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08 08 そこまで言って委員会 保守を真剣に考える

2010年08月08日 | 動画
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中国ダム決壊、続報

2010年08月08日 | 災害・事故
 【大紀元日本8月8日】7月28日。20世紀最大の災害と言われる中国唐山大地震34周忌のその日、南京市の住宅密集地で大規模なガス爆発事故が発生し、人々を驚かせた。一方、同日午前、中国東北部の吉林省樺甸(ホアディエン)市で、ダムが決壊し、下流にある5つの村が洪水に呑み込まれ多くの死者が出る深刻な水害事件が起きた。

 これらの村では、全ての建物が倒壊し、外部につながる道路は全て損壊し、通信設備も破壊され、ほとんどの村民が家を失った。当局からダム決壊の事前の通知がなかったため、多くの死者が出た。現地を訪れた市民記者の統計では、死者と行方不明者は少なくとも200人以上いるという。

 中国国内テレビ放送局の報道によると、溜まっていた400万立方メートルの水が30メートルの高さのダムから流れ出た。その破壊力によって、水の通過地点にあった民家はすべて破壊されてしまった。ある新築の住宅は一瞬で消え、洪水後は跡形もなく、砕けた石だけとなった。

 事件直後、国営新華社は豪雨により洪水が発生、ダムの一部の堤防が決壊し、13人が死亡、32人が行方不明と報じたが、1週間後の8月4日、初めて、「大河ダム」が決壊したことに言及した。現地の3人の幹部が問責により免職されたと伝えた。

 

洪水に破壊された道路と倒れた広告ボード(情報筋の提供)

8月7日、人気紙「新京報」は、樺甸市の水害の真相を調査するため現地に行った記者二人が、前日の午後、樺甸市警察局に拘束されたと報じた。その後釈放されたが、二人の記者によると、取材した録音テープや写真は全て削除されたという。

 同日、新華社は、ダムの決壊で下流にある5つの村が全て呑み込まれたと初めて報道した。現地村民の要求で、市の政府や公安局と専門家が合同で現地に入り、「大河ダム」決壊の真相を調査するという。

 水害後、政府幹部を殴った村民

 現地政府が隠そうとしている事件の真相を、上級部門が調査するように命じたのは、水害後の被災地の村民の怒りによる。

 ダムが決壊するとの警報を、当局が事前に出しておらず、多くの人が避難が間に合わなかった。大河ダムが位置する常山鎮では、洪水が発生した当日、幹部らは観光旅行に出かけていたため、家を失った村民は、死体を安置する場所も、夜を過ごす場所さえなかった。常山鎮では、怒った村民が犠牲者の死体を政府事務室の前まで運んで行き、政府幹部を殴った。

 怒った被災者数百人は、常山鎮政府や常山水利所の前に集まり、政府がいかなる対応もとらないことに抗議した。翌日午後、市の総書記が常山水利所を訪れたが、現場にいる抗議者らを無視した。事務室の中でスイカなどを食べていたところ、怒った村民が事務室に突入し、市政府の幹部らを殴った。

 ダムの決壊に隠された人為的な要素

 全壊した村は、大河村、釣魚台屯、靠山村、小油坊(南河沿)、太平庄村の5か所。ダム決壊後、これらの村民は避難が間に合わず、ほとんどの家屋が倒壊、多くの死傷者が出た。農作物の損失も計り知れない。

 「高さ3メートル以上もある大水が下流へ向かって流れ出し、多くの村を呑み込んだ。大型車両やダンプカーも遠くまで流され、何度もひっくり返っていた」と靠山村の村民が語った。

 5つの村のうち、大河村はダムの一番近くにあったため、死者の出るリスクは一番高いはずだが、現地村民からの情報によると、実際に死亡したのは一人で、ほかの村より遥かに少なかった。

 それには理由があった。

 現地村民の話によると、大河ダムは国の水利局が管理するはずであったが、関係者の汚職絡みで、個人企業である樺甸市城建土地開発公司が管理を請け負った。この個人企業はダムを利用して魚養殖や発電事業をしているが、水利には詳しくなく、ダムの維持を怠けていた。最近連日豪雨であったにもかかわらず、発電と魚養殖のために、増水期に違法に貯水していたという。事故発生当日も、責任者は不在で当直も行方が分からない状態で、水位上昇の報告が間に合わなかったという。

 現地を訪れて被災や事件の原因を調査した市民記者の話によると、7月27日夜、豪雨によるダムの安全を心配する大河村の村民が、ダムを見張る当直者にダムの水位をチェックするよう電話をしたが、当直者は電話に出なかった。心配した村民が実際にダムに行ってチェックしたところ、水位はすでに警戒線を遥かに超えた状況だが、当直者は寝ていた。起こされた当直者は慌ててダムのゲートを上げて放水しようとしたが、水圧がすでに大きすぎたため、ゲートは上げられなかった。

