『日本の風景再発見』シリーズ その13。今回は『竹島』だが、竹島といっても韓国と領土争いをしている島根県の竹島ではなく愛知県蒲郡市の三河湾に浮かぶ小島である。三河湾国定公園に周囲は指定され、わずか1.9haしかない、しかも陸地からわずか400mしか離れていないが、独特の暖地性植生を誇る対岸とは全く異なる環境にあることから昭和5年には島全体が天然記念物に指定されている。
島までは竹島橋で結ばれており、誰でも行き交うことはできる。竹島全体は八百富神社(竹島弁天)の境内であり、石の階段を上っていくと弁天を始め5つのお社がある。この神社は平安末期1181年に藤原俊成が竹生島(琵琶湖に浮かぶ小島)より勧請し、創立したとされる。その後江戸時代になっても領主松平氏の庇護を受けていた。また、大鳥居は大正4年に建てられたもの。
竹島橋をわたって竹島に行ったのは夕方5時くらいであったが、日中の暑さは嘘のようで海を渡る風が心地よい。島に向かうとどんどん島が大きくなっていく。島に着いて振り返ると鳥居の向こうに陸地が見え、さらにその上に蒲郡クラシックホテル(旧、蒲郡ホテル)が見える。このホテルは1934年に名古屋の繊維商社(タキヒョー)が全国初めての国際観光ホテルの一つとして建設したものでそのクラシカルな姿は経産省の指定する近代化産業遺産にも指定されている。(ちなみに同時期に作られた国際ホテルは横浜、雲仙、大津である)
ホテルから見る竹島は巻頭の写真のように絵に書いたようであり、昭和35年に発行された三河湾国定公園の切手と同じ構図であった。ほかに何があるわけではないが切り取って残しておきたい風景である。この地で菊池寛など文豪が執筆したのかと思いを馳せるだけでも楽しい場所であった。
(このホテルに関しては改めて取り上げることとしたい。)
島までは竹島橋で結ばれており、誰でも行き交うことはできる。竹島全体は八百富神社(竹島弁天)の境内であり、石の階段を上っていくと弁天を始め5つのお社がある。この神社は平安末期1181年に藤原俊成が竹生島(琵琶湖に浮かぶ小島)より勧請し、創立したとされる。その後江戸時代になっても領主松平氏の庇護を受けていた。また、大鳥居は大正4年に建てられたもの。
竹島橋をわたって竹島に行ったのは夕方5時くらいであったが、日中の暑さは嘘のようで海を渡る風が心地よい。島に向かうとどんどん島が大きくなっていく。島に着いて振り返ると鳥居の向こうに陸地が見え、さらにその上に蒲郡クラシックホテル(旧、蒲郡ホテル)が見える。このホテルは1934年に名古屋の繊維商社(タキヒョー)が全国初めての国際観光ホテルの一つとして建設したものでそのクラシカルな姿は経産省の指定する近代化産業遺産にも指定されている。(ちなみに同時期に作られた国際ホテルは横浜、雲仙、大津である)
ホテルから見る竹島は巻頭の写真のように絵に書いたようであり、昭和35年に発行された三河湾国定公園の切手と同じ構図であった。ほかに何があるわけではないが切り取って残しておきたい風景である。この地で菊池寛など文豪が執筆したのかと思いを馳せるだけでも楽しい場所であった。
(このホテルに関しては改めて取り上げることとしたい。)