いっぷくしょまいかいね

いっぷくしてから それからまた やろまいかいね

菊花 2009 その3

2009年11月14日 | 日記・エッセイ・コラム

ながめがいいから「ながめ」、ということは以前にも書いたような気が・・・

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近くの橋、遊歩道からのながめ。

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タイトルに反し、菊花は出てきませんでしたね。

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菊花 2009 その2

2009年11月13日 | 日記・エッセイ・コラム

例によって、今年も行きました。
第52回関東菊花大会

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榛名富士

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滝?



昔話シリーズは『ぶんぶく茶釜』

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大河ドラマシリーズはもちろん『天地人』

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ミッフィー?ちゃんは、今年も健在!

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群馬県みどり市 ながめ公園

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菊花 2009 その1

2009年11月12日 | 日記・エッセイ・コラム

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おわら歌碑めぐり あとがき

2009年11月11日 | 風の盆

今、『おわら歌碑めぐり』を書き終えて思うことは、この記事を読んで実際に巡ろうと考える人があったとしても、目的地には到底達し得ないだろう、ということである。
歌碑までの経路を言葉のみで記述しているので、はっきり言って八尾の町がわかっている人でないと、読んでみてもどこがどこだかわからないだろう。

じゃあ、八尾の町のことならわかるよ、という人ならどうか。
この駄文を読まなくても、きっと歌碑めぐりが出来てしまうことだろう。
結局また、中途半端なものを世?に送り出してしまった、と今に至って反省しきりである。

中途半端ついでに、どの順番で回ると一番効率がよいか、などと考えてみた。
一応地図ソフトで距離などを計測しながら導き出した答えが次の通りである。
起点は例によって町民ひろばのゲート前だ。

町民ひろば→「1」(1.87㎞)
「1」→「2」(1.31㎞)
「2」→「27」(0.11㎞)
「27」→「4」(0.53㎞)
「4」→「5」(0.22㎞)
「5」→「3」(0.09㎞)
「3」→「23」(0.16㎞)
「23」→「7」(0.42㎞)
「7」→「25」(0.21㎞)
「25」→「6」(0.13㎞)
「6」→「8」(0.64㎞)
「8」→「9」(0.13㎞)
「9」→「26」(0.07㎞)
「26」→「13」(0.05㎞)
「13」→「11」(0.25㎞)
「11」→「28」(0.08㎞)
「28」→「12」(0.1㎞)
「12」→「16」(0.17㎞)
「16」→「18」(0.37㎞)
「18」→「19」(0.39㎞)
「19」→「24」(0.11㎞)
「24」→「20」(0.15㎞)
「20」→「21」(0.38㎞)
「21」→「17」(0.2㎞)
「17」→「22」(0.21㎞)
「22」→「15」(0.1㎞)
「15」→「14」(0.13㎞)
「14」→「10」(0.16㎞)
「10」→町民ひろば(0.42㎞)
全行程9.16㎞である。

