夏旅2023③、六花の森を出て自然な庭園で有名な『紫竹ガーデン』にも寄る。ここは紫竹昭葉という個人の方が始めた庭園でNHKで取り上げられてから有名になった。
ただ、紫竹さんは21年にお亡くなりになったが、今もそのご意志を継いで営業している。入場料を支払い、中に入るとその花のボリュームに驚かされる。
今の季節は白、ピンク、赤、紫がかった赤など多種の百合を中心に、紫のクレマチス、白く大きなカシワバアジサイ、赤いバラ。
変わったところではスモークツリーなどがこれでもかというほど咲いていた。
ただ、時間もあまりなく30分ほどで次はもう1人の農民画家『神田日勝』の記念館に向かう。約1時間車を飛ばし、然別湖に近い鹿追町に到着、神田は鹿追町で育った画家で農業の傍、農耕馬や牛など日頃からなれ親しんだ題材をモチーフに絵を描いた。
ただ、彼のタッチは何回も変わる。若い頃は茶色を中心とした重厚な自画像や馬の絵であったが、30歳の頃には海外に目を向けたカラフルな情熱が迸るような絵や前衛的な絵になった。しかし、その後自らの絵に行き詰まりを感じ、新聞紙に囲まれた中に絶望にくれる自画像『室内風景』を描いた。
『馬』という一頭の黒馬をキャンパスにしたベニヤ板に描き始めるが、頭部は描き終わり、胴半分を描いたところで亡くなり、絶筆となった作品が展示されていた。
後ろ足や臀部は鉛筆書きのアウトラインのみ。衝撃的な作品は『半分の馬』と東京で行われた作品展で話題となった。この絵と彼が育った土地を見たくなりお邪魔したのである。
彼の足跡を追ってかつて農場があった場所にも行ってみた。ここには今は何も残されていないが、遥かに広がる農地、そこには数えられないほどのとうもろこしが風に揺れていた。
また、鹿追町には軽便鉄道である北海道拓殖鉄道が走っていた。この鉄道は地元の有志が金を出し合い、国鉄釧路本線の新得まで伸びていた。
鹿追駅は鉄道会社の後進である拓鉄バス車庫のすぐ裏に当時使われていた蒸気機関車2両のうち、8622号(8620形式、昭和3年製)と拓鉄の名前の入った無蓋車が残されていた。
私はお隣の瓜幕町にある瓜幕駅跡まで足を伸ばした。公園となっている駅跡には『足寄までの延伸を企図したが叶わなかった。昭和43年に全線廃止となったが、地元住民が鉄道の地域開発に果たした功績を残すためこの石碑を設けた』趣旨の文字が刻まれていた。
この2つの鉄道遺産をこの目で見ることができたことはよかった。