hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

紅菜館〜人形町ランチグルメ

2024-04-20 05:00:00 | グルメ
人形町の飲食店も代替わりが進み、昔からの町中華の店が減ってきてしまった。その中、典型的な町中華『紅菜館』に今日はお邪魔することにした。人形町駅を下車、金座通りと並行する一本奥の路地に店はある。

名前は変わっているが、ごく普通の中華料理店で名物は玉子練り込み自家製麺とのこと。とにかくメニューが豊富でラーメンだけでもラーメン、塩ラーメン、ワンタンメン、もやしそば、札幌ラーメン、レバーそば、うまにソバ、五目そば、ちゃんぽん、肉ソバ、えびそば、かに玉そば、パーコーメン、ねぎそばと14種類もある。



中華料理以外もカツ丼、たまご丼、ロースカツライス、焼肉ライス、スタミナ焼肉ライスなど豊富。つまみもかなり充実している。



もちろんテレビが置いてあり、ニュースを見ながら食事ができるし、なぜか大きな鏡もある。昭和を堪能するには素晴らしい。



私は『ラーメンと小チャーハン』(920円)というベタな料理を注文、私が最初のお客だったが、心配することもなく次々とお客さんがやってくる。その特徴も皆メニューを決めていることで『肉野菜炒めライス』『高菜チャーハン』『うまにそば』とバラバラ。

さらに注文してからすぐできるところも町中華、もちろん作り置きではなく、チャーハンも熱い。

まずはラーメンから頂く。麺は確かにツルツルしていて喉越し最高、他に水菜、メンマ、かまぼこ(ナルトではなかった)、厚切りのチャーシュー。スープは澄んだ醤油味、典型的な東京ラーメンである。

麺を食べ終わると丼に入ったチャーハンにかかる。レンゲを使って頂くが、お皿に盛るよりこの方が食べやすい。

細かく角切りにしたチャーシューもたっぷり、決してパラパラではないが、懐かしいチャーハンである。時々ラーメンスープを飲みながら頂く。食べログには独特な『パーコーメン』を褒めた記事があったが、他のメニューにも挑戦してみたい。

奥で鍋を振るご主人、テキパキ動く女性の2人で運営されているが、会話を聞くとどうもご夫婦のよう、仲良くこれからも頑張ってもらいたいところ。ご馳走さまでした。

因みに2階は同じ名前のお好み焼き屋さんである。
紅菜館
中央区日本橋人形町2ー7ー11
0336667548



関東三十六不動尊⑧〜目赤不動尊

2024-04-19 05:00:00 | 霊場巡り
『関東三十六不動尊巡り』⑧、目青不動・目白不動と巡ったが、今回は目赤不動尊にお参りする。東京メトロ南北線本駒込駅を降りてわずか1分でお寺の前に到着。

第13番札所大聖山東朝院南谷寺は比叡山南谷出身の万行律師が江戸時代初期の元和年間(1615〜1624)に伊勢国赤目山で不動明王像を授けられた。この尊像を護持し、諸国を巡り、駒込村動坂に南谷寺を創建したものである。因みにこの不動尊(当時)の前の坂道が『不動坂』と呼ばれ、これが現在の動坂である。



1628年3代将軍家光が鷹狩りに訪れた際にそれまで『赤目不動』と呼ばれていた当寺の本尊を目白不動・目黒不動同様に『目赤不動』と呼び、現在の土地を与え、大聖山東朝院と号するようになったのである。


本駒込駅を降りるとあいにくの雨、北へ少し歩くと左側に文京区が建てた『旧駒込片町』の案内板、『目赤不動』の由来についても記されていた。

『目赤不動尊』と石に刻まれた門柱、中に入ると奥に阿弥陀如来を祀る本堂、その手前右側に目赤不動堂が設えてある。



手前には六地蔵が並び大日如来の坐像が置かれている。不動明王は大日如来の化身ということになっているからであろう。



不動堂は雨のため中に入ることができず、外から手を合わせることにする。奥には不動明王像が安置されていることが分かった。



また、旧目赤不動跡は動坂上に不動堂としてあったのだが、戦災で失われ、再建はされた。しかし、1983年に南谷寺の不動堂が再建されると旧跡地は役割を終え、1985年の区画整理の際に取り壊された。今は動坂の脇に残されている説明板に詳細が書かれているのみとなっている。






