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チャレンジ

楽しく、自然体で生活しながら、チャレンジし、感じ続ける記録です。

美人になる

2009-09-19 03:32:30 | 身近な出来事
最近気になることがある。それは感情が顔にでること。

嬉しい表情がでるのはよいとして、そうではない嫌な感情が顔に出ていることが気にかかっている。嫌な顔とは具体的にはあきれている顔やいらいらしている顔。

あきれることや、いらいらする感情も私の中ではよしとしていないところがある。だからそんな感情が表情にまででてくると、そんな私を情けなく感じる。

たぶん、いい格好をしたいのか、それとも本質的に高品質な人間になりたいと思っているのかのどちらか。いい格好が本質的な高品質か、その答えがはっきりとわからない、自分のことなのにわからないのも不思議。

わからないと思い込んでいる、または思い込もうとしている、もしくは答えを出すのを先延ばしにしているのか、考えるとどんどん深みにはまっていく。

誰かが答えを出してくれて、「あなたはこうしなさい!」と言われることを待っていて、そして言われたらすぐその通りするかもしれない。

なんなのだろう、わからないことがどんどん増えていく。

あ、でも今ふっとでてきたものがある。

それは「美」。美しいのがいい。美しいところに自分自身を近づけたい。そんな感情がふっとでてきた。
自然でいて美しい。そんなものにすごく惹かれる。

「美」の価値観は絶対的なものでないと思うから、私自身が美しいと思う「美」に私自身を近づけたいのだと思う。

美人になりたいんだな。今の私は。
いや、ただ美人が好きなだけかな。

今週月曜日にフランクフルトモーターショーのプレスデーに行った。海外のモーターショーは久しぶりだったこともあってわくわくどきどきする感情があったのも事実。さらに会場に行って、以前は見ることのなかったたくさんのコンパニオンにどきどきした。この国の、いやヨーロッパ中の美人を集めてきたようだった。

会場には自動車ジャーナリストだけでなく、そんな美人目当てもジャーナリストもいるようで、車そっちのけで美人ばかりにフォーカスして写真をとっている人もいた。
私もそうしてもよいなと思ったけれど、日本男児としてのほこりのようなものがそうはさせてくれない。美人の背景に少しでも車を入れる。「俺は車の写真をとるついでに、そこにいる女性をとっているんだ!」みたいに誰にも質問されないのに答えを準備している。
本当は車よりも美人に心を惹かれているのは隠しようのない事実。

家に帰り、どんな風に美人が撮れているのかワクワクしながら大きな画面で見てみた。

おやおや、あれあれ、こんなはずではなかったのに。

写真はしっかり撮れている。でも、どうもモーターショーの会場で見た時とは少し違う感じがする。

うん。「美人は旬のもの。華やかでいる時間はきっと短いんだ。」と自分自身を納得させる。

これからおきること

2009-09-13 15:51:45 | 身近な出来事
学校の校庭を犬と散歩をしている時におきたことだった。

校庭といっても普通にイメージするようなサイズではなくとても大きい。何の目的かはわからない2000m以上もある直線の舗装路がここにはある。

空から空気を切り裂くような音が聞こえ、空を見上げるとそこには見慣れない飛行機が超低空で飛んでいた。そして一度私の見えるところから消えると、今度は舗装路に向かって飛んできているところが見えた。

ここに着陸しようとしている。
ここは空港の滑走路のような役目をするんだ。
期待は高度を下げ舗装路に迫ってくる。

ただ、ここには今着陸しようとしている機体を出迎えるようなものは誰もいないし、だいいちここは校庭だから、機体が着陸したあとに何ができるのか、何がおきるのかが全く想像がつかない。

機体はさらに舗装路に近づき、その姿がはっきりと見えるようになってきた。長さはたぶん40mくらい。旅客機だとしたら少し小さめのサイズ。

胴体が丸くはなく、角はないものの立方体の形状をしている。
旅客機のような長い翼はついておらず、戦闘機のような小ぶりの翼がついている。そしてエンジンは羽の下ではなく、後方についているようだ。

奇妙なことに気がついた。この機体は着陸だというのに着陸用の車輪を下ろしていない。足が出ない状態で強制着陸を行おうとしているようだ。

機体は高度を下げ車輪があれば地上についている状態まで降りている。そしてそれは私の目の前をまさに通過しようとしている。機体の姿がはっきり見えた。
機体は全体が銀色をしている。きらきら輝くような銀ではないけれど、金属を感じさせる銀色。そして中央部には赤と青の塗装部分がある。そしてそこには『CTC』という文字。

