『古刹を巡る』その51。関東三大不動の一つ、高幡不動尊にお参りに行く。日本人は三大〇〇が好きだが、関東三大不動は成田山新勝寺(千葉県)、雨降山大山寺(神奈川県)とこの高幡不動尊(高幡山明王院金剛寺)を指すらしい。
京王線高幡不動駅で降りるとすぐ前が参道、これも短く、すぐに寺の入口に到着する。京王線沿線にもあるが、蕎麦が名物。その縁起は色々とあり、大宝年間(701〜704年)とも、奈良時代に行基菩薩開基とも言われ、寺伝では平安初期に円仁が清和天皇の勅願により開いたことになっている。
歴史の話をすると新撰組副長土方歳三の菩提寺であり、境内には銅像がある。この銅像に迎えられ、中に入る。入口には仁王門、立派な仁王様に守られている。
すぐのところにあるのが不動堂、1335年(室町時代初期)に円仁が山中に建てたものが倒壊したため、ここに移築したもの。堂々とさており、都内最古の文化財建築物である。
階段を登ったところにあるのが奥殿(寺宝庫)である。1000年ぶりに修復を終えた丈六不動三尊像などが展示されている。もちろん、拝観料300円を支払い中に入る。
土方歳三の手紙や釈迦の誕生像などもあるが、圧巻は不動明王像、矜羯羅童子、制咜迦童子を従える2.8mの木像である。平安時代に作られたものだが、1335年に不動堂が倒壊した際に大破、修理を何回か行ってきたが、2002年にようやく修復作業が完了した。
元々の金剛寺の建物も1779年の火災で大日堂、大師堂、客殿などを失ったが、近代になり一つずつ再興してきている。この大日堂は天井に描かれた龍が描かれている。
ここまで登り、さらに聖天堂、大師堂などを見て五重塔まで戻る。6月になれば山アジサイが美しいが、まだ咲いてはいなかった。五重塔は1980年に新たに作られたもので高さが45mの立派な塔である。
入口近くの土方歳三像まで戻る。土方は1835年石田村(日野市石田)生まれで新撰組副長として鳥羽伏見の戦いなどに参加、旧幕府軍が五稜郭に入城、箱館攻防戦で流れ弾にあたり死去した。土方の菩提寺が金剛寺のため、彼の資料も寺に保管、1995年にこの銅像は地元の有志により作られたものである。
高幡不動尊(金剛寺)は不動堂を除き新たに建築されたものが多いが、規模も大きく、奥殿に祀られている不動明王像も迫力満点であった。