では押入れ生活への憧れのようなこの想いは一体どこから来るのでしょうか。
先にも書いたように、すべてが共用スペースでのみ構成された家で生活する一昔前の子供達は、自分がそうであったように、皆「個」のスペース、つまり誰にも邪魔されることのない自分だけの部屋への憧れ、獲得願望には強いものがあったと考えられます。
しかしながら、現実としてその願望が叶えられることはありませんでした。
が、それでも諦めきれずにいると、やがて「押入れ」の存在に気がつきます。
「三畳あれば寝られますね」
と書いたのは高村光太郎ですが、「坐って半畳寝て一畳」という言葉もあるように、現実には一畳あれば寝られますから、「押入れ」の中には子供にとって十分なスペースが存在していたのです。
しかし実際そこは「物」で満たされ、そのままの状態では利用不可能です。当然自分の入るスペースを確保するため、それらはすべて外へと出さなればなりません。
浅はかな子供の考えること、この時点では親に叱られる、という心配よりも自分の部屋を獲得する喜びが勝っていますので、当然速やかにどかされます。
こうして空になった押入れの中を、居住空間とすべく整備が次の作業となります。
床は板張りのためそのままでは足が痛いので布団を敷こう、と考えますが、やはり自分の部屋だという意識が働くので、当然敷くのは日常自分が使用している布団です。
それを押入れの中全体に敷き終えるとすぐに寝てみたくなります。
体を横たえて押入れの中の天井?を見上げると、ここは自分だけの部屋なんだという実感が湧いてきます。そして更にその認識を深めるために襖を閉めます。途端に訪れる静寂と暗黒・・・そこで気がつきます。
電気がないと駄目だ、と。
つづく