かわたれどきの頁繰り

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【書評】ミシェル・フーコー、北山晴一、山本哲士『フーコーの〈全体的なものと個的なもの〉』

2013年03月12日 | 読書



ミシェル・フーコー、北山晴一、山本哲士
『フーコーの〈全体的なものと個的なもの〉』
(三交社、1993年)

 

 こうしたことは誰もが知っているありふれた事実です。しかし、ありふれた事実は、ありふれているからといって存在しなくなるわけではありません。ありふれた事実を前にしても、そうした事実にかかわる特有の問題や、もしかしたら独創的でさえあるかもしれない問題が発見できるのか否か、あるいは発見しようと試みるのか否か、その差はわれわれの側に属しているのです。 (p. 11)

 本書は、1979年にミシェル・フーコーがスタンフォード大学で行った講演『全体的なものと個的なもの――政治的理性批判に向けて』を北山晴一が訳出した本文と、『フーコーの権力論をめぐって』という北山晴一と山本哲士の討議、北山晴一による訳者解説としての『ディシプリンから真理へ』という論考の三部から成っている。フーコーの仕事の概観から、当該講演の解説、フーコーの権力論に主眼を置いた討議などを加えた本書の構成は、理解しやすさという点において、私などにとっては少なからず役立つ仕組みになっている。

 フーコーは「ヨーロッパ社会では政治権力の形態は時を追うごとに集権化にむけて推移した」 (p. 13) が、一方でまったく逆に「個人を対象としながらしかもその個人を継続的、恒常的に支配するための政治技術が発展した」 (p. 14) として、その個々の人間に向かう政治権力を〈牧人権力〉と呼び、二回の講演の1回目を〈牧人権力〉の系譜学的論述に当てている。

 集権化の客体であるとともに,主体でもあるそのような権力の政治的形態が国家であるとするなら、個別化を行うものとしての権力はこれを牧人権力と呼ぼうと思っています。 (p. 14)

牧人的権力とは、群れのそれぞれの構成員に対する個別的な配慮を前提としているわけです。 (p. 21)

 エジプトのファラオ(ファラオン)は「羊飼い」であり、バビロンの君主も「人々の羊飼い」の称号を持っていたが、神だけが人々の羊飼いであるとするヘブライ人が「牧人のテーマを発展させ増幅させた」 (p. 16) とする。
 牧人権力はオリエントを始原とするが、ギリシアにおいてプラトンが牧人権力に言及していることが紹介される。かつて人間の群れは牧人神人に率いられていたが、神々は人々の羊飼いであることをやめる。そうして人間は自らに責任を持たなければならなくなり、政治家が人々を結び合せて共同体に集め入れ、シテのためにすばらしい布地を織り上げる役割を果たすようになる。

起源はもともとオリエントのものであったとしても、やはりプラトンの時代には識論の対象になるくらい十分重要なテ—マとなっていたことを示しているように思われます。ただし、それはそうした考え方に疑義を提出するためだったということも記憶しておくべきでしよう。 (p. 31-2)

 オリエントからの〈牧人権力〉、ギリシャからの〈シテ〉を維持する中央政治権力は、ともに相まってヨーロッパ社会の権力を構成することになるのだが、キリスト教はきわめて重要な役割を果たすことになる。

これらの問題は、西欧の歴史の全体を覆っているものであり、現代社会にとっていまなお最高度に重要な問題なのです。それらは、国家の統一性の法的枠組みとして機能している政治権力と、他方の、「牧人的」と呼ぶことのできる権力、すなわちすべての個々人の生命に四六時中こころを配り、彼らに助けを与え彼らの境遇を改良することを役割とする権力との間の関係にかかわっていることなのです (p. 33)

 キリスト教的牧人は、ギリシア人もへブライ人も考えつかなかったひとつのゲームを導入したのだといってよいでしょう。生と死、真理、従属、個人、アイデンティティーを要素とする奇妙なゲームです。市民の献身を介して生き残るシテのゲームとは何の関係も無いように見えるゲームです。これら二つのゲ—ム――シテとその市民のゲームおよび羊飼いと群れのゲ—ム――の両方をわれわれが近代国家と呼んでいるものの中で巧みに結合させることによって、まさしくわれわれの社会は悪魔的な社会となってしまったのです (p. 41-2)

 牧人権力の系譜学的考察の第一講を踏まえて、第二講では近代国家における「国家権力の行使の際に動員される〔政治的〕合理性の形態」 (p. 48) について論じるが、そこでは「国家理性」と「ポリス」という概念を、マキアヴェリ、テュルケ、ドゥラマール、フォン・ユスティなどの論考を系譜学的に取り上げている。

 要約していえば、国家理性とは神や自然あるいは人間の法に従って統治を行う技法のことではありませんでした。この統治法は世界の一般的秩序の尊重など必要としてはいなかったのです。国力に従って統治することが大事だったのです。それは、こうした国力を拡張的かつ競争的な枠組みの中で強化していくことを目的とするような統治の形態を意味していたわけです。 (p. 57)