私がこれまで見た中でもっともこの機体に近いものはスペースシャトル。
でもサイズは一回り小さいように見えるし、機体のカラーリングや後方のエンジンの形状も少し違うように見える。
いやエンジンは後方にはついていない。エンジンがついていればそこに見えるべき熱による空気のゆがみが機体後方に見えない。機体はエンジンではない推進方法で飛んでいると感じた。
その時に、スペースシャトルのような機体から聞こえてくる音はエンジン音ではなく、空気を切り裂く音だけだと気がついた。

機体は私の目の前を通過した後も地面すれすれのところを飛行していた。そして舗装路の端に近づいていく。
舗装路の先には校舎が建っており、このままではぶつかると思った瞬間、機体は斜め上方に円弧を描くようなルートで上昇し校舎すれすれに飛んでいった。

これまでに見たことがないような飛行方法。

機体はそのまま校庭の東の方向にある山の方へと飛んでいった。
私は今目の前で見たものがなんだかわからず呆然とその場に立っていた。

大きなサイレンの音で我に返った。
校庭の切れ間から見える道路を校庭のほうに向かって一台の大型SUVがサイレンを鳴らしながら走ってくる。

我に返った私は、混乱した頭で今見たものがなんなのかを考えながら、どこに向かうともなく歩き始めた。と、その瞬間一人の大きな男が私の前に現れた。その男は白のポロシャツと紺の長いパンツをはいていた。どこにでもいるような男性。ただ、その服の印象から瞬間的にアメリカ人だと感じた。この男がかぶっていた白い野球帽も、私が彼をアメリカ人だとた感じた理由であった。

彼は英語で質問をしてきた。
彼の英語を聞きながら、彼がアメリカ人だと思った私の直感が正しいことを感じていた。
質問はシンプルなのもので、「あなたはここで何を見たのか?」と尋ねている。

注意してみると彼のポロシャツの左胸にはCTCという文字がグレーの斜字体でプリントされている。先ほどの機体にあった文字と同じもの。字体も同じだった。

私は瞬間的に見てはいけないものを見てしまったと感じた。私の身に何かの危険が迫っていることを感じた。そしてこの男は私に無邪気に質問をしているのではなく、私が見た何かのことを知っていて、その上で私に何らかの意図をもって質問していることを感じた。

私の頭は身に迫る危険を避けるための方法を、恐怖からの逃亡を思考していた。それと同時にこの瞬間をとても楽しみ、何かチャレンジをしてやろうと、何をやってやろうかと考えていた。

次の瞬間私は「機体に書かれていたCTCというのは何なのか?」「なぜあなたの胸にも同じ文字が書かれているのか?」と質問をしていた。
その質問で男の目つきが変わったことを感じた。

男は左を見た。そこにはアジア系の男性がたっていた。いつからそこにいたのか、私は全く彼の存在に気がついていなかった。私は彼を見た。彼は日本人だと直感的に感じた。細身の男性で背が高い。私の目の前にいるアメリカ人ほどではないにしても日本人としてはかなり背が高い男性であった。
彼は右手にアタッシュケースのようなものをかかえていた。私の言葉を聞いてアメリカ人が彼に何か合図を送ったようで、日本人はアタッシュケースを開けてそこから何かを取り出してきた。

それは注射器だった。中には黄色い液体が入っている。

私は気づいていた。私は見てはいけないものを見てしまい、そのために何かの処理を受けようとしていることを。殺そうとしているのではないと感じていたものの、この黄色い液体が体の中に入ると、その後は少なくともさっきこの校庭で見たスペースシャトルのような機体のことや、そして今私の前に立っているアメリカ人と日本人のことも記憶から消え去っているのだろう。そして黄色い液体の注射をうたれたことも。

だまってそんなことはさせない。私のやることは決まっていた。逃げるだけ。

私は恐怖のような顔を浮かべた。それを見たアメリカ人は「観念したな」という微笑を口元に見せた。これらは一瞬の間に起きたこと、そして次の瞬間に私は手に持っていた犬の縄を放し、それと同時に右方向に走り始めた。

しかし私はすぐに日本人男性に手をつかまれた。彼らから逃げられると思ったのに、こんなにすぐに捕まえられることにがっかりした。捕まえられた恐怖心はなく、捕まったのは日ごろの運動不足のせいだろうと思い、そのことを悔やみ、これからはまじめにランニングをしようと思った。