新八〜川崎ランチグルメ

2024-04-18 05:00:00 | グルメ
川崎駅から5分ほど歩くと川崎市役所がある。前の道路は横浜の日本大通りを思わせる広い通りである。この道はJR川崎駅から第一京浜まで伸びる幹線道路で車の通行量が多い。その川崎市役所向いあたりに立喰そばの店『新八』がある。

(川崎市役所前から臨む)

駅そばだが、京急川崎駅には京急のやっている『えきめんや』、JR川崎駅構内には『いろり庵きらく』、他にも富士そばやゆで太郎はある。

ただ、地元の味ということになると川崎市役所前の『新八』さんということになる。
川崎市役所から向かい側を見ると大きな看板が目に飛び込んでくる。



店内は懐かしい雰囲気、メニューもかけそば350円、たぬきそば・ちくわ天そば400円、かき揚げそば・山菜そば450円の安さ。さらに丼セットはかつ丼・カレー丼・とろろ丼・肉丼・小エビ天丼とそば・うどんでなんと600円である。

この店は券売機などなく、カウンターでおばちゃんに『かき揚げそば』というと『450円』と言われ、450円支払う方式。するとすぐ隣のご主人がそばを温め、ツユをかけ、かき揚げとネギを足して出してくれる。

まず、ツユを一口。関東風やや辛め、とにかく熱い。七味唐辛子を振って蕎麦を一箸、太くもなく細くもない麺は思ったより喉越しがいい。かき揚げは玉ねぎメインだが、干しエビの味も微かにする。パリパリで薄く平べったいのであんまりゆっくり食べるとふやけてしまう。

周りを見ると市役所に勤める人か、常連は必ず丼セットを注文している様子である。市役所の食堂と勝負するにはこの価格の維持が必要なのかもなどと勝手に考えた。

店内はカウンターのみ、椅子は高い簡易椅子が3脚、私は3番目に入店したため、座れたが立って食べるのが通常の様子。私は13時過ぎに入ったが、12時台はかなり混むだろう。

男女2名、会話を聞くとどうもご夫婦のようで、『あんた、かき揚げを揚げる?』『もうないのか』『夜は持たないよ』と言ってご主人はかき揚げをあげ始めた。いい味を出している店である。

(川崎市役所)

新八
川崎市川崎区東田町6ー1
0442220650

人形町さくら紀行2024

2024-04-17 05:00:00 | 日記
水天宮前駅の出口を出ると大ぶりなソメイヨシノの木が人形町交差点まで続いている。普段の年は3月中旬には開花宣言となるのだが、3月中旬の長雨と気温の低下により、今年は少し遅くなった。毎日、定点で同じ木の開花を追ってみた。


(3月28日)
この日に靖国神社のソメイヨシノが開花したことで東京の開花宣言がなされたが、人形町のソメイヨシノはまだまだ。蘖の蕾もようやく緑色になったばかり。
ただ、もう少し日当たりの良いものには開花しているものもある。





(3月29日)
こころもち蕾が大きくなった気がする。本体はまだ蕾も固い。



(4月1日)
週末を挟むうち、蘖の蕾はピンクになっていた。ただ、本体は変化なし。



(4月2日)
ついに本体も花びらが開き始め、1分咲きくらいは開花した。





(4月4日)
1日飛んでしまっているうちにもう5分咲きには到達した。蘖の花はほぼ満開、咲くまでは時間が掛かったがあっという間に開花、それが今年のソメイヨシノである。





