hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

久我山歳時記㉜〜まもなく冬至

2023-12-21 05:00:00 | 日記
『久我山歳時記』㉜、今年もあと10日程度、大雪も過ぎ、今年は22日が冬至である。冬至とは一年で最も昼の時間が短くなる日で天文学的には12月21日または22日となる。冬至の日の出(東京)は0647、日の入は1632となり、昼間は9時間45分しかない。夏至は13時間36分あるのに対し、3時間51分も長いことになる。

さらに冬至は日中の時間が最短ではあるが、日の出の時間は1月上旬にかけてさらに遅くなっていく。最も遅くなるのは1月2日〜13日の0651、つまりまだ4分遅くなる。日の出と日の入は同じようなトレンドと思うが、日の入が早いのは12月1日〜13日の1628でその両方が早い(遅い)日が冬至ではない。


ただ、東京に限っては12月に入っても日中の気温が20℃近くなる日も続いていて秋に咲く菊の花が今頃になって満開となるなど、相変わらず少しずれた季節の進み具合は変わらない。



ただ、この時期になると紅葉していたハナミズキやユリノキの葉もほぼ全て落ち、落ち葉を掃除をする方が大変である。



ただ、欅並木はまだまだ葉が残っているし、郁子の実は一旦は紫色になりかけたが、今現在はマンゴーのような鮮やかなピンク色に変わった。



金柑もたくさん実をつけて緑がかっていたものが、すっかり黄色に熟していた。

冬至では風呂に浮かべるゆずの実が数えられないほどたわわになり、隣の柿の木は実は残っているものの、葉はとうの前に全て紅葉して落ちてしまっていてそのフォルムを見ているだけで絵になる写メが撮れた。



空は相変わらずの冬晴れ、高いところに現れる巻雲や秋に見られる巻積雲(うろこ雲)が現れていた。



最後は枯れたエノコログサ、枯れ薄のように冬らしい姿を表している。この土地も来年には家が立つようでこの風景も今年までである。






ラスプール(再訪)〜吉祥寺グルメ

2023-12-20 05:00:00 | グルメ
吉祥寺駅で降りてたまには懐かしい洋食、特に今日はエビフライが食べたくてコピス(旧伊勢丹吉祥寺店)の地下にある『ラスプール』に直行する。



この店は1972年創業でこの地下街では最も古い。何しろ伊勢丹の頃からある。店の入口にある小さなシェフの人形を見るたびに味があるなあと感じてしまう。



7時過ぎだが、まだ結構混んでいた。注文は『エビフライ』(1600円)、ついついビールの中瓶も付けてしまった。すぐに瓶ビールと紙ナプキンにフォークとナイフを置いてくれる。一口目のビールは何物にも変え難い旨さである。



7、8分でエビフライとライスが到着。白い皿に大ぶりなエビフライが3本、下には生野菜とポテサラ、タルタルソースが付いている。

ライスの他にソースが小さな容器に入ってついて来た。

エビフライは3等分にしてレモンを振り、タルタルソースを載せて一口、甘みすらある海老とソースの相性最高、ライスが進む。2尾目はソースを掛けていただくが、中濃ソースと思ったソースはおたふくソースのようにかなり甘い。

ソースとしては美味いのだが、素材に対してあまりにも甘い。

残りはタルタルソースをうまく使いながら、おたふくソースはキャベツに掛けて頂く。



流石に50年の老舗、大変美味しゅうございました、ごちそうさま。ただ、ソースは普通の中濃ソースにして欲しかった。

ラスプール
コピスA館 B1
0422220877

世田谷観音にお参りする

2023-12-19 05:00:00 | 日記
家人が足のケガをした。治癒を願って、足の神様である『韋駄天』を祀っている世田谷観音を思い出し、お参りに行く事にした。実は祖父の家(社宅)がこのそばにあったからである。

東急田園都市線三軒茶屋駅で下車、目黒駅行のバスに10分弱乗り、世田谷観音前で降りる。目の前が裏口になる。もうこの境内に入るのは60年ぶりである。





門を抜けると大きな楠が迎えてくれる。あまり広くない境内の中には多くの建物が並んでいる。すぐ右手が本堂、中には入れないが中を見ると聖観音が安置されている。(コロナのため、開扉されていないが中を覗くことは可)



