いっぷくしょまいかいね

いっぷくしてから それからまた やろまいかいね

富山行 2013 春 32

2013年06月11日 | 富山

右側面の二枚。

2013hikiyama123

左側

2013hikiyama124
呉猛(ごもう)

今町の高欄腰彫(左側)と同一人物である。

呉猛は濮陽(河南省)の人である。
呉の朝廷に仕え、西安(山東省)の県知事になり、分寧(江西省)に住んでいた。
きわめて、親孝行な人で、仙人の丁義に会って神術を学び、また神符の秘法を伝授され、その術はひろく世に知られた。
あるとき、大風が吹いてくると、彼は呪文を書いて屋根に投げあげた。
すると青い鳥が現れ、紙をくわえて飛び去ったと思うと、風はぴたりとおさまった。

右側

2013hikiyama125
鉄拐仙人
(てっかいせんにん=李鉄拐・りてっかい)

蝦蟇仙人同様、西町の小脇彫に刻まれている。

李鐵拐
俗に八仙の一人と傳ふ。
或は隋時の峡人、名は洪水、小字は拐兒、又、鐵拐と名づく。
常に市中に行丐し、後、鐵杖を以て空に擲ち龍に化し、之に乘つて去つたといふ。
又、一説に、李はもと偉丈夫、老君に遇つて道を得、後、出神し、往いて老君に朝するに際し、其の徒と七日にして還らずんば尸を焚けと約した。
偶偶六日目に徒の母死し、徒は急ぎ李の尸を焚いて去つた。
七日目に李の魂還り、已むなく一丐者の尸に附して起ち、ために足跛し、容貌醜惡となつたといふ。

コメント (2)
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