鎮守の森の学校(京都北山細野の神主)

日々感じる事を想いのままに書き綴っています。神主として品位に欠ける表現が有るのはボケが始まったとお許しください

コロナ収束までの「独り遊び」自転車(3)久我の橋まで行くが期待はずれ

2021年02月04日 | 独り遊び

午前中居と北山の我が家付近では雪がチラツイていました。こんな日は市内では晴れる予感がして昼前に今日こそランドナーを積んで出かけました。

桂川の河原で温かいミルクティーやコーヒーを飲もうと途中のコンビニでステックを買い、昔使っていたメタクッカーとエスビットを積んで西大路八条に。

まず若新(仕出し屋=親戚)で昼飯を食べて、自転車を降ろして八条通りを西に、桂川の河原に降りてサイクリング道路のようなものを探す。

それらしきものを見つけて南へ下るがJR鉄橋あたりで怪しくなって来た。自転車をおいて土手を上がると堤防上がサイクリングコースになっている。

また、騙された。暫く走るとサイクリングロードは堤防の外側(川の見えない方)に降りて走っている。川側は水が出る度に荒れるのはわかる。

だったら、堤防上を緊急時以外はサイクリングロードに統一すればと思うが、素人にはわからん何かが有るのでしょね?

知事か?市長か?建設局が?どこの権限かわからんが自転車愛好家の気持ちになってサイクリングロードを管理運営してほしいですね。

前回嵐山からのコースも今回のコースも私がトロイと言えばその通りなのですがトロイ私でも楽しめるコース作りが行政の仕事の技量だと思います。

以前やっていた仕事柄、外国のサイクリングロードや国内各地の自転車ドーロに関心を持って見てきましたが45キロにも渡るロードがこんな状態では恥ずかしい。

首長はじめ担当行政官の資質が問われます。世界の観光都市と日頃威張っているにしてはお粗末です。今評価されているのは先祖が残してくれた遺産です。

食いつぶすだけが今の京都人の特権ではないはずです。先人が残してくれた物をより良くして次の代に送り届けるのが現代に生きる京都人の役割です。

私が腹を立てても仕方がないのですが北風が舞う河原でウロウロしすぎて憤懣やるかたないのでランドナーを買った岩井商会の社長に電話して「桂川のサイクリングロードのマップは出てないのか?」と尋ねました。(自転車の販売店には責任がないのであくまでも優しく尋ねました)「有るとは思うけれど調べて電話します」との返事。

こんな立地条件の良い長いコースがこんな整備ではもったいないと思うのが一般的ではないのか? コロナ騒ぎの中で「自転車道路などやってられん」というのが行政の本音かもしれませんが「三密がどうのこうの家に引っ込んでおとなしくしてオレ」が首長、行政の本音なら期待はできませんが「三密を避け、陽の光のもとで身体を動かしコロナに負けない免疫力を高めるには野外での一人でもできる自転車が見直されるべきと思っています」

人との接触を避けるために家に引っ込む今の対処は間違っています。ボチボチ気候は春に向かっています。子どもたちこそ今は野外に放つべきです。

密接な接触を避けて野外で遊べる方法を大人は教えてやり、大人も率先して屋外に出て陽の光を浴びるべきです。いつ始まるか?本当に効くのか?副作用はないのか?わからないようなワクチン接種に期待を持つよりまずまず免疫力を高める活動を始めましょう。

「病は気から」は昔も今もこれからも変わりません。まず気を高めるのは積極性です。受け身の弱みは疫病に付け入るスキを与えます。(いつもの様に話がソレましたが)

桂川の河原で

この辺り私が子供の頃夏場は毎日泳いでいたところです。見る影もなく汚くなっています。水害のせいだけではないと思います。

山紫水明の処ではなくなりましたね、京都の川は、特にJRの鉄橋近くは見るも無残な水害のあとのような様相です。いつの水害ですかね?

治山治水が出来ない国は廃れますね。

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