ご本尊は三重県桑名市の寺院から移されたものである。傍には馬頭観音、水子地蔵、達磨像が並んでいる。



(特攻観音堂)

お寺の特徴の一つは左側にある特攻観音堂である。第二次世界大戦で特攻隊隊員として戦地で散って行った4000人以上の犠牲者の御霊を祀っている。その複雑な胸中は以前に知覧特攻平和会館にあった手記の中にあった。



その裏には多宝塔、鐘楼、池の真ん中には夢違観音菩薩が配置されている。



立派な六角堂内には不動明王像が祀られている。不動明王像は運慶の孫にあたる康円作であり、周囲には八大童子像が配されている。(旧国宝、国重要文化財)元は今は廃寺となった奈良県天理市の内山永久寺に安置されていたものである。



その向かい側にあるのが韋駄天堂、隣には寺務所がある。寺務所に入り、お守りと御朱印を頂こうと住職にお話をする。するとケガをされた方がいらっしゃるならば韋駄天像に直接お願いをされた方がよいと御堂を開けてもらう。



すると観音様と韋駄天像、さらに周りには羅漢像が8体ほど並んでいる。作法を習い、韋駄天像にお参りする事ができた。また、写メをスマホに入れて韋駄天像にお願いすると早く治ると言われ、写メを撮らせてもらう。



御住職にはお礼を言って正面からお寺を後にしたのである。ちなみにこの世田谷観音はそれほど古い寺ではなく、1951年に太田睦賢が私財を投入して開山、浅草寺に請い開眼した。比較的新しい寺院ではあるが、睦賢和尚が江戸時代以前の仏像を集めたものである。

当初目的である韋駄天像に足の早い治癒をお願いできたのは有意義であった。ついでに以前官舎の跡を見に行くと新たに老健施設が建設中であり、当時の塀だけが残されていた。





ご当地酒場 長崎県五島列島小値賀町〜日本橋ランチグルメ

2023-12-18 05:00:00 | グルメ
日本橋で昼になったのでよく行くICCHO(日本橋交差点、東京建物日本橋ビルB1)にある五島列島の魚直送のお店にランチに行く。



店の名前は『ご当地酒場 長崎県五島列島小値賀町』という五島列島の最北端にある小値賀島直営のお店である。



ランチメニューのうち、この日の一押しは五島列島直送の平政(ヒラマサ)、平政丼の他にもサーモン・赤海老・帆立・マグロとの盛り合わせ丼、さらに海鮮丼や煮付け、塩サバなどがある。

やはりヒラマサは外せないが他の刺身もいいかなと『赤海老とヒラマサ丼』(1400円)をお願いする。

店はまだ1145というのに混んでいてようやく3人席が1つ空いていた。奥の座敷では昼から楽しそうに刺身を食べながら一杯、羨ましいかぎり。



私の丼は程なく到着、大きなお盆で登場。丼以外にサラダ、小鉢、味噌汁、鰹の生節が乗っている。丼にはヒラマサが6切れ、赤海老が2尾、ワカメ、海苔、ワサビがついてきた。店員さんの話ではご飯を少し残して食べると鰹の生節を乗せて、白湯スープを掛けてくれ、スープ茶漬けで〆るらしい。

まずはヒラマサにわさび醤油をつけて一口、ハマチほど脂がなく、見た目以上にさっぱり、生が良く美味い。それに九州独特の甘い醤油が美味しくてご飯が進んで堪らない。次に赤海老、まずは頭の殻を外し、かぶりつく。味噌が甘い。身の方も牡丹海老と言われてもわからないプリプリ感、こちらも甘い。