(4月5日)
もう8分くらいは咲いてしまった。今年は入学式が満開の桜の中でできそうである。






(4月8日)
前日には高井戸に花見に行くが暖かいというより暑いくらい。このためにもう桜はピーク越え、雨が降ったらすぐに散りそう。





(4月9日)
やはりソメイヨシノの花は散り始め、道路にたくさんの花びらが落ちている。水たまりの花筏も美しい。
蘖は若葉が出始めてきた。





(4月10日)
花びらは半分程度は散ってしまい、葉っぱが目立つようになってきた。ただ、花も美しいが、若葉も美しい。 





(4月15日)
僅かながら花が残っている。しかし、蘖は完全に葉桜に。





(4月16日)
花は全て散り終え、葉桜に。花が美しかったのは4月2日〜10日のほぼ1週間のみである。
毎日観察すると変化も楽しめた。


『春の大山』を思い出し、応援するぞ〜阪神ファンの戯言

2024-04-16 05:00:00 | 阪神タイガース
3月29日に開幕したプロ野球も各チーム5カードずつを消化、それぞれのチームと1回ずつは当たったことになる。我が阪神タイガースは6勝8敗1分で勝率.429、順位は4位とあまり芳しくないスタートである。

岡田監督とマスコミの間で『想定内』『想定外』でかなり揉めているらしいが、私にとってもこの成績は『想定内』だと思っている。

例えば昨年の同時期の成績と比較しても開幕ダッシュはDeNA、広島と4連勝したが、エース青柳の調子が上がらず、7勝5敗1分(雨天中止が2試合)と勝率.583と大して変わりはない。

また、それほど心配していないのは先発が早い回で降板したのが2試合しかなく、ローテーションも青柳→大竹→才木→村上→伊藤将→西勇と全く崩れていないことである。さらに8敗を分析しても投手が原因というより、点が取れない打線に問題がある方が多い。ただ、15試合で先取点を取られた試合が10試合(勝ち試合も含む)と中々先行逃げ切りという昨年の勝ち方ができていないことが気になる。

先取点が取れないことの最大の要因はタイムリーが少ないこと、総得点が35点と1試合あたり2.3点、うちホームランが14点、タイムリーが12点とタイムリーが少ない。また、四死球はセリーグ2位48選べているが、三振の数も104とセリーグ1位で最も少ないDeNAが61だからいかに多いのかが分かる。(因みにホームランも阪神が一番多い)

もちろん打撃は水物だからやむを得ないが、わずかなことで勝ちにつながったケースとそうはいかなかった好対照なゲームを紹介する。4月8日対広島戦、阪神村上・広島床田の両左腕の投げ合いの試合。5回に先頭木浪がライト前ヒット、これを村上がバントで2塁に送り、近本が初球タイムリーヒット、この1点を守って阪神タイガースは勝利を上げた。

一方は10日の同じく広島戦、3回裏に先頭木浪がヒット、しかし西勇がこれを送れず、近本はヒットで1死1、2塁、しかし続かず無得点に終わる。この2試合はいずれも1対0の試合、競った試合ではバント一つが勝敗をわけてしまうのである。

もちろん、打撃の状態がいいとは監督も考えていないようでチームに喝を入れるため、14日の試合で昨年殆ど変えたのない打順についに岡田監督が手を入れた。近本・中野・森下・大山・佐藤輝・ノイジー・坂本(梅野)・投手だったのを木浪・梅野・近本・佐藤輝・大山・前川・森下・中野・投手と同じ打順がいないほど変え、執念で勝利を呼び込んだ。あくまでこれはポーズに過ぎず、指揮官の気持ち、サインを汲み取ることが大切と考える。

また、今年も3連敗したことがないのも強みであろう。昨年大車輪の活躍をした大竹や村上がある程度研究され、疲れていることはやむを得ない。主力の大山の打撃に批判が集まったり、佐藤輝の三振に目が行ったりしがちだが、ここはじっくり見た上で投手力が落ちてくる夏に向かい、回復すると考える。

