いっぷくしょまいかいね

いっぷくしてから それからまた やろまいかいね

「振り子」さんのこと

2018年02月25日 | 風の盆
越中八尾おわら風の盆
「振り子」さんと私の接点は、ただそれのみである。

おわらに魅入られた私は、日々おわらに関するホームページやブログ等を探しては読みあさっていた。
そんなある日、見つけたのが、

『A Moveable Feast』

「振り子」さんのブログだった。

「振り子」さんの切り出す八尾の風景、そしておわらの美しさ。
「振り子」さんの心情、事物に関する深い考察、知識、そして調査に裏打ちされた事実・・・
簡潔な中にもこれらが余すところなく盛り込まれた名文に心打たれ、このブログを拝見するのが日々の楽しみとなった。

今回、拙文を起こすにあたり、2012年の9月に更新が止まったこのブログを改めて読み返した。
八尾の初出は、2006年7月24日、越中八尾駅の軒下に巣づくるツバメの画像で始まる。
2007年1月9日、雪の禅寺坂の入り口の画像で、初めてコメントを入れさせていただき、「振り子」さんから返信のコメントをいただく。
これが「振り子」さんとの交流のきっかけとなる。
私も既に本ブログを始めていたので、「振り子」さんもリンクを貼ってくださった。
その後何度かおわらの時期を過ごし、その間、私も「振り子」さんも彼の地を訪れていた筈だが、特にお目にかかろうともせず、後に拝見するブログの記事で「振り子」さんの行動を知る、といった具合で、幾度か「この時、私もここにいたぞ」というようなニアミス的状況もあったように記憶している。

2010年、「振り子」さんが所属されている団体?に雑誌の取材が入り、「振り子」さんが取材を受けた、というような記事を何処かのホームページ?で拝見したので、早速にその雑誌を購入し、ようやくにして「振り子」さんのお顔とお名前を知ることができた。
そしてその年のおわらで「振り子」さんにご挨拶を申し上げ、リアルな対面が叶ったのである。
その場所の記憶はおぼろげではあるが、確か合同の坂下の、今はない「かどや」の交差点で、鏡町衆が休憩を取っている、その時だったような気がする。
「雑誌で拝見してお顔がわかったので、ご挨拶させていただきました」というような口上で会話を始めたが、詳細は最早思い出せない。

その後も到る所でお見かけした。
ある年はおわらの本番が始まる日の早朝だっただろうか。
まだ観光客もいない、静かな禅寺坂を私が下りていくと、反対に上ってくる人がいて、それが偶然にも「振り子さん」で、そんなことが2年ばかり続けてあったことがある。
その他、よくお目にかかったのは、夜の柳清水の黄色い街灯の下や曳山会館前の蔵並通りの暗がりだったろうか。
お目にかかって言葉を交わしても、話題といえばおわらに関することばかりで、個人的なことにはお互い触れることはなかった。

2017年9月3日 25時30分頃、八尾町上新町 曳山会館前
地面に腰を下ろした「振り子」さんとお話ししたのが最後となった。

2018年2月13日 「振り子」さん 急逝

その事実を「振り子」さんのtwitterのフォロワーの方々や、ご親戚の方のツイートで知った。
その中で、「振り子」さんの勤務先も判明した。

「振り子」さん、結構私の近くにいらっしゃったんですね。
車でよく通る道の脇に見える、あの建物の中で働いていらっしゃったんですね。
「振り子」さんの勤務先から500mも離れていない、ファミリーレストランでよく食事してたんですよ。
前日の2月12日にもね。

おわら以外の話もしていたら、きっとそれはそれで盛り上がったかもしれないが、今となっては叶わない。

「振り子」さん、寂しいです。悔しいです。

「振り子」さん・・・




2010年9月3日 28時9分
曳山会館前 蔵並通り




2011年9月1日 15時17分
諏訪町 城ケ山公園上り口前



2016年9月1日 25時50分
曳山会館前 蔵並通り(トリミング)


コメント (2)
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