空から見ると、鳥取砂丘はこんなにも小さかった。
機内のアナウンスでは東西16kmとのことであったが、とてもそんなに大きいとは思えない。
防砂林を展開して砂が広がらないようにしているのかもしれない。
機体はどんどん高度を下げて砂丘の向こうへ移動してゆく。この先に鳥取砂丘コナン空港がある。
鳥取は仙台と直接のアクセス便がない。僕たちは仙台から新幹線で東京へと出てきて、羽田空港から鳥取へと向かったのだ。日にちは2019年すなわち令和元年の11月1日。他の地域では神無月(旧暦)だが、山陰とくに出雲地方に近づくと「神在月」と呼び習わす。
思えば25年前の今頃、やはり僕たちは鳥取空港(旧称)に降り立っていた。羽田からはなんとレシプロ(プロペラ)機のフライト。途中エアポケットの恐怖にも遭遇した。手の平は冷や汗でべっとり。首尾よく着陸してタラップを降り、アスファルトの上を歩きはじめて、何気に膝に力が入らないのがわかった。その時改めて陸にへばりつく生き物の在り様を思い知った。つまり、「もう落ちない」ということがこんなに幸せなことなんだと初めて知ったのだ。
実にこれが25年前の山陰旅行の皮切りであった。山陰旅行は、僕らの新婚旅行だった。迂闊にも神無月に神前結婚なんぞ企画したために、その後、わざわざ神在月たる出雲大社へと結婚の報告を奏上しに罷り越した。しかしあの時、鳥取に着いて最初にやったのは、砂丘でラクダに乗ることであった。真っ先に出雲の大社にて四手拍を打つべきところを、まずラクダで砂丘を逍遥し、記念撮影をした。バカバカしく聞こえるかもしれないが、それが一生忘れえぬ旅のはじまりであった。
奇しくもあれから25年。不思議な縁でふたたび山陰の旅がはじまろうとしていた。
「鳥取砂丘コナン空港」と名称が変わったのは、いつからなのだろう。飛行機が車輪を出して、滑走路がどんどん近づいてくるのを機内から眺めつつ、ぼんやりと考えていた。もちろん考えたって手元に情報はない。通信機器も入電できないし、添乗員さんに訊ける話でもない。ただ、飛行機が高度を下げるたびにひどく揺れたり上下にすぅっと振れたりすると、内臓の血流が逆流しそうになる(飛行機の操縦で一番難しいのは離陸よりも着陸だそうだ)。つまり今、なにか気を紛らわせるものが必要なのだ。つらつら考えているうちに、ゴツンと足下に衝撃があたり、次に機首がガクンと下がり、エンジンの物凄い轟音とともに前方に向かって身体が引っ張られた。
そうだった。鳥取の空港では必ず逆噴射がある。
窓の外では翼のエアブレーキが全開になっているのが見える。わかりやすく言うと、滑走路が短いから飛行機は着陸と同時に急ブレーキをかけないとオーバーランしてしまうのだ。
とりあえず無事到着。あらためて我ら陸にへばりつく生き物の歓喜の歌を聴いた気がした。