物見台から赤城山のアップ。
遅筆につき初詣ネタが2月に及びそうなので、この辺で「史跡めぐり」に転換します。
関東七名城に数えられる中世の山城です。源義家の三男義国の二男である足利義康の分脈であり、結城合戦の(室町)幕府方の総大将を務めた岩松家純が築いたとされています。
物見台からの眺望
つづく
群馬県太田市国指定史跡 金山城跡
山門をくぐります。参拝を済ませ、本堂脇に向かいます。脇屋義助は、新田義貞の弟です。生品神社での挙兵から行動を共にし、その後義貞は福井県で戦死し、義助は四国で病死しました。ともに生きて再び故郷の地を踏むことはありませんでした。遺髪のみが家臣?により持ち帰られました。群馬県太田市脇屋町脇屋山 正法寺
江田館 本丸跡江田館を後にして、次に向かったのがここです。
1333年5月8日、新田義貞はここで戦勝を祈願し、鎌倉へ向けて挙兵しました。
ここでようやく参拝し、初詣を済ませました。 反町薬師と違い、境内にいるのは私ひとりきりでしたが、帰る頃になって、絵馬を持った女子中学生?とすれ違いました。「戦勝祈願」ならぬ「合格祈願」のようです。
遠い中世の時代に思いを馳せるひとときです。
群馬県太田市新田市野井町国指定史跡 生品(いくしな)神社境内(新田義貞挙兵伝説地)
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