1月17日で22年になる阪神淡路大震災の写真です。
図書館に行ったらこれが置いてあったので行って来ました。寒い雪の降った日の事でした。
最近この区民センターは張り切っているというか軌道に乗ってきたのでなかなか良い催しを
しています。
エレベーターで行くのでこのかわいい像に会えるのです。
このふたば学舎(旧二葉小学校)の事は知りませんでしたが彼、石田裕之くんは息子たちと同じ中学
だったようです。
こうした催しを各地で行っているようです。
1月21日(土) 北神区民センター
2月25日(土) 神戸町まちづくり会館
3月25日(土) 東灘区民センター
会場は400人は入るので少し物足りない入り方でしたが手拍子をとりみんな盛り上がりました。
歌だけでなく間に当時被災された人の話も映像で見ることができました。
「一瞬の地震があなたを連れ去ったけれど」・・・ 「目を閉じればそこにいるよ」
の日にち薬(ひにちぐすり)は印象的でした。
暖かい春になってお花が咲き乱れ被災された人たちや亡くなられた方達の鎮魂の為に
彼には頑張ってほしいと思いました。
ホントにこんな事が起きるのかと・・
素晴らしい演奏だったのでしょうね
ポチ (^^)/
起きていました。
大阪でも、かなりの振動で
私は、食器棚を・・・。
主人は、子供達が寝ている部屋の
たんすを押さえに・・・。
それから、テレビを見て
衝撃を受けたのを、今でも鮮明に覚えています。
石田くんの声、ユーチューブで聴きました~☆☆
もう、こんなに時間が過ぎていたのですね。
災害~忘れないで欲しいですね。
あの頃小さかった人が大人になって、またまた語り伝えて言って欲しいですね。
たぶん高校生の時だったので、同級生ともうそんなに会ってないんですね。
まだつい先日の事のように記憶があるのに。
応援☆☆
たぶん高校生の時だったので、同級生ともうそんなに会ってないんですね。
まだつい先日の事のように記憶があるのに。
応援☆☆
過ぎたんですよねぇ。
東日本大地震のことも
「あれからよく復興したね」と
語れる日が来るはずです。
応援ぽち
もしかしたらあの時関西の方に行っていたかもしれないんです^^;
先輩が行っていたんですが,テレビが飛んできたと言っておりました^^;
起震車で同じ揺れの体験もしたことがあります^^;
備えあれば憂いなしということでしょうか^^。
でも「災害は忘れた頃にやって来る」この事を忘れぬように肝に銘じております。
先日も広島に住んでおられる方の息子さんが阪神淡路大震災で亡くなられその優しい息子さんが託したことお母様が実現されてました。
一生忘れることはありませんが知らない世代の人達へ伝えて行くことも必要ですね(*^^)v
職場は西宮でしたし・・・
心に響きます
少し暖かくなってホッとしました。
ただ、それは一時的なものだそうで。。ちょっと残念です。
22年前のあの日は、新婚で、実家を離れていきなりの地震に右往左往していました。
忘れられません。
ぽち。
いいコンサートにいかれましたね。
2月の建国記念日に、大阪の友人を見舞ったのが、フェリー便でした。
帰路は、北回りで西脇の親戚に寄りました。
今でのその時の空気感まで、そっくり心の中にあります。
22年間に自分の成長の無さにも、タジタジですよ~^^(笑)
もう後期高齢者なのにね~^^(トホホ)
若い方の取り組みは、頭が下がります~☆
鮮明に覚えている阪神淡路大震災!
あれからもう22年も経つのですね。
こうして若い方が語り継いでくれることは
とても素晴らしいことです。
私も近ければ参加したいほどです^^
☆☆
いろんな企画をしてくれるっていいですね
私の町でも公民館活動が様々あるようですが
全部平日の昼間なので
なんにも参加したことがありません
いつか自由の身になったら
いろいろに顔を出してみたいです★★
22年の月日は重く、そして遥か彼方になろうとしています。
忘れること、忘れてはいけないこと、
この二つの事を理解する時期でも有ります。
心の復興、成った部分と成らない部分・・・
もう、22年になるのですね。
まだ、現役だったものですから、現地まで、調査に行きました。
地下鉄にくぐって行ったら、余震がグラグラときて、びっくりしました。
初めて聴いた曲ですが、とてもよかったです。
日にち薬の意味も初めて知りました。
~☆☆
あの朝、テレビを点けた途端に
画面に映った衝撃的な映像は
今だにハッキリと覚えています。
神戸に住んでいたOL時代の先輩に
何度電話をしても通じず、やっと声が聴けたときは
泣いてしまいました。
大地震はホントに失うものが多すぎます。
どんな話をしていましたか?
たまにはこんなイベントもよいですね。
区民センター・・・なかなか立派でした。
あれから~あの年に生まれた子供はもう立派な大人
段々あの震災を知らない世代が増えてゆきますね
私もあの時はトルコにいて驚きました
誰かが語り継いでいかなくてまた忘れ去られてしまうでしょうね
忘れることがまた再起のきっかけになることも・・・
起きてほしくない災害ですね
被災のあった日、東京では我々の会社では
早朝出勤し、その朝から神戸のお得意様企業に
だれがどのように支援するのかを決めました、
良く記憶しています。
☆
あれから22年、はや22年ですね。
この年の秋に生まれた男孫も成人式が終わりました。
当時長男夫妻は明石に居ましたので心配しましたが嫁さんは
故郷に親元に帰省中で安堵した覚えがあります。
この大地震、忘れることなく後々まで伝えたいですね。
直に経験されたhirugao さんならそうなんでしょうね。
でも根がヒネクレテいるからでしょうか?
どうもこう言うのに素直に入って行けないんです。
早いですね
知らない人もたくさん居て
風化されないよう
これからもこういう活動で
語り継がれて行ってほしいですね
痛みから逃れるようにできているのです
だから、残念ながら、みんな忘れていく
悲惨なことに目を向けたくないのです
昭和の南海地震の津波で壊滅的な被害を受けた私の実家の町も
ずっと、12月21日に避難訓練をやっていますが
訓練に参加するのは、まだ、元気なお年寄りばかり
若いものは、誰も参加しません
震災から22年
忘れてはいけない出来事ですね。
☆~
22年 早いですね
忘れてはいけない 記憶に残しておかねば
こういうイベントを通じてですね
テレビで見た映像 高速道路にぶら下がっていたバス
鮮明に思い出されます
女の子の像 何を話しているのでしょうね
こうしたイベントを通じまして、1.17のことは
人々の記憶の中にとどまります。せめてあ
の時生きていた人たちにはこのような機会
が記憶を保つ縁となり、故人のことを追悼
するものであって欲しいですね。
さて、今日は結構気温が上がるようなこと
を天気予報が言っています。60センチを超
えている雪は少しは融けますかねぇ。
まだ そんなに経った気にはなれない位
あの時の映像が頭に浮かびます
デレビで観た映像が あまりにも酷かったから