かわたれどきの頁繰り

読書の時間はたいてい明け方の3時から6時頃。読んだ本の印象メモ、展覧会の記憶、など。

『ポール・デルヴォー展 ―夢をめぐる旅―』 埼玉県立近代美術館

2013年03月09日 | 展覧会

 ポール・デルヴォーの絵を見ていると、ある種の懐かしさのような感覚が生じる。かつての私にきちんとしたデルヴォー体験のようなものがあったということではない。デルヴォーやそれに類似した表現群を「モダニズム」、もう少し限定的に言えば「アーバン・モダニズム」として眺めていたような気がする。もちろん、デルヴォーの絵がモダニズムに属するとか、アーバン・モダニズムであるとか具体的に考えていたわけではない。だいたい、「アーバン・モダニズム」というカテゴリーがあるのかどうかさえ分からない。私の造語である。東北の農村、田舎で生まれ育った私にとって、かつて「アーバン・モダニズム」と括りたくなるような世界が確かにあったと思うのだ。それは珍しくも新鮮であったが、どこか無縁な遠い世界のことでもあった。
 デルヴォーの絵を見て感じる懐かしさというのは、かつて私が「アーバン・モダニズム」と勝手に思い込んでいた自分の感覚への懐旧であるようだ。

 かつてとても新鮮で珍しく思いつつも、ある距離を感じていた絵はたぶん《トンネル》のような絵であったろう。女性は確かに美しい。しかし、その女性たちは動きも表情も乏しく、ひたすら美術空間を構成するために捧げられた美的事物のようですらある。そこには日常の私たちが抱いているような湿った感情というものがない。「あぁ、これがモダニスムというものだ」と若い私は思い込んでいたに違いない。
 デルヴォー自身がこう述べている。

……観賞に堪える作品にするために必要なことが数多くありますに詩的性質の強さに応じた色づかいであること、主題が具体的であること、文学的(時に陥ってしまう恐ろしい危険です)でないこと、そして全体が建築的に構成されていること、すなわち、全ての要素が調和的な相互関係を保っていることです。 [1]


     《トンネル》 1978年、油彩・カンバス、150×250cm、ポール・デルヴォー財団 [2]

 ここで言う文学的とは物語性が強いという意味であろう。《トンネル》が「建築的であること、文学的でないこと」は確かである。物語が美術にとって不要だとか、無用だとかいうわけではないだろう。物語性で空間や造形の美しさを補助してしまう(美の追究を疎かにしてしまう)俗物主義を嫌っているのだ。

  
        《夜明け》 1944年、油彩・カンバス、80×100cm、個人蔵 [3]

 《トンネル》から30年以上も前に、デルヴォーは《トンネル》に繫がる表現を示している。例えば《夜明け》である。ここにあるのはギリシャの建築物や彫刻や神話の世界である。神話といってもその物語性ではなく、デルヴォー的に言えば神話の強い詩的性質の表現と言うことになるだろう。ヨーロッパの文学であれ、美術であれ、哲学であれ、ギリシャへの強い回帰が表明されると、ある戸惑いと距離を感じてしまうことが多くなる。ヨーロッパ人のように生まれ落ちた風土の空気のようにギリシャ文化を我が身に包含していくというのは、私にはあり得ないからである。若い自分にはその遠さ、わからなさに苛立っていたが、いまは諦めることができるようになった。「わからなさ」を「わからなさ」で受容しようというわけである。
 そう思って見直せば、《夜明け》でも《トンネル》でも塑像のような女性の美しさが際立ってくるようだ。

  
    《森の小径》 1921年、油彩・カンバス、120×100cm、ポール・デルヴォー財団 [4]

 デルヴォーの画業そのものを「アーバン・モダニズム」などと勝手な言葉で括ることができないのは当然である。むしろ、どのような括りも難しいほどにデルヴォーの絵は変容するのである。
 例えば、24才の頃に描いた《森の小径》は印象明瞭な「印象派」とでも呼びたくなる。晩夏や初秋、空気が澄みわたる季節に森を歩くと、強い日差しの木漏れ陽は、地面や木の幹でそれ自体が発光しているのではないか思うほど輝いていることがある。残雪の山から下ってきてそのような林を歩いていると、木漏れ陽は雪と見まがうようですらある。
 山や森が好きな私にとってはとても印象的な作品である。木漏れ陽を《森の小径》のように描いた絵は珍しいのではないかと思う。

          
          《若い娘のトルソ》 1933年、油彩・カンバス、120×80cm、個人蔵 [5]

 36才で描いた《若い娘のトルソ》は、《夜明け》や《トンネル》の女性像とは異なり、体温を直接感じられるような肉感性にあふれている。《若い娘のトルソ》の隣に展示されている《バラ色のブラウスの女性》という作品も同じような感じで描かれた女性像である(余分なことだが、その女性は女優の岸田今日子に似ているのだった)。

  
    《夜の死者》 1980年、油彩・カンバス、150×150cm、ポール・デルヴォー財団 [6]

 様々な変容を遂げるデルヴォーだが、《夜明け》や《トンネル》がもっともデルヴォーらしい作品であることは間違いない。《夜の死者》はさらに典型的にギリシャ文化へのオマージュになっているようだ。《夜の死者》という「文学的」なタイトルが気になるが、これはむしろ「強い詩的イメージ」ということにしておこう。

 

[1] 「ポール・デルヴォーの言葉「作品が生まれるまで」」『ポール・デルヴォー展 ―夢をめぐる旅―』(以下、図録)(「ポール・デルヴォー展 -夢をめぐる旅-」実行委員会、2012年) p. 9。
[2] 図録、p. 60。
[3] 図録、p. 47。
[4] 図録、p. 31。
[5] 図録、p. 42。
[6] 図録、p. 71。