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放菴日記抄(ブログ)

これまでの放菴特集・日記抄から「日記」を独立。
流動的な日常のあれこれを書き綴ります。

お山のジオラマ7

2010年07月28日 15時50分47秒 | あんなこと、こんなこと、やっちゃいました
 フォリッジ(森)を山肌に貼り付けているうちに、だんだん谷川の風情が出てきた。

 枝葉からチラリと覗く細い川筋。
 木陰に見え隠れしながら起伏の大地を走りぬけ、まるで千年も砂を運びつづけたかのように蛇行し、平原を拓いている。
 そのまま地形を再現しただけなのだが、それなりの彩りと質感を添えるとさすがに汀(みぎわ)の瑞々しさまで漂ってくる。

 ジオラマって、すごい・・・。

 想像力をのこらずぶつけるつもりで挑めば、そこにワンダーランドが出現する。

 けど、限界も確かにある。
 ここまでは紙粘土の質感や絵の具の色彩、フォリッジのかもしだす緑の雰囲気が、たまたま自然界の表情と似ているだけ。では人工物は?

 橋は?畑は?民家は?階段は?

 里山なら里山なりの「生活感」というものがあって、それは(宿場)などとも整合性がなけりゃならない。いわゆる「営み」というヤツは、地域の連絡が備わっているのだから。
 そうすると、山から生まれる水の流れが里や町に導入されていなけりゃならない。里や町には街道がなければならない。それなりの歳月を経てそこに存在するようでなけりゃならない。

 そう、そこが難しいんだ。

 川の流れは山肌上ならば憶測できた。けれど平地に流れ出してから、川がどのように遣われているのかがほとんど分からない。
 
 何日も古地図を検索しては街道と水の流れを割り出してゆく。
 うーん、もともと市街地のハズレ部分だからなぁ、
 
 
 
コメント
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