いっぷくしょまいかいね

いっぷくしてから それからまた やろまいかいね

2007.09 八尾にて 終章

2007年09月29日 | 風の盆

長々と続けてきた「八尾にて」の拙文も、これを以てひとまずの終結としたい。

おわらは素晴らしい。
その素晴らしさを語りがたいために「八尾にて」を書こうとした。
しかし、終わってみれば、その主題となる部分がものの見事に欠落している。
なぜそうなってしまったのか。
私には表現することが出来ないからだ。
それは一瞥して恋に落ちた、その相手の女性について、説明することに等しい。
どうしてその女性に惹かれたのか。
そう問われても答えられない。
理由などないからだ。
一瞬にして魂を揺さぶられ、心が突き動かされる。
衝撃と衝動である。
それ以上でもそれ以下でもない。
それを言葉や文字で表現しようとすればするほど、きっと真実から乖離していくだろう。
おわらに対し、私はそういった出会いをしてしまったのだ。

もし、私が小説家のようにペンで表現するに長けた人間であれば、あるいはその豊富な語彙を駆使して、それを可能たらしめたかもしれない。
しかし悲しいかな、私は私の能力を憾むよりすべはない。
では、別の表現手段、「写真」を用いたならばどうか。
「八尾にて」にも、相当数の画像を掲載したが、私はそれらに対して客観的な評価が出来ないでいる。
なぜなら、私は既におわらを十分に知ってしまっているからだ。
私のような、おわらに魅了された人間であれば誰でもそうだと思うが、頭の中をパソコンのハードディスクに見立てるならば、私のハードディスクにはおわら専用にパーティションが切られ、そこにはおわらに関するフォルダが数多く存在し、しかもその数はどんどん増加を続けているのである。
そしておわらに関する文字や画像を見ただけで、瞬時にアクセスが開始され、おわらの情景が展開されてしまうのである。
その速度たるや、時に阿波踊りの笠を見ただけでフライングしてしまうほどである。
ましてや自分で現に撮影した画像であれば、尚更にその傾向は顕著であり、どんな失敗画像であってもショートカットキーの役割を十二分に発揮し、次の瞬間、頭の中ではおわらが踊っているのである。
このようにおわらを経験した者に対して、おわらの画像は特別な作用をもたらすが故に、おわらを画像のみで知る人、または全く知らない人に与える影響について、計り知れないのである。

私は、「写真」に求められる要素は「構図」と「描写」に尽きると考えている。
そして「写真」をしておわらの素晴らしさを語らせるならば、少なくともまず、自分が今感動しているこの場面・瞬間を肉眼で見たままに切り取り、描写する必要があると考えている。
一言で言えば
「見えるがままに撮る!」
プロの写真家であればその1ショット1ショットが「仕事」であり、真剣勝負である。
そんな人の手にかかれば、まさにおわらは私の求めている「写真」となり、見る人に感動を与え、その素晴らしさを十分に伝えるに違いない。
しかし、私の手にかかったら、おわらという真実素晴らしい素材を、意図的に改悪して世に出す、およそ「偽造」にも等しい行為となってしまう。
名画の、その質の悪い贋作を見せられて感動する人が一体いるだろうか。
銀塩写真?を撮っていた時分は、この「偽造」を相当行ってきた。
「偽造」に嫌気がさし、事実カメラを持たずにおわらにきた年が何年も続いた。
おわらを見、そして聴き、おわらを肌で感じた。
そして、おわらにカメラは必要ない、と思った。

「見たさ逢いたさ思いがつのる・・・」
おわらの歌詞にもあるが、おわらは私にとって年に一度のことである。
牽牛織女のごとき遠距離恋愛?である。
雨が降ったら会えないのである。
それ故日常何かおわらと繋がりのあるものを身近に置き、おわらを忍ぶよすがとしたい。
しかし写真は撮りたくない。
そこにデジタルカメラの出現である。
撮影をしたその場で画像の確認が出来、自分が今撮った画像が果たして「写真」か「偽造」かの判断が容易である。「偽造」に倦怠した私に希望をもたらし、再び私の目を「写真」の道へと向かわせたのだった。

結論から言えば、それは素晴らしい機械だった。
何より撮り終えた画像をモニターの光を通してみることは、印画紙に焼かれたものを見るのとは格段の相違があり、立体感、臨場感さえ感じるのだ。
そして再びおわらに挑戦させる気力を呼び覚まし、そして確実に画像は増えていった。
しかし、改めて見返してみると、昼間の画像ばかりである。
銀塩時代のトラウマから、夜の撮影には臆病になっていた。
私は撮影に際して、自分自身で設定したガイドラインを遵守している。

