いっぷくしょまいかいね

いっぷくしてから それからまた やろまいかいね

おわら歌碑めぐり 5

2009年10月19日 | 風の盆

Kahi005



2009年8月30日撮影

八尾よいとこおわらの本場
二百十日をオワラ出て踊る

紫洋 渡辺常太郎(しよう わたなべつねたろう)


かつて卑俗な唄が多かったおわら節。
大正の初め頃、そんな唄を歌いながら昼夜の別なく町中を練り歩く、というのは安眠妨害・風俗壊乱、だということで警察が厳しく取り締まり、実際、風の盆で三味線を折られたり、逮捕拘留されたりする者がいたそうである。
しかし、後に小杉放庵も賞賛しているように、おわら節自体の調子は大変素晴らしいので、どうにかして歌詞を改良しようとして、大正九年、組織されたのが「おわら節研究会」である。
その設立発起人の中に「粋町長」と云われた橋爪秀太郎と、助役であった渡辺常太郎がいた。
「中興の祖」川崎順二が「越中八尾民謡おわら保存会」を結成する9年前のことである。

新作の歌詞には予め「教育、産業、衛生」などの題が課されていたようで、あまりにも道徳的であることから面白くないものが多く、今日まで歌い継がれているものはほとんどないらしい。
しかし、彼らの活動が後の「保存会」の活動に先鞭を着けることになったことは確かであろう。


この歌碑は「3」の歌碑を目指しているときに通り過ぎた元の町役場(現・八尾総合行政センター)の建物の前にある。
私が訪れたこの日は、(自民党が歴史的大敗を喫した)衆議院議員選挙の当日で、一角に設けられた投票所を訪れる人々の姿が目立っていた。

町の助役を務めた方の唄がここの歌碑に刻まれていることは、やはり大変に相応しいことである。

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