2019年に話題になった小学校5年生の『春の大山』の詩を思い出し、春先に調子の出ない私は大山選手を応援したい

しかし、とにかくローテーションを守り、打線の奮起を待って今年も『アレ』なのか、『アレンパ』なのか知らないが、『アベ』にだけはならないように頑張ってもらいたいものである。





曙橋付近の坂道③

2024-04-15 05:00:00 | 坂道
『東京の坂、日本の坂』その205。今回は曙橋付近の坂道を歩く。私が前回曙橋周辺の坂道を歩いたのが2015年1月、それから9年経ち、当時行かなかった坂道も含めて再度歩いてみることにした。

都営新宿線曙橋駅を出ると目の前に靖国通り、陸橋があるがこれが曙橋で上を走るのが外苑東通りである。まずは曙橋の下を通り、右に曲がり、『合羽坂』交差点まで歩く。



これを右に曲がると『津の守坂』という大きな標識がある。ここから長い坂が新宿通りまで続いている。



名前の由来は案内板にもある通り『昔、坂上の西脇に松平摂津守の屋敷があったため、その名前を略して津の守坂と称した』である。坂の途中には新宿歴史博物館がある。



坂を降りて靖国通りを渡り、左に登っていく坂道が『合羽坂』である。標識にあるのは『昔、この坂の東南に蓮池と称する大池あり。雨夜などかわうそがしばしば出たりしを里人誤りて河童と思いしより坂の呼び名とした。転じて合羽を用い』とある。



合羽坂を上り、外苑東通りを右に上がっていく広い坂が『新五段坂』。市ヶ谷本村町の防衛省の敷地は江戸時代には尾張藩の屋敷があり、その中に武士たちが居住する五段長屋があった。その前の坂道は五段坂と言われていたが、明治になり陸軍士官学校の敷地となったため、坂道は失われた。戦後、自衛隊敷地の西側に作られた坂道に新五段坂と付けたものである。



外苑東通りを反対側に渡り、歯科医院の横、仲之町公園との間の道を行く。途中二又に分かれて、左の道は階段となる。この階段が『念仏坂』、石段は直角に曲がり降りていくが、踊り場には黒い御影石の標識がある。



さらに坂を降りると案内板があって坂の名前の由来は『昔、坂近くに老僧がいて、昼夜念仏を唱えていたから、或いは屈曲で危険な石段だったから通行人は念仏を唱えて通ったなど乃説がある』と書いてあった。



階段下に降りると商店街がある。この奥にはかつてフジテレビがあった。今は『あけぼのばしどおり』とあるが、かつては『フジテレビ通り』となっていたが、フジテレビ移転も1997年だからもう26年も前のことである。(以下、次回)


(今の看板)

(かつての看板)




KOREAN IZAKAYAジャン〜日本橋ランチグルメ

2024-04-14 05:00:00 | グルメ
あまりランチで韓国料理を食べることは無いのだが、新年度に入り、COREDO室町のレストラン街は異常な混み具合。やまやが混んでいるのはわかるが、大箱のシェラスコの店にも列ができている。もちろん四川飯店などは待つための椅子も足りなくなっていて立って待つ状態。その中で空いている『コリアン居酒屋ジャン』に入店した。

メニューはスンドゥブチゲやビビンバ(1300円〜1500円)と言ったメニューもあるが、サービスメニューとして『カルビクッパ』『スンドゥブ』980円がある。取り敢えず今回はこのカルビクッパをお願いしてみた。

11時50分に入店したが、私と同じようにあんまりランチに韓国料理を食べる人がいないのか、あのモランボンがやっている店にも関わらず私の後も女性が1人入ったのみ、とにかく空いているのである。



