学芸員のちょっと?した日記

美術館学芸員の本当に他愛もない日記・・・だったのですが、今は自分の趣味をなんでも書いています

高野文子『黄色い本』

2009-11-13 17:26:26 | 読書感想
小説の読み方、あるいは楽しみ方は人それぞれ。私の場合、まずは小説と自分との関係について考えてみることから始めます。そして個々の文章に対しては、この言い回しは巧いなあと妙に感心してみたり、気に入った部分に線を引いて暗記してみる、といった読み方をしています。

今日ご紹介するのは、漫画家高野文子さんの『黄色い本』です。主人公田家実地子は女子高生で、フランスの小説『チボー家の人々』を読書中。家でも、学校でも夢中になって本を読み、登場人物ジャック・チボーと心の中で会話するまでになります。田家の心は、現実世界と小説世界が入り混じるようになり、そこに独特の世界観が生まれる、というもの。こうしたテーマは重苦しくなりがちですが、ほのぼのとした日常、魅力的な登場人物たちをおくことで、一貫してゆるやかで優しい流れができています。高野さんの配した構成に、いつの間にか誘い込まれてゆくんですね。

登場人物と心で会話する。これは自分を客観的に見ることが出来るのではないでしょうか。物事を考えるときの方法として、選択肢が1つ得られるのかもしれません。

高野文子さんの『黄色い本』、とても面白い漫画ですのでオススメです。


●高野文子『黄色い本』講談社 2002年
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日々の生活を楽しく

2009-11-11 19:36:22 | その他
皆様は日々の生活を楽しく過ごすために、どのようなことを意識されていますでしょうか。私の場合は、モノにこだわることで毎日を楽しく過ごしています。

例えば、職場では革のペンケース。これはただのペンケースではなく、ある版画家さんの個展へ見に行ったときに一目ぼれして購入したもの。なんと、革に赤ワインで模様が摺ってあるのです!まさか赤ワインで革に摺れるとは驚きでした。性質上、手触りがとてもいいんですね。もったいなくて使えない…と最初は思っていましたが、ペンケースも使われることこそ本望と思っているに違いない、と思い、ようやく使うようになりました(笑)

家では茶碗や小皿、湯のみ、おちょこなどなど。これぞ!というのに出会えるまで、ひたすら探すので、どれも愛着のあるものばかりです(笑)山形県の平清水焼、茨城県の笠間焼、栃木県の益子焼などがあります。岡山旅行の思い出、備前焼もさわり心地がよくて、いつも緑茶を飲むのに使います。また、プレゼントで頂いた秋田県の楢岡焼の小皿も深いブルーが素敵で、食卓ではおひたしや梅干を乗せて使います。

どれも共通するのは、使い込めば使い込むほど味が出ること。モノが成熟してくるとでも申しますか。こうした自分で選んだモノに囲まれることこそ、私にとって楽しい生活なのです。大事にしますから、長持ちもしますしね!何気ないことですが、私の楽しい生活の話でした。
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塵も積もれば山となる

2009-11-10 19:38:29 | 仕事
今日も引き続き暖かい一日でした。この陽気がずっと続いてくれれば!(笑)

さて、博物館、美術館の機能は、調査研究、作品収集、展示、保存・保管の4本柱からなります。博物館概論で最初に学ぶことですね。けれども、日常業務では、なかなか調査研究に時間を割けない現実があります。他の学芸員の方に伺っても、同じようで、とくに小規模の博物館、美術館では、その傾向が強いようです。

けれども、時間が無いと嘆いていてもことはさっぱり進まない。無ければ作る!そこで日常業務のスピードを上げることで、なんとか調査研究の時間を捻出しようと心がけました。パソコン起動と同時にファイルが開くように設定する、ブラインドタッチやショートカットキーをマスターする、ちょっとした外出のときには歩きながらデザインの案を練ったり、論文を考えたりする、帰宅前に明日の予定を立てて見込み時間をつける、それをもとに翌朝は猛スピードでやるなどなど…それで一日1時間の調査研究時間を捻出しました。単純計算で一ヶ月間30時間ですから、塵も積もれば山となる!

ただし、調査研究で得たものを自分ひとりで囲うのではなく、展覧会や論文、講座などに生かして、多くの方に美術の世界を楽しんで頂くことこそが最も大切なこと。常に心に留めて、明日もまた日々の業務にしっかり取り組みます!
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芥川龍之介『西郷隆盛』

2009-11-09 20:06:00 | 読書感想
今日は11月とは思えないほど、暖かい陽気!おかげで洗濯物がよく乾きました(笑)

久しぶりに芥川龍之介『西郷隆盛』を読みました。「僕」が、大学の先輩で維新史の研究者である本間から聴いたという話で小説が進みます。京都へ維新史の研究に行った学生時代の本間は、帰りの列車で奇妙な老紳士と出会う。老紳士は本間に対し、維新の史料は怪しいものが多いから用心してかかるよう警告します。続けて、西郷隆盛は西南戦争で戦死していない、とも。突拍子も無い言葉。本間が老紳士に疑惑の目を投げかけます。すると老紳士は、西郷隆盛はこの列車に乗っている、今は疲れて寝てしまっているが会わせてあげようと本間を車室へ誘います。半信半疑の本間。彼が車室で見たものはなんと…。

