いっぷくしょまいかいね

いっぷくしてから それからまた やろまいかいね

雨=金魚鉢

2004年09月30日 | 日記・エッセイ・コラム

雨と金魚鉢を結びつけるもの・・・
それは「匂い」です。
雨の中を歩いていると一瞬、その「匂い」を感じることがあるのです。
そこで連想される金魚鉢は本体そのものではなく、よって「ギヤマン」と呼ぶのが相応しいような、口の周りがフルフルしたものでも決してありません。
表現としては「水槽」の方が適当かもしれず、だけど私はそれを「金魚鉢」と呼んでいたので、やはり私にとってはあくまで「金魚鉢」なのですが、ひとつ条件のある「金魚鉢」です。
それは「金魚を飼っている」ということ。
「熱帯魚を飼っている」では駄目なのです。
ここまで書くと、金魚を飼ったことのある方にはわかって頂けるでしょうか?
あの水の「匂い」と、雨の日にふと感じる「匂い」が同じなのです。

じゃ、先の投稿の、「こんな気持ち」の「気持ち」って何なんだー!
「気持ち」なんてどこにもないじゃないかー!
と、誰もが当たり前のように感じることと思います。
しかし実は、多感な少年期の私に暗い影を落としたある出来事も深く作用しているのでありました・・・(いつになるかわかりませんが、つづく・・・)チャンチャン!

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雨が降ると・・・

2004年09月27日 | 日記・エッセイ・コラム
雨が降ると、金魚鉢を思い出します・・・。
こんな気持ち、誰かわかる人いますか?

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銭湯の思い出・・・憧れのコーヒー牛乳

2004年09月23日 | 日記・エッセイ・コラム

銭湯、で思い出すこと・・・それはコーヒー牛乳。
父と銭湯に行く時は、本来の出入り口からはいるのですが、脱衣所でまず目につくのが冷蔵ケース。
白い牛乳の他にコーヒー牛乳、
ツィンク色のいちご牛乳?、
黄色っぽくて透明のりんごジュース?
(?は、当時なんだかよくわからなかった飲み物)

それらが整然と並び、その前にあるケースのガラス扉は外気との温度差により結露していて、ビジュアル的にも
「飲みたい」
という欲求を呼び起こされ、ましてやお風呂上がりとくれば、
「もう我慢できな~い」
ところまで追い込まれるのは必至の状況です。

その中で、一番飲みたかったのが、前に親戚の家で一度だけ飲ませて貰ったことのあるコーヒー牛乳でした。
 ところで、私の母は「白牛乳」の信奉者で、
「コーヒー牛乳が飲みたい」
などと言うと、
「コーヒー牛乳は栄養がないんだから、白い牛乳を飲みなさい!」
と必ず言う人でした。
繰り返しそう言われ続けると、次第に
「コーヒー牛乳を飲みたい」
と言うことに罪悪感を抱くようになり、口に出せなくなったのです。
なので父に対しても、どうしても
「飲みたい」
の一言が言えなかった。
だから待ちました。
ただただ
「何か飲むか?」
と父が言うのを熱烈に待っていました。
いつもいつも待っていました。
しかし、とうとう一度も言われることはありませんでした。
やがて小学校1年生が修了すると、お風呂付きの家に引っ越し、同時に銭湯通いもなくなり、
「銭湯でコーヒー牛乳」
の夢も、夢のまま終ったのです。
思えば、マイホームを持つために父も母も共働きをしていた頃で、生活も大分切りつめていたような気がするし、それ以前に家の隣の銭湯に行くのに余計なお金を持っていく必要もないだろうから、「何か飲む」お金も用意されていなかったのかも知れません。
その頃の状況を父に聞きたくても、今となってはもう聞くことはできません。

引っ越しからわずか3年後、父は逝きました。

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銭湯の思い出

2004年09月17日 | 日記・エッセイ・コラム

生まれた家にはお風呂がありませんでした。
だけど不自由はしませんでした。
なぜでしょう?
それは、隣が銭湯だったから。
まるで自分の家のお風呂にはいるような手軽さで、銭湯に入れたのです。
しかも、入口はあの数字の書いてある木札の付いた例の下足箱のある正面ではなく、どういう訳か裏口。
そこから入ると、しっかりとした、太い木を合わせて作った、まるでステージのような感じの、そしてその木が黒くぴかぴかに光っていて、しかもそのステージ?に上がるとぽかぽかあったかい、・・・
そのぽかぽかの所になぜか脱衣カゴがあって、そこで裸になってドアを開けて浴場に入っていくのです。
そのドアは、浴場の正面のガラス引き戸の出入り口とは反対側の、従業員用の出入り口のドアです。
そして普通に体を洗い、髪を洗って浴槽であったまって、一通りのことが済むと、従業員出入り口から去っていく・・・
もちろん番台を通らないのだからお金も払いません。
母と行く時はいつもこのルートでした。
しかし父と行くと、必ず正面から入って番台でお金を払うので、どうして裏から入らないのかな、と、子供ながらに不思議に思ったものでした。
しかし、今になって考えると、なぜ裏口からお金も払わずに入れたのか、その方が不思議ですよね。
お金を払わないだけでなく、お風呂屋さんの誰かに会うこともなく、よって「お風呂に入りますよ」「お風呂に入らせて頂きます」といった意思表示がお風呂屋さん側に全くなされぬまま、勝手に入っていって、勝手に裸になって、勝手にお風呂を使って、勝手に帰っていくのだから、「顔パス」どころか「フリーパス」、それどころかもしかしたらお風呂の「万引き」?

未だ謎です。

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雨垂れ石を穿つ

2004年09月16日 | 日記・エッセイ・コラム

お散歩コースで発見!

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常夜灯 と書いてあります。年代は風化していますが、反対側に立っている対のものを見ると「文化十一年」と読めますので、たぶん同じ頃のものでしょう。



さて、調べてみると「文化十一年」は1814年です。
以来190年・・・
降り注ぐ雨は庇?を伝わって落ち、台石?に穴を開けましたとさ。
まさに「雨垂れ石を穿つ」。
自然の力には改めてびっくりさせられますね。

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