ポリスの十一の対象に関する彼〔ドゥラマール〕のコメントの内容をここで見てみましょう。まず、ポリスは宗教に注意を払うとされていますが、しかし、それはもちろん教義上の真理性を問題にするわけではなく、人生の道徳面での質を問題にするためです。健康と食糧供給に気を配ることによって、ポリスは生を保護するように努めます。商業、作業場、労働者、貧民および公の秩序に関する分野では、ポリスは生活の快適面について気を配ります。演劇や文学、見世物を管轄するときのポリスの対象は、人生の喜びそのものです。一言でいえば、人々の生活こそがポリスの対象であり、そこには不可欠と有益と余裕が含まれています。人間が生存し、生活し、さらによりよく生きるのを可能にするのが、ポリスの役割だというわけです。 (p. 65-6)

フォン・ユスティは、一八世紀になると次第に重要さを増すことになるあるひとつの概念――すなわち住民について、ドゥラマールと比べればはるかに詳しく述べているからです。住民とは、生きた個人のグループだと定義されています。また、その特徴は、同じ種に属し隣接して暮らすすべての個人の特徴だとされています。(ですから、住民はその特徴を出生率や死亡率にあらわされるし、疫病や人口過密現象の犠牲にもなります。また、領土区分のある種のタイプを示すことにもなります。) ポリスの対象を定義するためドゥラマールもたしかに「生活」という用語を使ってはいました。しかし、彼はそれについてあまり深く言及していませんでした。ところが一八紀においては、とくにドイツでは、この住民なるもの――すなわち、ある一定の地域で生活する個人のグループ――がポリスの対象だと定義されたのです (p. 70)

 権力は実体ではないし、それは個人間に存在する関係タイプである、とフーコーは述べる。「それはある特定の人々が、程度の差はあれ他の人々の行動の一切……を決定できることである」 (p. 72-3) ことが権力の弁別特徴だとして、それはけっして暴力的、強制的ではなく、いわば政治的合理性を帯びているのである。そして、その政治的合理性こそが「悪魔的な社会」を織り上げているそのものなのである。

 複数の人間の間の関係では、いくつもの要因が権力を規定している。ところがやはり、ここでも合理化への動きはたえず進んでおり、しかも特有の形態をおびている。それは、経済的プロセスとか生産・コミュニケーシヨン技術とかに固有の合理化とは異なっている。それはまた科学的言説の合理化とも異なっている。人間の人間による統治は――その人間たちのグループが卑しかろうと高貴だろうと、あるいは女に対する男の権力とか、子供に対する人人の権力、ある階級に対する別の階級の権力、さらには住民に対する官僚の権力であろうとも――それはあるかたちの合理性を前提としており、手段として暴力を前提としているわけではない。 (p. 73-4)

 政治的合理性は西欧社会の歴史の中で発展し確立されたものである。それはまず牧人権力の理念の中で定着し、次いで国家理性という理念の中でも定着した。個別化と全体化は、その避けることのできない結果である。解放は、この二つの結果のいづれかを攻撃したところでやってくるものではなく、政治的合理性の起源そのものを攻撃しないかぎりやってこないであろう。 (p. 75)

 フーコーの講演を受けて山本哲士と役者の北山晴一の二人が「フーコーの権力論をめぐって」というタイトルで討議を行っている。フーコーの権力論をめぐる興味深い議論が進められているが、なかでも山本がプラクシスに対してプラチックの重要性を強調している展が目を引いた。

山本――フーコーの哲学ないし思想とは、実存主義のプラクシスな自己・自我とちがって、「わたし」の存在プラチックを自由プラチックとして探りあてるものだといえます。そのためにフーコーは、禁止されることと許容されることとの境界画定に働いている、肯定的なパワーを「ディスクール的プラチック」と「社会プラチック」との相互関係領域に見いだしていき、「人間という主体」をつくりだす制約世界をとらえていったのです。
 この問題領域は、もはや自由・対・制約(強制)といった対立図式では考えられえないプラチックな領域をとりあげています。そして、この制約条件ないし制約状況のもとでの男女の存在は、実際には、簡単なことがらではありません。ここを、きょうはフーコー権力論のもつ意味と限界として議論していければと思います (p. 81)

山本――ひとことでいいますと、認識論的なヨーロッパの形而上学へ収斂していった哲学に対抗するかたちで、フーコーが考えようとしていた究極的な到達点は、自己認識ではなく、「自己の自己にたいするプラチック」、存在論だったのではないか。そしてその存在論を考えようとしたときに、批判否定的にではなくて、あくまでも批判肯定的に背負いこむ姿勢として哲学的に貫いて、社会認識を問題にしなかつたという感じがするのです。それはプラクシスをひきこんだサルトルの実存主義とまったく異質の〈個の存在論〉であり、構造主義という全体化=構造化の非—主体のイデォロギ-を批判媒介にしてつくりだされてきた。 (p. 106)

 プラチックを称揚する山本に対して、北山は幾分かの保留を見せるが、私もまた、どちらかと言えばプラクシスを重要と考えてばかりいたので、山本のように熱情的にプラチックを語ることに逡巡を覚えないわけではない。ただし、ここでの議論は私の逡巡を超えるほどに興味深いし、また、それはフーコーの淡々とした系譜学的アプローチや思考が実際には強靱でタフな思念であることとも見合ってもいるようである。

 最後に訳者である北山晴一の丁寧な解説が付されている。背景としてのフーコーの『監獄の誕生――監視と処罰』の解説から始まる本稿は、本書の『全体的なものと個的なもの』の逐次的で精細を極める解説でありながら、いわばフーコー権力論の入門書のような趣がある。私のようにフーコーを読みながらフーコーになかなか近づけない読者にとってはこのような解説が付されているのはありがたい。