男は黄色い液体の入った注射器を私のほうに向けてきた。さっき見たのもよりも注射器が太くなっていた。私が逃げたために大きなものに変更する理由ができたのかもしれない。これを打たれると死んでしまうのかもしれないと初めて思った。
そしてそんなことはさせないと私の中で始めて闘争心が沸いた。

その後何がおきたのかは正確に覚えていない。
ただ、私が放ったキックが彼の急所を確実に捉えたようだ。彼は倒れながら誤って黄色い液体を自分の方に吹き付けていた。

私は一目散に逃げた。幸いアメリカ人は追ってこなかった。

ここまでくれば安心というところに逃げたところで、私は近くにあった石のオブジェのようなものに腰掛けて考えていた。

地球人よりももっと進んだ地球外の文明とのコミュニケーションには何が必要なんだろう。私が学んだ1:1のコーチングやグループコーチングの知識やスキルがどれくらい役に立つんだろう。宇宙人とのコミュニケーションを考えたら、地球人どうしのコミュニケーションははるかに私にとってわかりやすいものだろうなと。

長くて鮮明な夢だった。

夏の日の一日

2009-08-23 21:43:16 | 身近な出来事
衆議院銀選挙の在外選挙の投票に行った。ここデュッセルドルフでは領事館で投票が実施された。

投票は8月19日(水曜日)から行われていて、今日8月23日(日曜日)が投票最終日だった。混雑はしないだろうと思いつつも、そのために時間が取られるのが嫌だったので、朝9時半の開始直後に投票に行った。
投票所につくと予想外にたくさんの人がいる。領事館の会議室を使った投票所なので、とても狭い部屋ということもあるけれど、そこに10人近くの人がいた。

でもよく見てみると、そのうちの8人くらいは投票所の運営をしている人達。間違いがあってはいけないことだから人手がかかるというのもわかる。でも、こんなに人数がいるのだろうかと疑問に感じた。

新聞で読んだ今回の衆議院選挙にかかる費用のことを思い出そうとした。すごい金額だと感じた記憶はあるものの数字はでてこない。デュッセルドルフで在外選挙登録を行っている人がどれくらいいるのか知らない。でもこんな感じで海外の投票所を運営している様子を見ると、選挙にお金がかかるということには納得がいった。もちろん使われているお金が全て本当に必要なお金なのかは私はわからないし調べるつもりもないけれど。

選挙の後はジムにトレーニングに行った。日曜日の朝のジムは人が多い。日曜午前中のジムの特徴か、フリーウエイトでトレーニングをしている人を除けば、平日のジムのように気合が入っている人は多くはいない。新聞を読みながら背筋のトレーニングをしている人もいれば、テレビに熱中してトレーニングを忘れてしまった人もいる。私もいつも通り、適度に気合をいれながらトレーニングをする。

ただ、今朝は少し体が疲れていることを感じる。
昨日は予定が盛りだくさんの日だったからその疲れが残っているのかもしれない。

昨日は朝一番にフランクフルト空港に友人夫婦に会いにいった。夏休みをギリシャに旅行し、フランクフルトで乗り継いで成田に帰るまでの4時間ほど会う約束をした。
朝6時40分に家をでてフランクフルト空港までの240kmを1時間半で走った。
平均時速160kmは、速度制限の無い区間は200km以上で走り、速度制限の区間も制限速度+20kmくらいでようやく実現できるもの。車は少なかったからほとんどストレスを感じることなく走れたものの、やはり速く走るのは疲れる。
友人夫婦とはフランクフルトの街を3時間ほど散歩した後でわかれた。
フランクフルト空港からデュッセルドルフ空港に帰る道は若干居眠り運転気味で帰った。2度ほど記憶が途切れそうになった場面ももあったが幸い事故をおこすこともなく、1時間40分で帰ってきた。

夕方は2時間ダンス。タンゴの足の運びに新たな発見があった。

ダンスの後は、以前から会いたいと思っていた人に会った。その方とは食事をしながら飲み23時にわかれた。
気分が良かったので、ライン川を越える橋をわたり家の途中の場所まで歩いた。
もうすぐ終わる夏を惜しむかのようにライン川の河畔の岸辺や船上でパーティーが行われてるのが見えた。