周りの景色やお店に気を取られることなく、ただただ一心不乱に歌碑めぐりに専念すれば、まぁ3時間ちょっと位で回りきることが出来る。
きっと・・・。

おわら歌碑めぐりを記すに当たっての参考文献は次の通り。

富山大学教授 坂井誠一監修 八尾町史編纂委員会編
『八尾町史』 八尾町役場 昭和42年

富山大学教授 坂井誠一監修 続八尾町史編纂委員会編
『続八尾町史』 八尾町役場 昭和48年

北日本新聞社編集局編
『越中おわら社会学』 北日本新聞社 昭和63年

成瀬昌示編 『風の盆おわら案内記』 言叢社 平成3年

森 清松著 『富山の文学碑』 北国新聞社 平成2年

高橋 治著『風の盆恋歌』 新潮社 昭和60年

『林秋路板画集 新装版越中おわら風の盆』 未來社 平成10年

『越中おわら』 富山県民謡越中八尾おわら保存会 平成21年

『越中八尾民謠おわらぶし』 富山県民謡越中八尾おわら保存会 平成21年復刻

『越中八尾いろは絵図(上新町編)』 平成2年

『越中八尾いろは絵図(諏訪町編)』 平成3年

『越中八尾いろは絵図(鏡町編)』 平成5年

株式会社 玄 政所利子 企画・編集・監修
『越中八尾十景マップ』 八尾町商工会女性部

『おわら歌碑めぐり』 越中八尾観光協会

なお、大変失礼ながら、本文中の人物名は全て敬称を略させていただいた。

おわり

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おわら歌碑めぐり 27 28

2009年11月10日 | 風の盆

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2009年9月5日撮影

夢はほのぼの福よぶ街か
はずむ心にオワラ駒が出る

剣司

この歌碑は「2」の歌碑に向かう途次にある。
福島公民館を過ぎてすぐの、小森食料品店とまきだ鮮魚店の間くらいにある。

この作者については、歌碑表面に「剣司」としか刻まれていないので、この方が誰であるか、を特定することは私には出来ない。
しかし推定することは出来る。

今年購入した富山県民謡越中八尾おわら保存会発行の歌詞集『越中おわら』を開いてみると、同歌の掲載はないが掲載されている唄の作者の中に
「小谷剣司」の名を見出すことが出来る。

「剣司」が同じ、ということだけで、この唄の作者は「小谷剣司」だ、というのが私の推定である。

さて「小谷」とくれば名前が挙がるのは、おわら中興の祖である川崎順二の片腕として、また、「甚六会」(※)のメンバーとして活躍した
契月 小谷恵太郎
である。
彼の作った唄は今もなお歌い継がれている。

可愛い鳥だよ鶫(つぐみ)の鳥は
柿をつついてオワラ紅つけた

雁がねの翼欲いや海山越えて
妾(わたし)や逢いたいオワラ人がある

昭和62年、八尾町商工会の「むらおこし事業」としておわら歌碑は建てられた。
提案者は、おわら保存会歌詞部副部長(当時)の小谷健二である。
小谷はかの小谷契月の長男であり、提案者として唄を自選して、歌詞の内容に相応しい場所を指摘してむらおこし事業の報告書に発表し、これに賛同した人々が、自己負担で歌碑を建立したのである。

こんな訳?で、作者「剣司」は、実は本名ではなく、立山連峰の剣岳の一字を選んだ雅号であって、同じ音の
「剣司」=「健二」
である、というのが結論(的推定・・・「なんのこっちゃ?」)である。
あとは事実関係に詳しい方の情報に期待するばかりである。

「甚六会」
「総領の甚六」に由来する。
学校の成績が優秀でありながら、家が商売をしていてその家業を継ぐべく運命づけられ、学業を断念せざるを得なかった者たちによって組織された。
一日の仕事を終えた夜に集まり、文学、政治、経済、などについて議論を戦わせつつ、文化的な活動を実践し、おわらの改良、保存運動にも尽力、八尾の文化的発展に大いに寄与した。

以上27基をもって「おわら歌碑めぐり」も終了となる・・・
と思ったが、以前に紹介し、「おわら歌碑めぐり」のパンフレットに掲載されていないが故に、隠れキャラ?的存在としてしまった

玉旭酒造の歌碑

については、現に「25」から「27」の歌碑も掲載されていないにも拘わらず、今回これらを含めて紹介した以上、それだけを除外する、ということは適当でない。
よって、改めて次の歌碑を「28」としてここに紹介する。


Kahi028



2006年9月3日撮影

酔ふた身ぶりは踊りに見せぬ
酒も八尾のオワラ玉旭

小杉放庵
絵 林 秋路

まず「11」の歌碑を目指して歩く。
「11」から八尾小学校に向かうと、小学校の手前右側に水上商店があるが、そこに行くまでの途中左側にこの碑は建っている。

他の歌碑と違い、絵は入っているし、大きさも一回りくらい大きな印象である。

と、以上28基をもって「おわら歌碑めぐり」一巻の終わりである。

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