まずはサラダとカクテキがお冷と共に出てきた。サラダは普通のレタスサラダ、ドレッシングもフレンチドレッシング。美味しく頂く。



すぐにカルビクッパも到着。格安メニューだからなのか、肉片は2つ、あとはニンジン、大根、シイタケ、ニラなどが具として入っている。スープは美味いのだがパンチがなく、さらにコチュジャンや胡椒が置いてあるわけでもないため、カクテキを放り込んで食べる。

それでもパンチがないというか、さっぱりとした韓国風おじやという感じであまり感動もなく食べ終わる。

やはり一番安いサービスメニューはつまらないのだろうか、それとも日本人の口に合わせたのか、私はたぶんこれでは再訪はないだろう。ご馳走さまでした。

KOREAN IZAKAYA ジャン
COREDO室町2 2階
05055704598

都営大江戸線スタンプラリー⑧

2024-04-13 05:00:00 | 鉄道
『鉄道シリーズ』その234。都営大江戸線スタンプラリー⑧。やってきたのが六本木駅、この駅はスタンプラリーにとっては難関駅の一つである。というのもホームから地上に出るまで5分近くかかる日本最深の地点は地下42.3mにも及ぶ。この間、エスカレーター6本を乗り継ぐ必要があり、もちろん日本で最も深い駅になる。



駅から地上に出ると六本木ヒルズ、森タワーやグランドハイアットの高いビルが林立しているのである。

スタンプは『六本木ヒルズ』である。同様に東京メトロ日比谷線のスタンプは『六本木交差点』が描かれている。

お隣は『青山一丁目駅』である。以前に銀座線のブログにも書いたが、青山一丁目という駅名は実に不思議なものである。銀座線の駅が開設されたのは1938年のこと、当時は東京高速鉄道であったのだが、開設された当時の地名は『青山北町一丁目』『青山南町一丁目』であり、ここに青山一丁目という駅を開設した。

その後、1966年の住居表示の際に青山北町一丁目は北青山一丁目、青山南町一丁目は南青山一丁目となった(北青山一丁目にはほかにも赤坂青山六軒町、青山三筋町一丁目・二丁目など。南青山一丁目には麻布新龍土町、赤坂新坂町など。)しかし、青山一丁目という地名にはなったことがない、ミステリアスな事実が残されている。

駅のスタンプは神宮外苑の象徴とも言える絵画館と銀杏並木である。東京メトロ銀座線は絵画館の全景、やはり絵になる建物なのであろう。



国立競技場駅はその名前通り、国立競技場に直結している。元は1958年に開場した国立霞ヶ丘競技場であったが、2020年の東京オリンピックに合わせて2019年11月に竣工した。

駅は2000年4月に新宿から当駅までの延伸により開業。副駅名として『オリンピックスタジアム・東京体育館』が使われている。

スタンプは国立競技場のデザインを使ったものとなっている。JR千駄ヶ谷駅のスタンプもかつては国立競技場が描かれていた。







味世〜石神井ランチグルメ

2024-04-12 05:00:00 | グルメ
以前にもこのブログに書いたのだが、『台湾ラーメンはどこの名物でしょうか?』。これは勝浦担々麺と同じで日本の名古屋名物である。名古屋市に行くと色々な店で食べることもできるし、発祥の店と言われる『味仙』である。では東京で食べられるお店はと聞かれると『味仙』の支店は神田と新橋にあるが、他の店では中々本物にお目にかかれないのである。



しかし、西武池袋線石神井公園駅から徒歩3分のところにある『味世』でも食べることができる。名前も似ていることから聞いてみると若いご主人は名古屋にある味仙で修行した料理人で独立して店を開店したのである。



店はビル地下にある食堂街入口左側にあり、10人程度しかお客様は入ることができない。まずは店に入ってすぐ右側にある券売機で食券を購入するシステムになっている。



私は『台湾ラーメン』を注文しようとしたのだが、辛さが『辛さなし(辛さレベル0)』『アメリカン(レベル2)』『台湾(レベル5)』『イタリアン(レベル7)』『スーパーイタリアン(レベル10)』と5段階に分かれ、それぞれレギュラーとハーフがある。今回は『台湾』(950円)と餃子(350円)をお願いした。