芥川には珍しいミステリアスな小説。小説の手法をとりながら、歴史史料の扱いについて見識を述べています。

「歴史上の判断を下すに足るほど、正確な史料などというものは、どこにだってありはしないです。誰でも或事実の記録をするには自然と自分でディテエルの取捨選択をしながら、書いてゆく。これはしないつもりでも、事実としてするのだから仕方がない。」

歴史の研究、これは史料と物証による構成によって論じられると思うのですが、タイムマシンでもない限り、我々は完璧な史実をつかむことはできないと言えるでしょう。あくまで現時点ではこの説が有力である、に留まるわけです。そして信憑性が高いと思われる新史料が登場したら、歴史が更新されていくんですね。歴史が更新される、という言葉もちょっと変ですけれども。

史料はまずは疑ってかかる。私の場合もそうですが、例えば物故画家の日記、回想、考え方などを著した本を読んで、それを文章どおり受け取っていい場合と、そうでない場合があります。その見極めがなかなか難しい。画家がユーモアを交えて冗談半分に書いたものを、大真面目に捉えてしまうと、画家のイメージがまるっきり違うことにもなってしまう、なんてことにもなってしまいます。慎重になりすぎることはない、といえるのでしょう。

『西郷隆盛』は短編小説ですが、話はどこまでも広がりそうです。果たして、本間が見た人は一体誰だったのか…気になる方はぜひ読んでみてください!

●芥川龍之介『蜘蛛の糸・杜子春・トロッコ 他17篇』 岩波文庫 1990年
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シェリーで乾杯!

2009-11-08 22:48:07 | その他
今日は美術館スタッフのみんなとお酒を飲んできました。ですから、今はほろよいなのです(笑)

私は初めてシェリーを飲みました。飲み口が良くて、美味しい!お店のオーナーがシェリーにはチョコレートがあいます、とオススメしてくださったので、チョコを食べながら飲むと、おっしゃるとおり、とても心地良くなります。そのあとブランデーを飲みながら、チョコレート。贅沢なひとときでした。

明日はお休み。のんびりと楽しみたいと思います。それではおやすみなさい!
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本は朝向きか夜向き

2009-11-07 22:22:33 | 仕事
今日はとても天気のよい一日でした。ここのところ、ずっと晴れが続いているので、何とも嬉しい限りです。

さて、近頃は情けないことに本を読み出すと眠くなってたまらず、ちょっと休憩しようと横になると、そのまま熟睡する始末です(苦笑)気持ち良く眠れるのはいいのですけれども、ちょっとこまったもの。

何の本だったか失念しましたが、本にも朝向きと夜向きがあるんだそうです。ちなみにフローベールは夜向きなんだとか。わかるようなわからないような。私の場合、朝向きの本はやや難解なもの、論文関係を読みます。朝は頭も冴えていて考えるのに適しているそう。また、詩や日本の古典を読むときも朝です。このジャンルは夜に読むとそれこそ眠くなってしまいますので…(笑)

夜は教養の小説の時間。好きな本を手にとって、あれこれ読んでみる。画集を見るのも夜です。リラックスして…だから途中で眠くなって、寝てしまうんですね。

今宵もだいぶ夜が更けてきました。また本を読んで、ゆっくりと熟睡したいと思います(笑)
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湯豆腐を食べる

2009-11-05 20:54:38 | その他
すっかり寒くなりましたね。今晩の夕食は、湯豆腐にしてみました。昆布でだしをとって、葛きりとお豆腐を入れる。程よく経ったら、ポン酢でいただく。とても簡単ですけれども、美味しいですね!体が温まります。

私は寒くなると、よく鍋物をします。しかも一人で(笑)一番好きなのが、春菊とタラの鍋物。食べる前に摩り下ろした大根を入れて、やっぱりポン酢をかけると、これが美味しい!オススメの鍋物です。

寒い時は鍋で乗り切る!私なりの寒さ対策です。でも…やっぱり早く暖かくなって欲しいです。まだまだですけれど(笑)
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09.11.03.横浜Ⅱ

2009-11-04 18:24:26 | 展覧会感想
昨日のブログで幕末から明治初期の美について書きます、と宣言したものの、これはなかなか一筋縄ではいかないですね。論文で発表するようなテーマですが、私なりに感じたことを書いてみたいと思います。

日本美術は外来文化を摂取し、消化することで作り上げられてきた背景があります。江戸時代も鎖国をしていたものの、オランダや中国とは貿易をしていましたから、全く外来文化が摂取できなかったわけではなく、美術の世界でも遠近法やベロリン藍などの顔料が取り入れられました。さて、幕末から明治初期になると西欧の文物がどっと入ってきます。これまでの考え方で当てはめると、西欧文化を摂取して、日本美術が作り上げられることになりますね。ところがあまりにどっと入りすぎたために、とまどっているように見える、というのが私の感想です。特に工芸品が顕著に見られるようです。幕末以前は豪華で贅沢ながらも、どこか奥ゆかしい調子でしたが、以降はちょっと奇をてらい過ぎているのかな、と。技術はとても素晴らしくて江戸の遺風を確かに持っているのですが…。難しい、私の課題です。

わかったような、わからないような感想で申し訳ありません。「大・開港展」では、思わずうなってしまうような優れた絵画、工芸品がずらりと展示されており、それらを通して150年前の日本が目の前に見えてくるような内容です。ぜひご覧下さい!