小鉢は牛蒡のきんぴら、サラダもいい箸休めとなっている。
ヒラマサの刺身がたっぷりあるのでご飯を全て食べてしまいそうになるくらいである。

最後にお楽しみのカツオの生節、ご飯の上に乗せ、さらに海苔をちぎり、残しておいたわさびを置くと店員を呼ぶ。

白湯スープを掛けてもらい、サラサラ。鰹の旨みと白湯スープの旨みが重なり、想像以上に美味い。これを発明した人には頭が下がる。

値段は決して安くはないが、新鮮な刺身に始まり、締めのスープ茶漬けまで大変満足した。ご馳走さまでした。



ご当地酒場 長崎県五島列島小値賀町
中央区日本橋1ー3ー13東京建物日本橋ビルB1
05054571713

武蔵野競技場線跡を歩く①〜三鷹逍遥③

2023-12-17 05:00:00 | 鉄道
『三鷹逍遥』③、次の目的地は武蔵野グリーンパーク球場跡である。あまり知る人はいないのだが、戦後すぐ1951年の1年間だけプロ野球に使用された球場が三鷹駅から2kmほど北に向かったところにあった。

(昭和31年11月号)

球場だけでは無く、三鷹駅から武蔵野競技場前駅まで3.2kmの専用線(中央線支線扱い)で結ばれ、開業時には20分おきに単線を電車が走っていた。さらに競技終了後は東京駅行直行電車も運転されたようである。

当時の記録を見ると東京六大学の春リーグ戦は神宮球場が連合国に接収されていたことからこの球場で始まり、5月5日国鉄スワローズvs名古屋ドラゴンズ、讀賣ジャイアンツvs名古屋ドラゴンズの変則ダブルヘッダーをプロ野球初めての試合として開催する。しかし、まだフランチャイズ制はなく、16試合行われただけだった。

というのは①この時代には三鷹市(当時は北多摩郡三鷹町)はまだまだ田舎で東京東部の下町からはかなり遠かったこと、②風が吹くと土埃が舞う風土が野球ファンに好まれなかったこと、③1952年以降は神宮球場、川崎球場、駒沢球場の接収も解除されてしまい、グリーンパーク球場の存在意義がなくなってしまう。結局、翌年はプロ野球には使われることはなかった。つまり、実稼働は1年、武蔵野競技場線も1952年からは列車の運行は無くなり、1959年に正式に廃止されてしまった。



ただ、路線の跡は今も遊歩道として残っている。跨線橋を降りて武蔵境方面に歩くと団地が見えてくる。



この辺りにはまだ、畑が点在しているがその横を通ると『堀合(ほりあわい)児童公園』が出てくるので中に入ると団地に沿って細い遊歩道が続く。



堀合遊歩道こそが路線跡で弧を描きながら右に曲がって行く。周囲の木もかなり大きくなっていて、鉄路が廃止されて67年になることを物語る。



コミニュティバスの堀合遊歩道のバス停を越えさらに路線跡は続く。少し車の音が聞こえ、左側を見ると新武蔵境通りがすぐ横にある。


合流して少し行くと右手には私がいつも酒を買いに行く宮田酒店、その先の『銀杏橋(ぎんなんばし)』で玉川上水を越える。(以下、次回)





EGG BOMB〜三軒茶屋ランチグルメ

2023-12-16 05:00:00 | グルメ
三軒茶屋でランチタイム、土曜日ということでとにかく人が多い。有名な鰻と寿司の店『三河屋』の前を通るが、鰻丼も握り寿司もちらし寿司も1200円というリーズナブルな店は列をなしていた。もちろん諦めて西友近くのすずらん通りを歩いているとオムライスの店を発見。



『カスタムオムライス EGG BOMB』というド派手な看板、メニューを見ながら店に入るが、今流行りのスマホから注文するお店である。



割に広い店内だが、店員は若い女性と男性の2人のみ。女性は主にキッチンをやり、男性がフロアを受け持つ。しかし、オーダーもお冷を運ぶのもなく、支払いも焼肉ライクのように機械のみ、これなら省人化できるらしい。



私はオムライスのドミグラスソースに鳥の唐揚げ付きをオーダー。1020円の伝票が机に置かれた。飲み物はオーダーしていないので無料のス〜プとお冷をコーナーに行って取ってくる。そのためにこのコーナーに近いカウンターに座る。



ファミレスでありがちなオニオンスープを飲んで待っていると意外に早く注文品が到着。やはり若い人向けなのか、オムライスも鳥の唐揚げも大きい。唐揚げは3つ、揚げたてを頂くが、これが美味い。ちょうど良い塩加減とカレースパイス、感心する。

