『鉄道シリーズ』その241。新型肺炎は恐ろしい、何が恐ろしいと言っても素性がよく分からないことである。このニュースを聞いて不謹慎を承知で『もし、私があのクルーズ船に乗っていたらどのように暇つぶしをするのか』と考えた。
書店に何気なく入り、鉄道関係の本が並ぶコーナーにJTBパブリッシングから『時刻表、1964年9月号』の復刻版が1500円で発売されているのを発見。実は2冊目で1冊目は1964年10月号、東海道新幹線開通の月である。つまり、1964年9月は東海道新幹線開業前月のものなのである。何が面白いか?これはマニアでないと分からないが新幹線開業は大変便利になった反面、日本中を走っていた面白い急行や準急が廃止されてしまったからである。この時刻表こそ、暇つぶしの王様であろうと私は確信した。
先日、あるコラムを読んで日本人同様に勤勉と言われるドイツでは鉄道の遅延がひどい、と書いてあった。もちろん、労働組合や国民性、価値観の違いもあるが、最大の相違点は日本は長距離移動の鉄道が独立して別の高架線を走ることと結論づけていた。これは確かに正しい気がする。
しかし、私共マニアは違う価値観を持っている。例えばら1964年9月の東海道本線には東京〜姫路という昼行の各駅停車143レがあり、東京1456〜名古屋2338〜大阪0445〜姫路0645があり15時間かけて完走していた。夜行でも東京2330〜名古屋0628〜大阪1047と11時間で乗車券のみで大阪まで行くことができたのである。わずか数ページ読んだだけで自分が鉄道旅行している気分になれる時刻表があればかなり暇つぶしになるなあと感じた。
最後に蛇足ながら質問を一つ、『新幹線開通前夜の1964年9月号の時刻表にひかり号は掲載されているのか?』。この質問が分かる人はかなりのマニアである。
新幹線開業前の『ひかり』号は九州を走る急行の愛称で確かに存在していた。さらにこの動きがかなりマニアックである。下りのひかりは博多発熊本・西鹿児島行、しかし、博多1205発で熊本方向ではなく、小倉方向に走る。日豊本線に入り、別府で2つに分かれ、熊本行は大分から豊肥本線へ、熊本には1836に到着する。一方、西鹿児島行は日豊本線を走り続け、2130西鹿児島に着く。さらにこの急行が面白いのは小倉で門司港発1240の気動車を併結しているのである。
編成図を見ると博多〜熊本が5両、博多〜西鹿児島が3両、門司港〜西鹿児島が2両、別府〜西鹿児島が3両と13両も繋いでいて、さらに小倉で逆編成となる。これだけ複雑な急行は今の日本には決してないであろう。
こんな暇つぶしが一番楽しい。