放菴日記抄(ブログ)

これまでの放菴特集・日記抄から「日記」を独立。
流動的な日常のあれこれを書き綴ります。

角館ー花巻紀行(博物館のジオラマ)

2018年12月06日 00時15分50秒 | あんなこと、こんなこと、やっちゃいました

 宮沢賢治童話村に到着。 
 雨はだんだん強くなってきていた。
  どうする・・・? ここで相談タイム。
  明日また来ようか?雨の中歩くのはしんどいし。そのかわり隣の花巻市博物館に寄ろうか。
   大丈夫?もう閉館時間じゃない?
 時刻はまもなく夕方の4時。

   ちょこっと行ってみよう。駆け足で見れるかな。

 急ぎ車を博物館に寄せる。しかし駐車場は空いていない。
 家族みんなを建物近くで降ろして、雨の中再び車を童話村駐車場へ持ってゆく。
 車を降りて急いで博物館への坂を登る。傘はナシ。

 賢治の愛した胡四王山はすっかり雨音につつまれていた。雫がねっとりと肌に貼り付く。まるで梅雨のような湿気。
 それでも気温は23°くらい。今年(2018)の夏は、災害レベルの猛暑だったが、このときは信じられないくらいに気温が低かった。

 植え込みの生い茂る中を突っ切ろうとしたら「スズメバチ注意!」の看板。
 看板だけでビビるな、と独り言。でも強がっている場合じゃないので植え込みからやや離れた道を遠回り。

 建物に入るとさすがに髪がびっしょり。面倒くさがって傘ナシで歩くからいけない。これだから男は・・・。
 でも閉館時間にはやや間があったようだ。良かった。
 
 エントランスを入るとワイドスクリーンがお出迎え。展示物の広報用らしい。特別展「写真家が捉えた昭和の子ども」。土門拳か。お、なんだ軽便鉄道のジオラマがあるの?  
 さすがに花巻市の博物館ともなるとテーマは宮沢賢治だけというわけにはいかない。地質、古代生物、植生分布、考古民族、飢饉のこと、和賀氏、稗貫氏、そして南部氏のこと。そして遠野や宮古へのアクセス、つまり賢治が「化物丁場」と呼んだ難所をどのようにして克服してきたのか、壮大な歴史がここに詰まっている。そしてやっと花巻の偉人を紹介するパネルにたどりつく。
 先程の軽便鉄道のジオラマはこの先にあった。そういえば、さっき展示を見ていた時にどこかで汽笛のような音を聞いたが・・・?  
 「はい、さきほど実演しました。」
 あ、やっぱり。で次はいつ?
 「あと20分くらいですかね」
 えーっ。閉館しちゃうよ!
 「はい、最後の実演になります」
 うわー、そう来たか。今日はここまでか。しゃーない、最後の実演を待とう。

 ジオラマをよく見ると、当時の花巻駅を中心に、いろいろな系統の路線があったことがわかる。軽便鉄道の軌道は仙人沢方面から大きくカーブを描いて乗り入れている。さらに花巻と温泉地とをつなぐ路線。そういえば確かに花巻は温泉が多い。おそらく岩手火山帯と、火山帯と連動して隆起した断層崖が花巻の西にはずらりと並んでいるのだろう。花巻温泉のみならず、台温泉、金矢温泉、松倉温泉、志戸平温泉、渡り温泉に大沢温泉。鉛温泉など。温泉天国だ。さっき「西花巻」と書かれた停車駅表示版があった。西花巻駅は、花巻電鉄が花巻温泉郷系統と鉛温泉系統と分岐するところ。なんとここからレールの幅が違っていたという。鉛温泉系統は最もレールの幅が狭く、走る車両もまるで馬蝗のように細長かった。それで「馬ヅラ電車」と呼ばれたらしい。表示版もホンモノでしょうね。「銀河鉄道」を担ぎ出すまでもなく、花巻は鉄道ファンの聖地なのだ。
 
 博物館の職員さんがひょいっと覗いた。あ、そろそろですか? 軽便鉄道の出発時刻。
 「はい。まもなく」
 楽しみ。

コメント
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