オムライスはドミグラスソースにしたが玉子の中はケチャップライス、具は望む方が無理。残念なのはご飯を炊いたまま炒めたのだろうか、底のおこげ手前の固いところが口に何回か触った。まあ、洋食屋でもないから諦めたが。

唐揚げを食べながらオムライスを頂く。ボリュームもあり、もちろん十分満足した。ほかのトッピングはハンバーグ、カニコロ、エビフライなど。また、ソースもケチャップとドミグラス以外にもカレーなどあったと思う。

食べ終わり、誰にも声をかけず無人機で支払って帰る、これが新しいスタイルなのかもしれない。何しろ若い人はスマホから目を離さず、ワイヤレスイヤホンは外さないのだから。ご馳走さまでした。
EGG BOMB 三軒茶屋店
世田谷区太子堂4ー22ー14
0354315977


等々力付近の坂道

2023-12-15 05:00:00 | 坂道
『東京の坂、日本の坂』その195。今回は古墳巡りで訪れた等々力周辺の坂道を巡ってみた。



まずは東急大井町線等々力駅から目黒通りに向かい、等々力不動尊の前あたりから下る坂道が『等々力坂』である。

目黒通りは片道2車線の広い通りだが、等々力不動尊前あたりから下り坂がキツくなり、丸子川あたりまで続く長い坂である。



名前の由来は地名からではあるが、『等々力』の名前の由来は等々力渓谷の川や滝の音が轟いていたことから付けられたとされている。同じような地名が青森県の『驫木』、福島県の『百目鬼』(どうめき)などと同じと考えられている。



等々力不動尊から目黒通りを渡り、御岳山古墳の横をまっすぐ行く。突き当たりを右に、さらに次を左、見事な欅の木を右に曲がっていく。



自動車通行止の案内をまっすぐ行くと階段坂となるが、これが『地頭坂』。山自体が地頭山と呼ばれていたため付けられた名前。



途中に『大日如来尊』と言う小さな石の標識があり、細く崩れかけたような石段が続く。これを登ると3つの祠が現れた。



左から地蔵菩薩、真ん中が大日如来立像、右が地蔵菩薩となっている。実はここが大日塚古墳で大田区郷土博物館の当時の館長西岡氏によって1930年に発掘された円墳なのだが、あまり詳細が分かっていない。



坂に戻り、1番下まで降りると反対側に上り坂が現れた。これが『向田坂(むこうで坂)』で坂の下にある田圃に行くための坂から付けられたと思われる。因みに左右とも豪邸が並んでいた。



等々力不動尊に戻り、坂を降りて行き、次の信号を右に曲がり、郵便局の次の道(左右)が『浄音寺坂』である。



坂は丸子川に架かる天神橋まで続く左右に曲がる坂道。



今も墓地だけが残る浄音寺は江戸時代天保年間に焼失して今は残っていない。坂道を示す小さな石の標識が建てられている。
等々力は国分寺崖線に向かう坂道は多いが、名前の付けられたた坂道はこの程度である、

fermata〜西永福ランチグルメ

2023-12-14 05:00:00 | 日記
西永福駅近くでランチとなった。この駅近くで行ったことのある店は1軒のみ、『スペキエ』というカレー専門店で5年ぶりなのだが、残念ながら定休日。やむなく他の店を探すことにした。

(スペキエ)

和食や中華の店、チェーン店はあったが、できればパスタが食べたいと思ったら、スペキエから歩いて2分のところにイタリアンを発見。

店の名前は『fermata(フェルマータ)』、音楽記号では『程よく伸ばす、程よく休む』という意味だが、一般的には『滞在、(バスの)停留所』などの意味があり、たぶんお休み処的な意味だろう。



パスタはサービスメニューが『梅肉と青しそのパスタ』『明太子のクリームパスタ』『ミニ甲イカのパスタ』だったが、『キャベツとアンチョビのペペロンチーノ』に惹かれて注文する。サラダ、飲み物付きで1200円(税込)である。



