放菴日記抄(ブログ)

これまでの放菴特集・日記抄から「日記」を独立。
流動的な日常のあれこれを書き綴ります。

ほうねん座稽古場公演~日本人の身体の動かし方

2011年11月14日 00時46分03秒 | 観劇日記
 平成23年11月12日(土)、仙台市秋保にて、ほうねん座の稽古場公演がありました。

 震災で被害のあった稽古場ですが、奇跡的に復活。
 座員をはじめ多くの支援者の、ますます想いのこもった場となったようです。

 演目はやっぱりパワフル! そして動きと響きにキレがある!
 大太鼓の響きは、まるで僕らの「上丹田、中丹田、下丹田」をつらぬきゆるがし、悪しき物を悉く粉砕するが如く、でした。

 でも、その所作というか動きは、普段日常生活で僕らが行なっているものとはちょっと違うのです。

 なんというか、その、あえて言えば「よくまとまっている感じ」・・・。
 それは軽やかでいて、けれどもバラけているふうでもない。
 ふわりとした感じとスルリとした感じが一緒になっているようで。けれども下から突き上げるような力強さもあるのです。
 
 ほうねん座さんが取り組んでいるものは純粋な伝承芸能です。
 きっとこれはすべて昔の人があたりまえに出来ていた体の動かし方なのでしょう。

 なぜこれが僕らの体には備わっていないのでしょうか。
 ふと、古武道家の甲野善紀さんの言葉を思い出しました。(NHKの「爆問学問」見ました?)
 「重いものを重いと感じて持ち上げるのではなく、いかに負荷を掛けないようにして持ち上げること」
 これがいにしえの人々にはちゃんと出来ていたというのです。
 
 この言葉は武技だけではなく、人類が本来持っていた身体の動かし方、つまり重いものを持ち上げるとき、道具を扱うときに、あたりまえにこなしていた動作についても言えると思います。
 特に日本人は、その体型ゆえに、手足の長い人種とはちがう、ちょいとした工夫が動作に必要なのではないでしょうか。

 あらためて稽古場公演で目にすることができた、踊りや唄、太鼓を叩く動作には、昔からの働く動作、特に農作業、漁り場作業のときにこなしていた体の使い方がちゃんと伝承として織り込まれているわけで、それゆえの美しさというものも、ちゃんと備わっていたのです。

 これってなんだろう?
 日本人が美しくみえる動作、ってなんだろう?

 大きな共通点は確かにありました。
 それは「半身を同時に使うこと」ではないかと思っています。

 右手が前に出るときには右足も前に出ているのです。左もしかり。
 そのとき、腰も右前、左前と変化するのです。
 この動作がよく見られたのが「立石の百姓踊り」。
 大振りな動作で鍬や天秤棒などを使い、右に左にと身体を展開させながら踊ります。
 最後に米俵が出来上がり荷車に積むというオメデタイ踊りです。

 田んぼを鋤き込む動作では身を低くして鋤をヨコにスイングします。このとき、やはり右手・右足が同時に前に出るのです。
 これが日本人の力の入れ方なのです。

 お相撲さんのつっぱりも右手と右足が同時に出ます。こちらはむしろ、右半身が同時に出て「衝き」が完成するカンジ。

 古武術の「棒術(杖術)」でも、(どの流派でも)たいがい右手・右足は同時に出ます。
 (こちらはむしろ腰がすばやく右に回転し、それに右上体・右下体が乗っかるカンジ)

 右手が前に出ているのに、左足が前に出ると、この場合どうしても動作がバラバラになります。これではホントの力が出せない。

 半身が同時に前に出てくる動作を「ナンバ」というそうです。
 甲野さんのいう「伝承」にはこういう動作もきっとはいっているのでしょう。


 再び甲野さんの言葉
 「人類はいま、数千年続いた伝承を、初めて失った。」
 日本人ならではの「理にかなった動作=伝承」。僕もこの身に継承できたらなぁ、と考えています。
 
コメント
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