いっぷくしょまいかいね

いっぷくしてから それからまた やろまいかいね

富山行 2013 春 30

2013年06月09日 | 富山

左側面の二枚

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左側

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瓢箪から駒


この言葉は張果(ちょうか)に由来するといわれている。

張果
唐の方士。
恆州の中條山に隠居し、自ら堯の時に生まれたと稱した。
開元中、使を遣して京に迎え、銀靑光?大夫を賜ひ、通玄先生と號す。
玄宗はために棲霞觀を建てて與ふ。
世、傳へて八仙の一となし、或は張果老と稱す。

いつもは山西省の中條山に隠遁していたが、遠く離れた晋州や汾州にもよく姿を現していた。
そのとき、彼はかならず広いロバにまたがっており、そのロバは一日に数万里を歩くことができたといわれている。
しかも、そのロバは折りたたんで紙ほどの厚さにして持ち歩くことが可能であり、再び乗るときは水を吹きかけるとすぐもとのロバの姿に戻ったという。
また、張果老は白い蝙蝠の精だったともいわれている。

右側

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馬師皇(ばしこう)

上古の人。?帝の時、馬醫。善く馬の形氣生死を識る。後、之く所を知らず。

?帝時醫、善識馬形氣死生、治之?愈、有龍下、向之垂耳張口、師皇先其有病、鍼其脣及口、以甘草湯飮之而愈、一旦爲龍負去、莫知所之。

馬師皇は黄帝のころの馬の医者であった。
馬の体質や寿命の診察に妙を得ていて、治療すればきっと治った。
その後、一匹の竜が下りてきて、師皇に向かって耳を垂れ口をあけた。
師皇は、
「この竜には病気があって、わしが治せることを知っているのだ。」
といって、その唇の下に鍼をさしてやり、口中に甘草湯を飲ませてやったところ、病気が治った。
その後も病気になるたびに、竜は波から出てきて知らせ、治療を乞うのであったが、ある朝、竜は師皇を負って姿を消した。

コメント
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