1889~1945年)は第二次世界大戦においてドイツ国防軍や親衛隊を指揮・統率したが、ヒトラーは「文民」であるからして、独軍は「文民統制」されていたことになる。そのヒトラーの指揮・統率ぶりはつとに知られる「独善的」に加え、意外にも「場当たり的」面も少なくなかった。「独善的」「場当たり的」といえば、東日本大震災における最高指揮官・菅直人首相(64)の“指揮・統率ぶり”そのもの。国家危急を前に、とんでもない指導者が現れる歴史の悲劇は、世紀をまたいで繰り返される。





 ヒトラーによる「場当たり的」指揮・統率の背景に、自身が持つコンプレクスがある-という分析は興味深い。ヒトラーはドイツが誇る軍参謀本部に陣取る参謀からの戦略・戦術・作戦について進言を折々に、意識的に退けた。将校は原則として、士官学校を皮切りに、昇進する度に各学校・教育課程に入校を繰り返す軍事のプロ。中でも参謀本部の参謀はえり抜きのエリート集団である。その情報収集・分析力はヒトラーの及ぶところではない。しかし、ヒトラーはあくまで我を貫いた。第一次世界大戦(1914~18年)では、大日本帝國陸軍でいえば兵卒最上位の兵長か、次位の伍長勤務上等兵に過ぎなかったヒトラーの、エリート将校への反発は、尋常ではなかったとも言われる。

 例えば第二次大戦(39~45年)で、参謀本部はフランス東部の独国境沿いに構築した堅牢な仏軍マジノ要塞群(線)の突破は不可能と判断し、仏攻略に消極的だった。ただし、消極的ながらも参謀本部は、第一次大戦前にドイツ陸軍元帥アルフレート・フォン・シュリーフェン伯爵(1833~1913年)立案の「シュリーフェン・プラン」を応用した作戦を、ヒトラーに進言した。原案は、ロシアをにらむ東部戦線には最小限の寡兵で警戒し、西部戦線右翼の主力はベルギーの中立を侵犯、旋回を強行し、北仏に回り込んで、仏軍などをマジノ線背後で殲滅する-流れを基本としていた。

コンプレクスが自信に

 一方、参謀本部へのコンプレクスに加え、第一次大戦で悲惨極まりない塹壕(ざんごう)戦を経験したトラウマも手伝い、ヒトラーは参謀らの上申を極めて不快に感じ、参謀本部が却下した「マンシュタイン・プラン」を、あえて採用する。「マンシュタイン・プラン」とは、エーリッヒ・フォン・マンシュタイン陸軍元帥(1887~1973年)策定の作戦で“売り”は本来、戦車・重砲の迅速・大量通過が困難とされる森林地帯を突破・越境するという点にあった。参謀本部案が連合軍側に漏洩していた可能性を危惧した面もあろうが、作戦の持つ華麗さも、ヒトラーの気を引いたようだ。

 結果は、作戦の意外性に加え、連合軍側の下策や仏軍の旧態依然の軍事思想、指揮命令系統の乱れなどにも助けられ、マジノ線は破られ、連合軍にダンケルク撤退を強い、パリは短期間で陥落する。参謀本部も予想外と驚く「ほぼ完勝」を呼び込んだ。

 ヒトラーのコンプレクスは自信に変わり、自らを「軍事的天才」と思い込み(否定できない部分もある)、周りもプロパガンダとして流布させた。以後、参謀本部の作戦計画をますます退け、退けては悦に入った。かくして、ドイツは滅亡への速度を加速させていく。

重なる菅首相の脅え顔

 菅首相も大震災以前から「政治/官邸主導」と称して、文民参謀=官僚らの才を無視。政策の落ち度は官僚のせいにした。原発建屋爆発や放射能漏れが現実となるや東京電力も恫喝した。大震災と東電福島第1原発事故の渦中に行った自民党総裁への大連立構想打診にあたっては、盟友の仙谷由人・官房副長官(65)にさえ知らせぬ「独裁者」(民主党ベテラン)ぶりを発揮した。

 軽視され、秘密裏に軍事作戦を立案され続け、恫喝された揚げ句、負け戦の責任を転嫁された参謀本部参謀や一部将軍と、ヒトラーとの関係を彷彿させる。ヒトラーはマンシュタイン元帥の作戦を大きな感銘を持って聴いた後、元帥を下がらせてから側近に語った。

 「ずば抜けて賢明で、見事な作戦立案の才を持っている。だが、私は彼を信用しない」

 信じる者を持たず、孤独で神経質なヒトラーの陰鬱な表情が、わが国宰相の虚ろな脅え顔と重なる。

 ところで、第1次大戦敗戦に伴うGNP(国民総生産)の20年分の賠償金や、世界恐慌によりドイツが大量の失業にあえぐ中、ヒトラー率いる国家社会主義独労働者(ナチス)党は「年金支給額」や「失業保険」を大幅に増大・強化する“公約”を掲げ急成長する。

 衆愚は、いつの世にも「独裁者」の、耳に心地よいだけの、派手さだけが取り柄のパフォーマンスに幻惑させられる。(九州総局長 野口裕之)