いっぷくしょまいかいね

いっぷくしてから それからまた やろまいかいね

機種変更

2009年03月26日 | 日記・エッセイ・コラム

およそ3年振りに携帯電話の機種変更をしました。

これまでの携帯に特別不満もなく、また、
「液晶画面がモノクロからカラーに変わった!」
とか、
「メールで画像が送れる!」
とかのような劇的な進化に伴う感動も得られなくなった今、私にとって機種変更する理由は
「バイブが壊れてマナーモードがサイレントモードになってしまう」
とか、
「夜充電しても次の日の夕方ぐらいには電池(の残量表示)が1本になってしまう」
等の機械的な不具合や電池パックの寿命ぐらいしか理由が見あたりません。

機種変更、そのこと自体によって得られる感動が少なくなった分、自分で感動できる要素?を付加していかなければなりません。

というわけで、まず待受画像をこんなのにしてみます。

Keitai001



付属のソフトを使ってこんな曲を入れました。

Keitai002Keitai003



まだまだこれからいろいろといじって、「おわらケータイ」に進化?させていこうと思います。(笑)

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残念なこと

2009年03月22日 | 日記・エッセイ・コラム

5月の連休の業務スケジュールが発表となり、5月3日(実際には5月4日 午前8時30分まで)は仕事となりました。
よって今年の八尾曳山祭には行けなくなりました。

「くやしいです!」

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県都 6

2009年03月19日 | 日記・エッセイ・コラム

市街地を流れる広瀬川沿いの遊歩道を歩きますと、右手に前橋文学館があり、その前に幅広な橋があります。

200903maebashi030

橋の名前は「朔太郎橋」

200903maebashi031

前橋出身の詩人、萩原朔太郎にちなみ名付けられています。
車止めがあるので、原則車両通行止めのようです。
歩行者専用にしては大分広いです。

200903maebashi032

2001年11月、国民文化祭の閉会式に招かれた富山県民謡おわら保存会(当時)の方々が、その前夜、ここで踊りを披露し町流しを行いました。
当然私もその時、観衆のひとりとしてこの場におりました。


実はここを訪れたのは、それ以来のことです。
橋のたもとには、その時いなかった萩原朔太郎が佇んでいます。

200903maebashi033200903maebashi034

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思い出したこと

2009年03月18日 | 日記・エッセイ・コラム

先日、青木新門氏の『納棺夫日記』を読んだ。
昨日、『おくりびと』のDVDを見た。
生き別れた父の死に接する主人公 小林大悟の回想シーンを見ていて、自分の父のことを思い出した。

以前にも書いたことだが、父は私が小学校の時に亡くなった。

子供の私から見た「父」の印象は「強い」「大きい」。
これは世のすべての子供が抱くであろう父にそれと同じだ。

その「強さ」「大きさ」の象徴である父が倒れ、入院し意識不明の状態のまま点滴だけで生かされている・・・
体は骨と皮ばかりに痩せ衰え、踵は床擦れで赤黒くなり、手術のため剃られた頭の髪は伸びず、挿管のために前歯は抜かれ・・・
病と闘う父に最早「強さ」も「大きさ」も感じられなかった。
そのギャップがたまらなく悲しかった。


父の病室の窓が見えるその下の広場で、友人と野球をした。
バッターボックスに立ってはその窓を見、守備に就いてはしばしば視線を窓に移した。
そこから父が顔を覗かせることはない。
そして、父が病と闘っている今、どうしてこうして遊んでいられるのだろうか、と子供ながらに思った。


自宅から少し離れたところに駐車場を借りており、そこに父の車が止まっていた。
父は休みの度に洗車していたので、いつもピカピカしていた。
私も少しは手伝っていた。

私は車の時計(アナログ)を見て、
「この時計は止まらないの?」
と聞いた。
「車を動かしていれば止まらないんだよ。」
と父は答えた。


入院後、止まったままの車の所へ行っては、ガラスに顔をくっつけて時計が動いていることを確かめた。
再び父が乗るその時まで、時計が止まらないことを祈っていた。


父は死んだ。


父は死んで家に戻ってきた。
血の気が失せ、黄色くなった父が怖かった。
病院のベッドに横たわっているときには、何の抵抗もなく握れた手にも触れることが出来ず、結局最後のお別れの時になっても触ることは出来なかった。


車の時計は止まらなかったが、埃にくすんだ車は親戚に引き取られていった。


大好きだった父なのに何故触ってやれなかったのだろう。
そのことに私は後悔し、今も後悔し続けている。


その後祖父や伯母や従兄など、私を可愛がってくれた人達を見送ったが、今度は後悔のないように、と必ずその頬に手を当て、お別れをしてきた。



これで父は許してくれるだろうか・・・

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県都 5

2009年03月15日 | 日記・エッセイ・コラム

県都の中心 群馬県庁です。

登録有形文化財 群馬県庁本庁舎

200903maebashi024



実際には「昭和庁舎」といわれており、今の本庁舎はこちらです。

200903maebashi025

地上33階(地下3階)で32階が展望フロアとなっています。(33階は機械室)

直通の展望エレベーターを使って上ってみましょう。

200903maebashi026



「噴火警戒レベル3」の浅間山が見えます。

32階に到着

200903maebashi027

右の山は赤城山で、その手前の、木が横に並んでいる辺りに臨江閣とるなぱあくはあります。
左手の円い建物はグリーンドーム前橋です。

200903maebashi028

今度はグリーンドームを右に見て、左の山は榛名山です。

県庁の正面入口側、市街地の様子です。
一番手前の建物は登録有形文化財「群馬会館」です。

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