15時30分雨が止んでいるので町へと出かける。
鏡町公民館前は今日もこんな様子。
夜の町流しに付いていくとき、無理に列の前に出ようとしてグレーチング・鉄板などを踏んで歩いてはいけません。
おたや階段下も閑散としている。
杉風荘(旧杉下楼)
懇意にしていただいているS氏が写真を撮っている私を見つけて、東町で八尾高校が町流しをしている、と教えて下さったので現場に急行する。
「末広屋」の坂を上って西町通りを「おけく」で右折して四十物横丁を抜けようとした所で遭遇。
富山県立八尾高等学校郷土芸能部の町流しだ。
日々練習を重ねながらも、これまでは町と直接関係がないことから、本当のおわらでは披露することが出来なかったが、指導者の方が町と掛け合い、今年とうとう実現の運びとなったとのことである。
しかし、しばらく付いて歩こうと思ったら丁度目の前まで来たところで終わってしまい、その後は西町福鶴酒造で休憩となってしまった。
しばらく辺りをふらふらしていたが、これで終わりのような気もするし、また、再び小雨が降り出したので鏡町公民館に戻り縁台に腰を下ろした。
わが愛車「押入れ」号に戻ってもすることはあまりない。
平日の昼間からごろごろ~ごろごろ~
あ~あ、毎年1000万円払うから八尾に住んでくれって言われねーかな~
などと考えてみる。
カーテンを開けて外を見る。
窓ガラスが曇っていてよくは見えない。
内田百閒の随筆を思い出し(※)、ウェットティシュで拭ってみる。
灰色の空がどこまでも広がり、僅かな切れ間さえ見えない。
今日もまた中止だろうか。
いや、これもまた「おわら」か・・・
内田百閒を思い出し(※)
内田百閒(うちだひゃっけん)の随筆『第二阿房列車』の一篇『雪中新潟阿房列車』の一文
「清水隧道の前後にかけて、ルウプ線が二つある筈である。
ルウプ線は輪になつてゐて、列車が高低に分かれた線路で同じ所を二度通る。
鹿児島阿房列車の時、肥薩線の矢嶽、大畑(おこば)の間で、汽車がさう云う所を走つて行くのを窓から見た。
今度も見ようと待ち構へてゐたが、車内のスチイムと外の冷気の為に曇つてゐるから、解らない。
但し、私の所の窓だけは曇つてゐない。
前以つてそれに備へる用意をして来た。
ガーゼの布巾と小さな罎に入れたアルコールを持つている。
アルコールを沁ませた布巾でしよつちゆう窓を拭いてゐるから、私の座席の窓は曇らない。
だから外が見えない事はないが、進行する列車の行く先の線路の曲がり工合などを、窓から首を出さずに眺めるには、いつも斜に前方を見てゐなければならない。
それに必要な見当の窓は、人の座席にある。
人の窓を拭きに行くわけに行かないから、見たいと思ふ外が見られない。
新潟から帰る時、見送りに来た管理局の人に、窓拭きの布巾とアルコールの罎を見せたら、阿房列車どころではない、利口列車だと云つた。
本人の私もさう思つてゐる。」
そうこうしているうちにそろそろ昼食の時間だ。
朝から何も口にしていないが、外に出る気が起こらない。
調達済みのミックスナッツ、じゃがりこなどで空腹を満たすことにする。
9月2日
4時50分 起床
相変わらずの雨
雨が上がればいつでも出かけられるように、と一応身支度を整える。
7時15分現在 押入れ内温度22℃
片付けをしていてもほとんど汗をかくことはない。
片付けを終えて『おわらの記憶を』を読む。
しばらくすると眠くなる。
20分位で目覚め、再び読む。
そうするとまた眠くなり、20分位で目覚め・・・
を繰り返す。
9時 小雨
31日に購入したカレンダーを郵送するため郵便局に向かう。
いつもなら購入してすぐに送るのだが、31日、1日が土日だったので今日まで延びていた。
上新町のなりひら通りを歩いていて発見、スマホで撮影する。
単純な線で見事におわらを表現している。
傑作としか言いようがない。
用事を済ませた後、曳山会館へと行ってみる。
本日の風の盆ステージのチケットが9時から販売開始のはずだが、何故か販売を見合わせている。
会館前を訳もなくふらふらしている間にも、何組かの観光客がチケットを求めにやってくるのだがまだ購入できない様子だ。
町に出てくるときには小雨だったので、傘もささずに歩いてきたが、ここにきて雨脚が強まってきた。
9時30分 急いで車に戻る。