1.ストロボを使用しない。
2.AFイルミネータを使用しない。(被写体を赤く照らしてしまう。)
3.三脚を使用しない。

実際このガイドラインに沿って、おわらの夜の写真を撮影しようとするのは、困難を極める。
それがわかっているから諦めてもいたのだ。
しかし、夜の画像がない、というのは、画竜点睛を欠く、というか、何か満たされない思いを残すものだ。
そこで2年前、駄目で当たり前(と、いってしまったら甚だ失礼か?)と、携帯電話のカメラで夜の諏訪町本通りの撮影を試みた。
パソコンに落として見たそれはノイズが荒く、シャープさにも欠けた、まるで靄の中のような景色を映し出していた。
どう見てもこれは「写真」ではない。
だがその画像を見れば、私の中で立ち並ぶぼんぼりによって二段の坂がくっきりと縁取られ、闇の中で浮かんでいるような、夜の諏訪町本通りがありありと蘇ってくるのだ。
「これでいいじゃないか!」
そして昨年、ついにおたや階段下で、それこそ何年振りかの夜の踊りを撮ったのである。
コンパクトデジカメで撮ったその画像は、携帯電話のカメラほどではないにしろ、やはりノイズで荒れ、開放で撮るためシャープさに欠け、加えて手ブレも起こしている、という有様で、まだまだ「偽造」の域を出ない代物であった。
しかし、私自身は
「これでいいじゃないか!」
目標とするところは「写真」であっても、客観的評価をも意識した「見えるがままに撮る!」という呪縛から解放され、ただただ自己満足のための「撮れるがままに撮る!」道もあることに、今更ながら気づいたのだ。
そして今年、そんな自己満足画像を増やすためにレンズを用意し、撮影に臨み、撮れたものを公表したのである。

結局、「見えるがままに撮る!」ことは未だに実現出来ていない。
だから、現時点で「写真」におわらの素晴らしさを語らせることもまた、叶わないのだ。

こうして「八尾にて」は、単なる時系列によるおわらの記録としてのみ成立するにとどまり、あたかも掲示板に掲示されたあの日程表の如くに剥がれ、時とともに忘れ去られていくであろう。
それもまた可なり・・・

来年また、新しい日程表が貼られるように、「八尾にて」は再生するであろう。
その時、おわらの素晴らしさ、そして私自身が受けた感動を伝えることが出来るか、今後の課題としていこうと考えている。

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2007.09 八尾にて 21

2007年09月28日 | 風の盆

9月4日、8:30起床。
町名の入ったぼんぼりはすべて片付けられ、合同の坂や柳清水、原蚕の坂などにある町名のないぼんぼりだけが、おわらの名残を止めている。
毎年のことだが、各町内のぼんぼりの片付ける早さといったらない。
鏡町の日程表にも6:00後片付け、とあるように、私が眠りについた頃にはもう片付けてしまい、普段の町にと戻ってしまっているのだ。
その素早さが悲しい。
わずか3時間前のことなのに、おわらは私の前から遠ざかってしまい、余韻を味わおうとさ迷っても、すでにそこには何も残っていないのだ。
否が応でも現実に引き戻されてしまう瞬間。
そして私にも八尾を離れなければならない時が訪れる。

車内を片付け、10:00、車を発進させる。
私はいつも、敢えて町中の道を選んで走る。
町中の様子を目に焼き付けるために、ゆっくりと。
鏡町・西町・今町・下新町・天満町・・・
そしてお決まりの「JAあおば」のガソリンスタンドで給油が済めば、後は遠ざかってゆくばかりの八尾の風景。
私は調子を取り戻したカーステレオのスイッチを入れる。

八尾坂道別れてくれば 露か時雨かオワラはらはらと・・・

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2007.09 八尾にて 20

2007年09月27日 | 風の盆

25:15、鏡町の一団は公民館を出発する。
例のごとく隊列?の最後尾に付いて歩く。
合同の坂を横切り、柳清水に入っていったとき、私は隊列?を前から迎えるべく先回りをした。
合同の坂を上り中央通りを右に進み、祐教寺前で右折し柳清水の突き当たりの所で待ちかまえる。
今年も最後という思いから、どうしても、そしてどんな出来でも、とにかく写真を撮りたいという衝動に駆られた。