先客は1組2人のみ、注文するとすぐにミニサラダが登場。ブロッコリー、トマト、レタス、かいわれ、コーンの上にシーザードレッシングがかけられている。ミニとはいえ量もあり、ドレッシングとよく合っていて美味い。

先客と私の注文が同じだったため、すぐにパスタも登場。ややオイリーなパスタにはたっぷりのキャベツ、赤唐辛子、揚げニンニク、アンチョビが入っている。麺の茹でかげんが最高でキャベツも適度にシャキシャキ、甘く美味い。



どちらかというとニンニクがアンチョビより主張が強い感がぬぐえないが、やはりお店で頂くと茹でかげんが最高。量的にも十分て満腹となった。インパクトをつけるべく左側のチリソースを最後は投入、かなり辛く、美味くなった。

食後のコーヒーも美味しく、店が混んでいないこともあり、のんびりと昼の時間を過ごすことができた。夜はワインのつまみやピザもかなりの種類ができるようで家のそばにあれば使い勝手の良い店であろう。ご馳走さまでした。


fermata
杉並区永福3ー56ー31
0333243831

野毛大塚古墳

2023-12-13 05:00:00 | 古墳
御岳山古墳、天神山古墳を巡った後、野毛大塚古墳を目指す。目黒通りを歩き、環八を左折、野毛公園を目指す。古墳はテニスコートの奥にある。



『野毛大塚古墳』は帆立貝形古墳で築造は5世紀初頭と推定されている。規模は全長82m、後円部直径68m、高さ11mと大きい。嬉しいことに上にも登ることができる。



階段50段あまりを登ると頂上に到着、子供達は必ず競争しながら階段を登ってくる。頂上からはまわりの風景がよく見ることができる。



また、頂上にはタイルが埋め込まれているが、これは埋葬品の発掘された場所を示していて、太刀や兜など多数発掘された。



現在は東京国立博物館に収蔵されており、国指定重要文化財に指定されている。
1990年の調査で3段築成で葺石が施され、4つの埋葬施設がある。



また、各段のテラス部分からは朝顔型の埴輪や円筒埴輪のほかに家や鶏などの埴輪や武具なども発掘されている。こうしたことから被葬者は優れた軍事力を持っていたのではと想像されている。



反対側に降りて後円部の淵を歩くと前方部を2つみることができる。ちょうど工事中ではあったが、これだけの古墳が街の真ん中で見ることができることは少ない。



規模の大きな古墳に登り、椅子に座って周囲を眺めたが、当時はどのような風景だったのだろうと思いを馳せた。






私の今年の漢字は『足』

2023-12-12 11:04:00 | 日記
写メの仏像は世田谷観音の韋駄天像である。今年は本当に『足』に祟られた一年となった。まずは私の持病である脊柱管狭窄症、かれこれこの病気が発覚したのが5年前の夏、ある日歩いていたら左の腿が痺れるように感じ、さらに痛くなって歩けなくなり、しゃがみ込んだ。しかし、腿をさすっているうちに痛みはあるが、歩けるようになる。やや引きずり加減で歩くとまた痛くなりしゃがみ込む。これが病気の症状の一つ『間欠歩行』である。


(世田谷観音 韋駄天堂)

しかし、厄介だったのは足の病気と思ったこと。足のMRIを撮っても異常なし。しかし暫くしてようやく腰が悪いことがわかった。整形外科で薬をもらうもあまり効かない。先生から『筋膜注射』の提案があり、やってみたところ効果てきめん。

一旦は完治した。しかし、どうも暑くなるとまた症状が出る。記録的な今年の夏は私の足を襲う。慣れてはいたが、両足とも痛くなり、筋膜注射も整体も効かない。夏の旅行前2週間だったが、今年は行きたいと杖まで持って飛行機に乗ったが、現地に着くとほぼ完治。涼しかったからなのか、病は気からだったのか。



(人形町 大観音寺)

これで終わらない。家人が階段を踏み外し、骨折。手術、入院となってしまったのだ。お互い悪いことをした訳でもないのに『足』に祟られた一年となってしまった。来年は韋駄天様のように強い足で大地を踏み締めることにしたい。