 当直者はすぐに水利局に電話で報告し、水利局のスタッフは午前3時ごろダムに到着した。しかし水利局は、ダムが決壊する寸前にあるとの通知を出したのは、朝6時だった。そのため、下流にある村はほとんど避難が間に合わず、多くの死者を出してしまったという。

 一方、ダムを見に行った大河村の村民は夜中に急いで村に戻り、村全体に通知したため、ほとんどの村民が死から免れた。

 しかしダム決壊の原因は、中国メディアの報道では、停電のためダムのゲートが動かず放水が出来なかったとされている。

 村民が具体的な死者数と行方不明者数を政府に伝えているにもかかわらず、災害発生後、政府各級職員やメディアは現場に来ることもなく、タイムリーな報道もなされなかった。政府の救済チームや救援物資が現地に到着したのは3日後だったという。

 永吉県でダム放水 事前通知なかった

 一方同じ日の7月28日、吉林省のほかの地域でも豪雨によりダムの水位が上昇した。永吉県では、決壊寸前の「朝陽ダム」で放水したため、低地にある鎮村では3階以下の建物は全て大水に呑み込まれた。住民に対し事前の通知がなかったため、多くの死者が出た。

 政府系の報道では、「朝陽ダム」の放水の影響で20人が死亡したとされているが、現地住民の話では死者数はそれを遥かに超えている。同県口前鎮の住民馬さんは本紙記者に、事前の通知は二つの村にしか届かなく、死亡した人数は2千人以上に上るとの見方を示した。

「流された人が多く、土砂に埋まっている人も多い。現在、土砂の中から死者を掘り出している」と馬さんは話す。

 口前鎮のもう一人の住民が匿名で取材に応じ、鎮の古い街で1日だけで死者を載せた十数台のトラックを目撃したという。数人の救援兵が救助活動中、洪水に流されていったとも話した。

 これらの町では現在多くの場所で強い死臭が漂っている。多くの人に原因不明の赤い発疹が出ており、疫病の不安が広がっているという。

(記者・方暁、翻訳編集・日本語ウェブ編集チーム)


          

土石流で80人超死亡 中国甘粛省、2千人不明

2010年08月08日 | 幸福の科学
(産経新聞) 新華社電によると、中国甘粛省甘南チベット族自治州舟曲県で8日午前0時(日本時間同1時)ごろ、豪雨に伴う大規模な土石流が発生し、80人以上が死亡、2千人以上が行方不明となった。中国中央テレビは約70人が負傷したと伝えた。地元当局や軍が行方不明者の捜索活動を行っている。
 胡錦濤国家主席は、捜索に全力を挙げるよう指示し、温家宝首相が現場に向かった。
 舟曲県では7日夜から豪雨となり、集落の一つが土石流にのみ込まれたほか、河川が土石流でせき止められたため周囲の家屋が浸水した。当局は、たまった水を下流に流すため爆破作業を実施した。被災者は5万人に上るとみられ、約1万9千人が避難した。(共同)

【産経抄】8月8日より

2010年08月08日 | ニュース・報道
 75歳で亡くなった稲垣武さんは「週刊朝日」副編集長などをつとめた元朝日新聞の記者である。だがその真骨頂は退社後のマスコミの比較批判にあった。特に「文化大革命」期の中国報道など、朝日の論調に対する批判には容赦がなかった。 

 ▼産経新聞との本格的つきあいは、平成7年9月から約2年半書いていただいた「紙面批評」に始まった。その窓口役をつとめたのだが、産経の北朝鮮報道などを評価しながら、なお不満な点を鋭く指摘される。その揺るぎない視線にはいつも恐れ入った記憶がある。

 ▼もうひとつ、感服させられることがあった。原稿に「剔抉(てっけつ)する」「猖獗(しょうけつ)を極める」「諧謔(かいぎゃく)」など戦後生まれには読み書きできない用語がポンポン出てくる。「あばく」「盛んだ」「ユーモア」などと換えてみても、稲垣さんの文章にはやはり元の言葉がピッタリきた。

 ▼一世代前の新聞記者の教養というものだろう。それに、戦後こんな漢字を放逐してしまった国の文化行政や、これに黙って従ったマスコミへの稲垣さんの批判が込められていたような気もする。根っから反骨精神に満ちたジャーナリストだった。

 ▼平成8年に始まった月刊誌「正論」の「マスコミ照魔鏡」は一昨年6月、病気でやむなく降板となった。その直後、自宅でやはり朝日新聞OBの本郷美則氏と対談した。中身は「なぜ朝日の偏向報道はやまないのか」として20年11月号の「正論」に掲載された。