Yatsuo2007091152 Yatsuo2007091153Yatsuo2007091154

曳山会館前で休憩中、蔵並通りの脇で待機し、再開を待つ。

Yatsuo200709116Yatsuo200709117



そして、再び列の最後尾に付いていく。

Yatsuo200709118

諏訪町本通りを進んでゆく。
振り返ってみた。
鳴くなこおろぎ 淋しゅうてならぬ・・・

Yatsuo200709119

まさに今の気持ちだ。

前二日と同じ道筋を進んでいく。
もう写真は必要ない。
今年最後の瞬間までしっかりと見るのだ。見とどけるのだ・・・


浮いたか瓢箪軽そに流れる 行き先ぁ知らねどあの身になりたや


29:25、そして今年のおわらは終わった。

つづく

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2007.09 八尾にて 19

2007年09月26日 | 風の盆

集合時間が過ぎても雨は一向に止む気配を見せない。
放送予定時間も過ぎてもなお降り続いている。
早くから中継車を入れて準備をしていたKNB(北日本放送)のテレビクルーも、結局無駄骨になったしまっただろうか。

19:00少し前、雨が止んだので急いでおたや階段下へ向かうと、雨にも負けず、いつもと同じように人で埋まっている。
どうやらこれから踊りを披露するようだ。
鏡町の総代がアナウンスを始める。
雨が降れば途中でも中止にさせていただくとのコメント。
雨が降らないことを祈るばかりだ。
このまま雨が続き、完全に中止となってしまうと、なんとも消化不良を起こしてしまいそうだ。
19:00、踊りが始まる。

ちゃんと踊る子、ただ歩いている子、自分なりに一所懸命に踊る子・・・
その無邪気な様子は観客の笑いを誘う。
しかし無情にも再び雨が降り出し、中止が宣言された。
こんな状況でやきもきしていても仕方がないので、雨が止むことを念じつつ、引き揚げることとした。
その後踊りが行われたかは知らない。

訪れたすべての人の思いが通じたか雨は上がり、23:00、おたや階段下での踊りを見るべく向かった。
そして23:30、最後の踊りが始まった。

Yatsuo200709113Yatsuo200709114Yatsuo200709115



あとは夜の町流しを残すばかりだ。

つづく

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2007.09 八尾にて 18

2007年09月25日 | 風の盆

9月3日、9:00起床。
いよいよおわらも最終日である。
今日は1日、2日より天気が良く、三日間で一番暑くなりそうだ。
本日の鏡町の予定は、18:00公民館集合、18:20おたや階段下輪踊り(KNB撮影)となっている。
(17:50頃からのニュースで取り上げられるらしい。)
最終日は毎年のことだが、昼間には何も行われず、かと言って車の中は暑くていられないので、どうせ暑いのならと町中へ出て写真を撮ることにしている。
洗顔や車内の片付け、今日着る服の準備等を済ませ、11:00、町中へと向かった。

最初は諏訪町本通り

Yatsuo200709107Yatsuo200709108Yatsuo200709109Yatsuo200709110

西町へ

Yatsuo2007091113

宮田旅館さんの前でしばしの休息

Yatsuo2007091112

前二日が比較的涼しかったので、今日の暑さが身に応える。
なので東町の「ふらっと館」へ行って涼んでこようと考えた。
建物の中に入ると人は少ない。
本日のおわらは夜だけのため、このお昼の時間帯から夜のためにスタンバイしている人は、あまりいないということだ。
4人掛けのテーブルのひとつを占領出来るほどである。
壁に掛けられたモニターでは前夜祭の様子が流れていた。
それを見たり、テーブルに伏してうとうとしたりして、2時間が過ぎた。
今日は朝から何も食べていないので、涼しさに後ろ髪を引かれながらも食欲には勝てず、何か買って車で食べようと考えた。
「何か買って」と書いたが、実はもう決まっている。
「ふらっと館」を出て左に進み、少し歩いて道の右側の駐車場(元のオレンジマート東町店さんの駐車場)を横切ると、その正面にあるのが西町の「たこやきしみず」さんである。
私はたこ焼きが大好きで、家でも自家製たこ焼きを夕食にするくらいである。
ここ何年かは必ずここのたこ焼きを食べている。今回は今日が初めてだが、多い年では期間中、9皿購入したことがある。
今日は2皿頂いていく。


時は流れ、集合時間が近づいてきた。
その時、八尾は突然の雨に見舞われた。

つづく

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