不定形な文字が空を這う路地裏

白んだ月

 

 

烙印が穿たれたあとの血肉は消炭のように砕けた

枯れた谷底の川底を舐めながら、ひととき

黄色く発光する月を見上げて

撃ち落としたいと望んだ

薄い靴底は尖った岩を踏む度にそのかたちを伝え

いちいち小さな悲鳴を上げさせた

まだ秋とも呼べぬような秋の始め

どこかに潜んでいる筈の生きものたちは

声どころか気配すら感じさせはしなかった

ここは、もしかしたら

輪廻から外れた地なのかもしれない

いつから食ってないのか思い出せなかった

死にそうなほど飢えていることに

気付きもしないままで居た

ジリ貧

獣でも現れればいいが

手持ちの武器は疲れ果てた身体だけだった

あの日聞こえた泣声は本物だったのだろうか

確かめる気も、少し考えてみる気にもなれなかった

酷使し続けた膝が悲鳴を上げた

大きめの岩を見つけて座り込み

いまが乾季で良かったと胸を撫で下ろすだけだった

 

夢は銃弾の形をしていた

眼前からも背後からも

絶えず飛び交っていた

それまでのすべてが弾道に引き裂かれた

獣のように吠えていた気がする

生きようと決意すると

どんなやつだってそんな声を上げる

目が覚めた時

何処かで失くした銃をまた構えていた

 

目の前で飛び散った名も知らぬものたち

死にたくなければ殺すしかない

生きるか死ぬかしかないのなら

生き残らなければ正解か間違いなのかもわからない

そもそも、どうして

こんな場所に居るのかすらまるでわからないのだ

 

すべての終わりが確定した時

誰も居ない場所に行こうと思った

生きている限り

結末から離れようと

だから目的地を定めることが出来なかった

なんの臭いもしない方へと

ただただ足を向けただけだった

 

月は高く上り、いまでは

肺病のように白くなっている

 

谷の上から一粒の小石が落ちてきた

そこには野生の筋肉をまとった牡鹿が居て

こちらを見下ろしていた

その目になにが映っているのかなど知る由もなかった

目の前まで降りてきてくれれば

食いものにありつけるかもしれないのにと

考えただけだった

しばらくの間互いにじっと視線を交わしていたが

共有出来るものがなさそうだとみると

鹿は踵を返して行ってしまった

微かに数度聞こえた足跡は

ここが世界の果てだと教えていた

 

これからの自分を

語るための言葉を知らない

これからの自分を

動かすための燃料がわからない

それはつまり

この地で砂になるということなのかもしれない

受け入れたくなるほどに、けれど

もう一度、眠れ、と

内に潜むなにかが行った

どれだけ強欲なんだ

苦笑いしながら眠りに落ちた

 

目覚めるとひとりの兵士が

足元でうつ伏せに倒れていた

辺りは血に塗れていた

姿は見えないが

こちらを取り巻いている獣の臭いがした

手にはサバイバルナイフが握られていた

眠っている俺を殺そうとして

そんなことのすべてが嫌になったのか

ふとそんなことを考えた

でもいまは

それについて考えてみる時間ではなかった

起き上がり、ナイフと上着を拝借し

伝わるかどうかはわからないが

自軍の敬礼をして敬意を表した

いいナイフだった

ついさっき

ひとりの命を奪ったとは思えないほどに光り輝いていた

立ち上がり

川下に向かって一気に駆け下りた

数匹の獣を見かけたが

戦う労力よりもすぐに食える肉を選択したらしかった

彼はあっという間に骨になるだろう

 

下るに従って

少しずつ水が残っている箇所を見かけるようになった

出来るだけきれいな水を選んで喉を潤した

それだけでもうしばらく歩けると思った

そろそろ枯れた川を抜ける頃合いだった

川を下り過ぎると集落に出るかもしれなかったから

ゴツゴツした岩壁を上りきると右手に森が見えた

左手は相変わらず岩だらけの荒野だった

生き残るなら森だ、そうだろう?

戦場からはかなり離れた、もう敵も味方も

この地には残ってないだろう

果てしない疲労だけがこちらにもあちらにも漂っていた

森に入り

さっそく兎を食らうことが出来た

焼いただけの肉だが

人生で最高の美味さだった

 

森を数日彷徨ったあと

小屋を建てられそうな場所を見つけ

ひと月近くかけて一部屋だけの小屋を作った

少しずつ手をかけて徐々に良いものにしていった

狩った獣の皮をなめして

防水に使えるかどうかやってみた

効果のほどは知らないがしばらくの間は持つだろう

材料ならいくらでも手に入る

幾つかの罠を作って小屋の周辺に仕掛けた

革を作るのがどんどん上手くなっていった

何枚も重ねて寝床も作った

雨季が来ても問題は無かった

周りの木がある程度屋根になってくれたし

そのころには燻製肉もたくさんこしらえていたから

雨季が終わったら畑が作れるかどうか試してみようか

半年も経つ頃には

自分自身を取り戻しつつあった

日付はもう

とっくにわからなくなっていたけれど

新鮮なものばかり食らうせいか

力は漲り

身体は強靭になっていった

昔映画で見たターザンのようだった

叫びこそしなかったけれど

 

おそらくは数年、いやもっと長い時間

そうして暮らしていた

ある日、森から少し離れたところに

ヘリが降りてくる音が聞こえた

少しの間小屋の中で息を潜めたが

近付いてくる足音が兵隊のそれではなかったので

緊張を解いて彼が罠にかかる前に小屋の前に出た

金髪の男が二人と、赤い髪の女が一人

剥げた大柄な男が一人だった

大柄な男がいろいろな国の言葉で話しかけてきた

その中に懐かしい言葉があった

 

知らぬ間に世界は戦いをやめていた

見たこともない高さのビルディングが故郷の空を隠し

スマートに走る車が巨大な交差点をあちこちへと走り去った

俺は茫然と、ただただ茫然と

そんな景色をただ眺めていた

誰かに手を取ってもらわないと歩くことも出来なかった

色々な人間に会って

何度も同じ話をした

病院で健康状態を調べられた

驚くほどに健康だという結果が出た

とりあえずしばらくの間こちらでお休みくださいと

馬鹿でかいホテルの一室を与えられた

そこの浴室の鏡で数年ぶりに自分の顔を見た

 

こんなに歳を取っていたのか

 

森の中で過ごしたあの小屋に無性に帰りたかった

こんな世界で今更なにをして生きればいいのか

どんなことをしても満たされないだろうという気がした

鏡の中の自分を睨みながら

サバイバルナイフをゆっくりと首筋に当てた

さよならだ

腕に力を込めたその時

鏡の中から伸びた腕がしっかりとそれを止めた

鏡の中に居たのはあの時の兵士だった

彼は悲し気な目をして

ゆっくりと首を横に振った

ナイフは床に落ち

俺は浴槽の縁に腰を下ろした

 

見上げた照明の暖色は

あのときの月よりもずっと冷たかった


ランキングに参加中。クリックして応援お願いします!

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最近の「詩」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事