 ▼稲垣さんは酸素吸入をしながらの対談だったという。憲法9条に依存する朝日を「独りよがりだ」と批判しこう結んだ。「(北朝鮮の日本への武力攻撃を)阻止しているのは九条ではなく日米安保です」。遺言として受け止めたい。

猛暑37度のモスクワにスモッグ発生、視界不良も

2010年08月08日 | 災害・事故
ロシア森林火災、赤の広場もかすむ


2010/08/07 CNN)

モスクワ(CNN) 記録的な猛暑に見舞われているロシアの首都モスクワは6日、森林火災の煙による濃いスモッグで覆われ、その影響で1000万人近くの地元住民がのどや目の痛みを訴えている。このスモッグのため、同市内の名所である「赤の広場」もかすんで見えるほどだという。

スモッグは、郊外の森林地帯の大規模火災の煙が原因で発生したもの。ロシア保健当局によると、モスクワの大気中の一酸化炭素の濃度は許容値の5倍に上る。専門家の話では、大気汚染は一日にたばこを数箱吸った場合に相当するほどの危険な水準に達しているという。

当局は住民に外出を控えるよう呼びかけているが、多くの人たちはやむをえずマスクを着用して出勤している。

煙は集合住宅ビルやオフィスビル、地下鉄の内部にまで及んでいるが、現時点では煙による健康被害の報告はない。

煙のため市内の主要空港上空が視界不良となり、複数の航空便が着陸地の変更を余儀なくされた。

ロシア西部で発生した同地域史上最悪規模の森林火災は今も広範囲で続いており、大規模な消火活動が続けられている。

熱波は弱まる気配を見せず、モスクワでは気温が37度に達したほか、南西部のタンボフでは41度を記録。予報では、モスクワの気温が8日までに観測史上最高となる40度近くに達する可能性もあるという。


   ◆

ロシア火災、チェルノブイリ事故の汚染物質拡散も=非常事態相
2010/08/06ロイター通信

 ロシアのショイグ非常事態相は5日、同国西部で被害が広がっている森林火災を封じ込めなければ、1986年にチェルノブイリ(現ウクライナ)で起きた原発事故により放射能に汚染されたブリャンスク地域で、放射性物質の拡散が懸念されると述べた。



 ショイグ非常事態相は、国営テレビに対し「火災によって放射性物質が(大気中に)舞い上がり、汚染地域が広がる恐れがある」と説明。ただ、それ以上の詳細には言及しなかった。

 また同相は、これまでにブリャンスク地域の2カ所で火災が発生したが、すぐに鎮火したと明らかにした。

 ゴリコワ保健社会発展相によると、今回の森林火災による死者は5日までに50人に増加。猛暑は来週にかけて続く見込みで、6日には最高気温が40度を記録すると予想されている。


鳥が空中から落下 中国各地酷暑 重慶市41℃超 多市で死者続出

2010年08月08日 | 災害・事故
 【大紀元日本8月7日】8月3日、中国では暑さのピークを迎えた。高温となった地域は15省市区に及び、多くの都市では気温が38度から40度を記録した。南西部の重慶市では14の県は連日、平均気温40℃以上が観察され、東沿岸部の山東省や西北部の陝西省は大きな影響を受け、死者続出した情報が報道されている。

 山東省済南市市立病院 一日11人死亡

 中国国内メディアの報道によると、陝西省の西安市では7月30日から8月3日までの4日間で53人が死亡。この中で7月31日の1日だけで17人の死亡が伝えられ、救急車の出動回数はこの日だけでも384回。

 山東省済南市で7月31日の一日、市立第三病院では、屋外で作業をしていた作業員11人が暑さにより倒れ、病院に運ばれた後死亡した情報が伝えられた。

 広東省 暑さで飛行中の鳥が墜落

 広東省清遠市では2日、暑さで力尽き地面に墜落した大型の鳥や道路に這い出し車にひかれた蛇などが相次いで発見された。江蘇省南京市では1日に高温イエローシグナルが発令された。

 河南省鄭州で行われた技術運動会の開幕式では、チャイナドレスを身にまとったセレモニーガールが強烈な日差しに耐え切れなくなり相次いで昏倒。また、最高気温が39.5度に達した上海では現地10万人の速達員が、雇用主が高温手当を支給しないことに対し苦情を訴えたという。

 重慶市 41.3℃を記録

 一方、内陸の最大都市重慶市は7月30日、40の県・区の中、14の県・区で、平均40℃以上の高温が観察され、中でも豊都県では41.3℃を記録した。「中国の死海」と呼ばれる四川省逐寧市大英県のリゾート地では数千人の観光客が室内外のプールや砂浴や泥浴などを楽しんだ。