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09.11.03.横浜Ⅰ

2009-11-03 21:18:59 | 展覧会感想
雲ひとつない青空の今日、横浜美術館で開催されている「大・開港展」を見てきました。横浜開港150周年、そして横浜美術館20周年を記念しての展覧会です。私は幕末から明治初期の美術がどうもうまくつかみきれません。時代の混沌とした世情が美にも及んでいるように見えて触れにくいのです。もやもやした気持ちを解消したい。そんな思いもあって、展覧会に足を運びました。

長くなりそうなので、展覧会の感想は2日間でご紹介します。今日は私が興味を持ったミニチュアの細工物と河鍋暁斎について書きます。

展覧会会場に入ってすぐに陶器と調度品といったミニチュアの細工物が展示されています。洋服のボタンくらいの大きさ。徳川将軍家が持っていたもので、とても小さくてかわいらしいものばかり。江戸末期になると、浮世絵もそうですけれども、人間技とは思えないような高い技術力の作品が多々見られるようになります。この細工物にも驚かされました。たとえ話として適切かどうかわかりませんけれども、「プラモデル」がありますね。あれは原寸を何分の一かに縮小して、組み立てて楽しむものです。日本人はとても好きです。モノを小さくして楽しむという気質、現在にもつながっているのかな、とふと思いました。

河鍋暁斎。圧巻でした。《蒙古賊船退治之図》は、あの鎌倉時代の蒙古襲来を画題とした木版画ですが、火薬の爆発した表現と、爆発によって吹き飛ばされる人やモノ。剃刀のような鋭い波。ドラマティック。また、遠くには炎に包まれる船も。私はおや、と思いました。実は河鍋暁斎にはこんなエピソードがあるんです。河鍋暁斎が青年時代、江戸で大きな火災が発生したそうです。普通怖くて逃げ惑うんですが、彼はこのときとばかりにその様子を熱心に写生していたとか。家が焼けるかもしれないのに何事かと親に随分怒られたそうですが、炎に包まれる船をリアルに描けたのは、その経験があったからなのかな、と思ったのです。同じく河鍋暁斎の《鯉魚遊泳図》は正面向きの鯉が目をひきます。この角度から描くのはなかなか難しい。自己鍛錬の積み重ねと、彼の自信が垣間見える絵でした。

「大・開港展」、河鍋暁斎をもっと知りたい方のために、下記の書籍をご紹介します。できれば一読してから展覧会をご覧頂きますと、より楽しめること間違いなしです!

●ジョサイア・コンドル著 山口静一訳『河鍋暁斎』 岩波文庫 2006年

明日は私のそもそもの目的である幕末から明治初期の美について、展覧会の全体を見ながら書いてみたいと思います。
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泉鏡花『夜叉ヶ池』

2009-11-02 15:33:43 | 読書感想
せっかくの休みだというのに、外は大雨で、しかもすこぶる寒い。こんな日には、温かい部屋の中で読書に限ります(笑)

『夜叉ヶ池』は泉鏡花(1873~1939)の戯曲。舞台は越前国(福井県)、鐘楼を守る萩原晃は妻の百合と2人暮し。萩原は夜叉ヶ池の竜が暴れるのを防ぐため、一日に鐘を3回つかなければならなかったのです。もし鐘をつかなければ、一帯は大洪水になる。ところが、日照りが続いて水不足に悩まされた村人たちは暴徒と化し、鐘をつくのをやめるよう萩原夫妻へ迫ります。そして…。


「水は、美しい。何時見ても、美しいな…。」

萩原の最初に発する台詞。そう『夜叉ヶ池』は「水」がテーマなわけですが、この台詞に全てが集約されると言ってもいいでしょう。何気ない言葉ですが、それがとても綺麗な感じがしますね。

日常から非日常へ、が泉鏡花の小説。そこでふと頭に浮かぶのがドイツ浪漫派の作家ホフマン。彼の場合はおどろおどろしいものではありませんが、「日常から非日常へ」読者をいざなう手法は近いものがあります。もしかしたら泉鏡花はホフマンの小説を読んでいたのかしらん?などと想像が膨らみました。


読み終えて、外を見やると、相変わらずの大雨。現実、雨、水、『夜叉ヶ池』。もしかして、つながったでしょうか(笑)

●泉鏡花『夜叉ヶ池・天守物語』 1984年 岩波文庫
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