いっぷくしょまいかいね

いっぷくしてから それからまた やろまいかいね

富山行 2013 春 23 

2013年06月02日 | 富山

後方の二枚

2013hikiyama099

左側

2013hikiyama100
曾參
(そうしん=曾子)

春秋 魯の人。點の子、字は子輿。孔子の弟子。親に事へて至孝。

母指纔方噛 兒心痛不禁 負薪歸來晩 骨肉至情深

曾參ある時、山中へ薪を取りに行き侍り。
母留主にゐたりけるに、志たしき友來れり。
これをもて奈したくおもへども、さう志んはうちにあらず。
もとより家まどしければか奈はず。
曾參がかへれかしとて、みづから指をかめり。
曾參山に薪を拾ひゐたるが、俄に胸さわぎしけるほどに、急ぎ家にかへりたれば、ははありすがたを曲に語り侍り。
かくの如く指を噛みたるが、遠きにこたへたるは、ふだん孝行にして,親子の奈さけふかき志るし奈り。
そうじて曾參のことは、人にかはりて心と心のうへのことをいへり。
おくぶかきことわりあるべし。

そうはいっても「曾母投杼」「曾參殺人」の例もある。
また逆に父親に対する曾參の態度?に孔子は怒っている。
嘗て瓜を耘り誤って其の根を絶つ。
點怒り、杖を援りてこれを撃ち、殆んど死せんとし、しばらくしてまた蘇生し、琴を鼓して歌ふ。
孔子これを聞き、門人に告げ、參來らば入るる勿れ。
小杖には受け、大杖には走る、今、參は父を不義に陷る。
孝を爲すを得んやと。

かの大舜は親からの、いじめで打ちつけられる小杖はその身体に受け、殺そうと思って振り上げられた大杖からは走って逃げたという。
親に子殺しの汚名を着せないようにそうしたとのことだが、曾參はしなかった、と怒っているのである。

右側

2013hikiyama101
董永
(とうえい)

後漢、千乘の人。
兵を避けて安陸に流寓し、父の葬に人より錢を借り、錢を返し得ざる時は己が身を奴となさんと約す。
後、天女一婦人に化して永の妻となり、縑を織って錢主に償い、復た天に還れりといふ。
後、其の地を孝感と名づく。

コメント
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