ほはとの日誌

個人の日誌として利用

妻の死去

2014-01-27 | Weblog
妻の死亡通知を遠い友人宛にきょう送る。同じものをブログに掲載する。
住所氏名の一部は伏せ字にしています。


通夜が1月21日、葬儀が22日に執り行った。
通夜の出席者が180人位で会場が100人収容だったので、あふれた。
葬儀の出席者が100人位だった。
しかし想定では60-70人だったので大幅に参加者が増えた。

葬儀の時に私が挨拶をしたが、妻の病気の経過がよくわかるので、ここに掲載することとする。
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本日はご多忙中の中、また非常にお寒いところ、妻恭子の葬儀にご会葬いただき、誠にありがとうございました。
妻もさぞ、深く感謝していることと存じます。

妻のことを本来、恭子と呼ぶのですが、結婚以来、私の事を正彦さんとよばれてきましたので、私も最近では恭子さんと呼んでいますのでご了承ください。

恭子さんは一昨年の11月ころから腰痛を起こしまして、藤沢市民病院で診察を受けましたが、原因がわからず、昨年の1月、1年前に、ようやく病名が「多発性骨髄腫」とわかりました。白血病の一種で、血液のガンでございます。
先生からは延命治療しか方法がないといわれ、病院に入院して、1ヶ月ほど治療しましたが、効果がなく、それなら今後は緩和治療をしようということで湘南中央病院へ入院しました。ところが病気が悪化しないため、昨年7月中旬に自宅療養ということで自宅に帰ってきて、ずっと薬を飲む治療をしていました。5ヶ月間自宅で、やすらかな時間を過ごすことができたことが、本人にとっても家族にとっても非常に嬉しいことでした。
このかん、お友達ににはたびたびお見舞いをしていただきありがとうございました。
しかし病気が悪化し、昨年12月中旬に湘南中央病院へ再入院しました。それ以降、子供と交代で毎日看病してまいりましたが、4日前の1月18日17時に静かに生きを引き取りました。

恭子さんは非常に運が悪く、49歳の時に乳がんを、58歳の時に肺がんをわずらい、いずれも手術で切り取っただけの治療で回復しましたが、最後にわずらった多発性骨髄腫は治療の方法がないということで、残念なことになりました。

恭子さんの性格は、非常に明るく、気配りの人で、常に周りの人のことを優先して考えて、活発な行動をする人でした。一緒にいるだけで、まわりの人が楽しくなるような人でした。
ご近所付き合いでもサークルの活動でも周りの人からはいつも愛される人でした。
家の中でも同じで、子供をしっかり大人に成長させ、家庭ではいつも太陽のような存在でした。
私としても感謝の気持ちでいっぱいです。
そういう、いい人が亡くなるということは誠に残念至極なことです。

最後に恭子さんが書いたエンディングノートに、友人知人への言葉がありますので、紹介させてください。
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長い間、ご一緒していただきありがとうございました。とても楽しかったです。特に友の会大庭最寄りの皆様、いろいろ親切にしていただきありがとうございました。友の会の活動は喜びは倍増するし、苦しみ悲しみは分けて背負ってもらうので、こたえられない活動でした。ありがとうございました。こういう活動がずっと続くことを祈っています。
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本日は、みなさま、お寒い中を、本当にありがとうございました。