「裏・八尾十景」
二番目は西町から、
「福鶴酒造脇の小道」
です。
町民ひろばに立って禅寺橋の方を見ると、対岸にひときわ大きな木を見つけることが出来ます。
禅寺橋を渡り、禅寺坂を上っていくとその木の下に行き当たります。
そこがこの小道の入り口です。
近年出来た「西町の歴史めぐり」の表示を見ますと、その辺りは「狼地獄」と書かれています。
その引用
その昔、西町に迷い込んだ一匹の狼を、住民がこの崖下に転落させて退治した。
以後この一帯を、俊敏な狼さえ命を落とす危険な場所として「狼地獄」と呼んで語り継いだ。
町民ひろばで観光バスを降りて町に入った方は、まず間違いなくここを通っていることと思います。
「狼地獄」の名とは裏腹に、雰囲気のいい通りです。
八尾の観光協会が作成した、2005年のおわらのポスターの写真はここで撮られています。
目印の大きな木
「裏・八尾十景」
最初は天満町から、
「眼鏡橋からみる別荘川の眺め」
です。
地図で調べますと、実はこの橋上に天満町・下新町・下笹原の境界線があります。なので厳密に言うと、天満町ではないかもしれません。
しかし、この橋の欄干には天満町のぼんぼりが飾られてますので、天満町ということに決めました。(笑)
さて、かつておわらの時には必ずこの天満町を見に行ったものでした。
なぜなら見に来る観光客が少なく、(※)しっかりと特等席?で見ることが出来たからです。
そして、女性の浴衣の意匠も気に入りましたし、踊りもきれい、地方もいいなぁ、と、その総合力から私的には町内3本の指に入れていました。
私にとってはおわらの良さを教えていただいた町、として思い出のある町です。
ということもあって天満町に一票・・・と、いう訳じゃなくて、ほんっとに、緑がきれいなので選ばせていただきました。
(画像は5月撮影)
(※)見に来る観光客が少なく
今は天満町から離れてしまっているので状況はわかりませんが、当時は少なかったです。
観光客の来町総人数はそれほど変化していないので、今も少ないものと断定?して申し上げます。
見に来る観光客が少ないのは、「天満町」の立地によるものと思います。
観光客の方が八尾にいらっしゃる場合、その多くの方が次の二通りの方法を選択されると思います。
1.汽車を使って越中八尾駅で下車する。
2.観光バスを使って町民ひろばで下車する。
いずれも下車後は徒歩で移動、となるわけですが、前者を選んだ方は十三石橋を渡り、そのまま道なりに進んで下新町・今町・西町を通って八尾のメッカともいうべき上新町・諏訪町に行くでしょう。
後者を選んだ方はそのまま禅寺橋を渡り、禅寺坂を上って福鶴酒造の脇を通って西町を抜け、やはり上新町・諏訪町を目指すでしょう。
このルートを進み、この逆で帰れば、天満町とは縁を持つことなくおわらは終わります。
では、どうしたら天満町とお近づきになれるでしょうか。
まず後者の方!
観光バスでいらっしゃるあなた方は、多分お友達とご一緒でしょう。
そのままではあなたひとりが
「天満町に行きたいっ!」
と主張したところで多数決で却下されることでしょう。
「私ひとりでも見に行くっ!」
とグループの輪を乱して単独行動に走ってください。
その結果、帰りのバスの中ではあなたひとりが浮いてしまってますので、これ幸いと、休養に努めてください。(笑)
前者の方!
あなた方は「おしいっ!」
十三石橋を渡ったら、そのまま人の列に付いていかないですぐに左折してください。
ちょっと歩いただけでおわらの拠点となる天満町の公民館の所に出ますよ。
そこで曲がりそびれても、またすぐに丁字路があって、その左手を見れば眼鏡橋の欄干に天満町のぼんぼりが見えます。
お友達と一緒でも
「ちょっとそっちへ行ってみない?」
って声をかければ多分大丈夫!
その後諏訪町の方へ移動してもどこも人でいっぱいで、結局、
「天満町が一番良かったね!」
となること請け合いです。(笑)
ただし、来年からはこの客動線が変わる可能性があります。
それは「坂のまち大橋」の出現です。
この橋、十三石橋のひとつ下流にあり、越中八尾駅の前の通りからまっすぐの位置にあります。
なので人の流れに乗ってくれば、必然的にこの橋を渡ってしまうことになりそうです。
渡ったら最後、今度は天満町を抜けないと上新町・諏訪町方面には行けないので、そうなると天満町も非常な混雑が予想されます。
そうなるとこれまでのアドバイス?は無駄、ってことですかね。