かわたれどきの頁繰り

読書の時間はたいてい明け方の3時から6時頃。読んだ本の印象メモ、展覧会の記憶、など。

【メモ―フクシマ以後】 原発をめぐるいくぶん私的なこと(4)

2024年07月19日 | 脱原発

2013年7月12日

 ときおり小雨がぱらついていたが、その雨も止んでいて、デモに出発する。錦町公園からは定禅寺通りを西に向かって歩く。

顔上げて街を行くとも屈辱のごとく雲垂る西空が見ゆ
           道浦母都子 [1]

 同じ時代を見てきたが、私は道浦母都子のように激しく権力と闘ったわけではない。それでもやはり、デモの中にいると上の歌のような感情のフラッシュバックに驚くことがある。夕暮れ時の感傷には、そういう心性も含まれているのだろう。油断していて、感傷にずぶずぶになるのは嫌だ。そんなときには、金子兜太の句がふさわしい。

ほこりつぽい抒情とか灯を積む彼方の街 金子兜太 [2]

[1] 『道浦母都子全歌集』(河出書房新社 2005年)p. 121。
[2] 『金子兜太集 第一巻』(筑摩書房平成14年)p. 35。


2013年11月1日

 気がつけば、みちのく仙台の秋はどんどん深まっていた。せめて一度くらい秋らしい感傷に浸るのも、季節の正しい過ごし方だろうに、いつのまにか晩秋なのだ。
 右翼ナショナリスト政権の秋がこんなに息苦しく鬱陶しいものだとあらためて身に染みる。それはまず、日本語が人間が使う言語として世間で通用していないという言語的閉塞感にある。
 よく日本語は論理的な言語ではないとしたり顔でのたまう人間がいるが、どんな言語でも同じように論理的であり、同じように非論理的である。非論理的な側面を強調する言語活動が目立つとすれば、その社会自体の問題である。
 たとえば、東電福島第1原発事故は事故処理対応としてはほとんど水で冷やすだけで終っている。熔けた核燃料の行方すら分らない。雨が降れば降った分だけ放射能汚染水が海に垂れ流しである。つまり、東京電力は原発事故を処理する技術を持っていないのである。これを「コントロール下にある」と表現したら、言語体系は崩壊する。日本語を率先して意味不明言語(非論理的言語よりたちが悪い)にしているのは今日ただいまの日本の政治家たちである。
 政府が汚染水対策の前面に出ると言っているが、これは完全な空念仏にすぎない。東京電力に処理能力がないということは、日本のどこにも、世界のどこにもそんな技術はないということだ。自民党政府がいくら空威張りしても、ない技術は権力や金ではどうにもならない。出来もしないことを出来るかのように大声で語る言語に信頼は生まれない。
 「日本の原子力技術は世界でトップ」と宣言しながら、事故処理には世界の英知を集めるというこの典型的な論理矛盾。言葉が言葉として通用しないこの閉塞感に包まれて夏から秋を過ごした。そういうことなのだ。

秋の暮行けば他国の町めきて 山口誓子 [1]

 政治家の日本語は外国語に聞こえる。いや、そういう句ではない。やめよう。せっかく、詩歌で秋を味わおうという気になったのだから、鬱々となる政治の話は脇に置いておこう。

真昼の月の下を
荒れた道がつづいているのみである
ときに一人の男が
遠くからこちらへ近づいてきたりする
それだけのことで
世界の秋は深くなってゆくように思われる
孤独な道を歩いてくる男だけが
高貴な冷たい戦慄を感じているに違いない
    鮎川信夫「行人」部分 [2]

 政治を志すものの中に「高貴な戦慄」を感じるような人間はいないのか、などと、どうも愚劣な政治のイメージから逃れるのは難しいらしい。せっかくの鮎川信夫がもったいない。

野菊咲き満ちとんぼの貌を明るくす 金子兜太 [3]

けふはけふの山川をゆく虫しぐれ 飴山實[4]

 これだ。やっとしみじみとした秋の雰囲気だ。この秋「けふはけふの山川」に出かけられなかったことが、私の今年の秋の問題だったのだ。

稲にうつくし水ながれ美作一の宮参る 荻原井泉水 [5]

 この俳句はいい。繰り返し口ずさんでみる。リズムといい、音調といい、ざわざわするほどすばらしい。「美作一の宮」がどこにあるか、まったく知らないのだが、この一句によって「象徴界」の美しい秋の宮となる(無季自由俳句を唱えた荻原井泉水に「秋」を強く感じるのは多少皮肉ではあるが)。

[1]『季題別 山口誓子全句集』(本阿弥書店 1998年)p. 260。
[2]『鮎川信夫全詩集 1945~1965』(荒地出版社 1965年)p.142。
[3]『金子兜太集 第一巻』(筑摩書房 平成14年)p.82。
[4]『飴山實全句集』(花神社 平成15年)p. 164。
[5]『わが愛する俳人 第二集』(有斐閣 1978年)p.59。


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