食券を渡す際にご主人から『餃子も辛さあり、なしかがありますが』と言われて辛さありにした。

カウンターのみの店で詰めて入ると10人ほど入れるが先客は2人、1人はアメリカン、しかしかなり咳き込んでいた。もう1人はつけ麺でこちらは平気そうである。

餃子が先に到着、ニンニクとニラたっぷり入っていて味付け済みのため、そのまま頂く。いい焦げ具合の焼き餃子5つ、一口食べると熱いやら、辛いやら。ただ味はいい、ビールが欲しくなる味である。

程なく台湾ラーメンも到着、いつもの通り麺の上にはたっぷりの唐辛子入りミンチ。どうも赤さが目立つような気がする。麺を軽く混ぜて一口、スープがよく絡む細麺だが、ここで啜ると咳き込むのは分かっているため、慎重に食べる。

そう、この旨辛が目指すものである。スープもさっぱりはしているものの、やはりかなり辛い。具は他にもやし、メンマ、ネギも入っていて辛味で口が馬鹿になると、具を食べる。また、不思議なことに先ほどは辛かったはずの餃子が甘く感じてしまう。

とにかくこの慌てず、よく味わいながら食べ進むが、やはり辛い。半ライスを頼んで中に突っ込むことも考えたがボリュームを考えて断念、麺は食べ切ったが、スープは最後は多少残す。旨いんだけど辛い、気がつけば額から汗が吹き出し、食べ終わった後の水が美味い。

しかし、また食べたくなる中毒性の強い台湾ラーメン、本家とほぼ変わらない旨さであった。ご馳走さまでした。
味世(みせい)
練馬区石神井町7ー1ー3
0369133795

麻布十番付近の坂道⑥〜きみちゃん像

2024-04-11 05:00:00 | 坂道
『東京の坂、日本の坂』その204。麻布十番付近の坂⑥、一本松坂の麓に立って気がついた。今まで上ってきたのが大黒坂、この頂上にたち振り返ると五叉路となっていて今まで登ったのが『大黒坂』(青方向)、隣が『暗闇坂』(緑方向)、『狸坂』(黄色方向)、『一本松坂』(赤方向)と全て名前のついた坂道となっている。

赤方向に進むと急な下り坂となり、この坂が『狸坂』。由来は説明板によると『人をばかす狸が出没した』とのこと。旭坂の別名もある。



この付近には中々素敵な洋館がある。うち一軒のステンドグラスを思わず眺めてしまった。



再び戻って緑方向に進むと左に弧を描く急坂となるが、これが『暗闇坂』である。坂を下って行くと右側にオーストリア大使館が現れ、この辺りから坂はまっすぐとなる。



樹木が暗いほど生い茂った坂であったためついた名前のようで、別名が宮村坂。これは旧町名の麻布宮村町からきている。



暗闇坂を降りて右手に歩いて行くとパティオが現れる。ここに小さな女の子の像がある。この像には悲しいお話が残されている。誰でも知っている童謡『赤い靴』、野口雨情作詞のものだが、背景には岩崎きみという女の子の実話がある。



きみちゃんは明治35年生まれでお母さんのかよさんに連れられ北海道へ。お母さんは開拓農場に入植するが、あまりに厳しい環境からアメリカ人宣教師の養女とする。この逸話を雨情は夫である鈴木志郎に聴き、この歌詞を作った。



しかし、実際はきみちゃんはアメリカには行かなかった。きみちゃんは不幸にも結核にかかり、宣教師が帰国する際に連れて行けず、麻布にあった孤児院で寂しく9歳で亡くなったのである。このエピソードを知り、1989年にきみちゃん像が作られたのである。

私は思わずこの女の子の像に手を合わせてわずかなお金を募金したのである。