フライトのダンスレッスンの際に姿勢を綺麗に見せるために、足の筋肉を少し鍛えたほうがよいと感じたので、

梅雨のち晴れ

2009-06-17 05:15:09 | 身近な出来事
今日も晴れて、曇って、雨が降って、そして晴れた。
青空が見えただけ今日はまだましで、6月に入ってから一日中雨の日が多い。ドイツには梅雨がないはずなのに、まるで梅雨にはいったよう。4月、5月は例年より天気のよい日が多かった。その反動なのか、その時の借りをかえすように天気の悪い日が続く。全ての借りを返すまでこんな天気が続くのならもう6月は絶望的かもしれない。
一年のうちでもっとも昼間の時間が長くて、天気がよければ夜の10時半を過ぎても明るさが残っているというころなのに。

仕事は一日中ばたばた続きだった。処理的な仕事が入ってくるたびに優先順位などは考えずにとにかく次から次へと片付けていくから、レスポンスは高速で、それでいてかなり的確な対応もできっていると思う。何人かに同時に送られたe-mailへの対応は少し他の人に考えてレスポンスをする時間を作ってあげないと、コミュニケーションのタイムラグが生じて逆に非効率が生じるほど。

こんな勢いで全ての仕事が進めばいいのだけれど、じっくりと考えて取り組むような仕事は手付かずのまま放置し続けている。「明日は処理的な仕事は後にまわして、放置している仕事から取り組もう!」と毎晩のように決めるのだけれど、朝パソコンを立ち上げてメールを見た時点で処理モードに変わってしまう。

明日は仕事が終わった後、ドイツ人とフランス人の友人と寿司を食べに行き、その後でドイツのカラオケに行く。
放置している仕事を片付けられると友人との食事やカラオケがとても楽しいだろうから是非片付けていきたい。真剣に取り組めばきっと2時間もあれば片付く仕事だろうから。

天気のせいや、自分以外のいろいろなことのせいにして自分自身の気持ちを落ち込ませたり、やるべきことをやらないのはもうやめにしよう。

明日は晴れてくれるといいな。

半年振りの更新

2009-06-14 19:30:12 | 身近な出来事
前回更新したのが12月で、それから冬が終わり、春が終わり、夏になった。その間におきたことを振り返ってみると、これがおきたあれがおきたといろんなことが思い出される。今思い出す出来事はその渦中にいる時にはすごいことが起きていると感じていたことだから思い出すのだと思うが、振り返ってみればたいしたがないことも多い。

今は新型インフルエンザの渦中にいる。デュッセルドルフ日本人小学校での集団感染が見つかり、当地の日本人社会はまだ全体像が見えない世界の中で、やり場のない不安を抱えている。日々増え続ける感染者数、数がどれだけになったのかインターネットで確認をする。選挙速報の当選者確実情報を調べているような感覚。両者の違いは、いろいろあるけれど終わりが決まっていないことが大きな違いかもしれない。インフルエンザの感染については今の状況は始まりであって、当地の日本人社会で感染がピークを越えた後も、世界のいろいろな場所で感染が拡大していくのだろう。何しろ『パンデミック』なのだから。

私はといえば、家族に感染者が出ているわけでもないし、組織の中にも感染者がでているわけでもないので、たんたんとしている。いや仮に私が感染者になったとしても私のありかたには大きな変化はないと思う。私自身が感染者になったからといって積極的に感染を望んでいたのでなければ、感染はやむをえないことであって、誰からもせめられるものでもない。責められたとしてもそんなことは私の知ったことではない。仕事にでかけられないからしばらくは在宅勤務になる。熱がでていなければメールを見ながら仕事をするだろうし、身体の調子が悪ければ仕事のことなどほって置いて身体を休ませる。

ただ、来週末までは感染したくない。木曜日からParisでコーチングのワークショップに出て仲間と再会が予定されているから。いや、よく考えたらその次の週末には日本から先輩夫婦が訪ねてきて楽しいお酒と食事を楽しむ日々が控えている。それが済んだらその次の週にはロンドンに行って、その翌週には仕事の来客がありヨーロッパ内の10日程度の出張もあった。どうやらインルエンザに罹るのは避けておいたほうがよさそうな感じだ。

昨日台所の棚の上部を掃除していて、誤って1メートルくらいの高さから背中むけに落ちた。踏み台にしていた椅子からテーブルの上にあがって作業をしていて、少しバランスが崩れテーブルから足が離れた。身体が落下していく時にテーブルの下にある椅子に足を置くべきか悩んだけれど、ここに足をおいた時に、いすがその反動で動くとさらに悲惨な状況になりそうだったので、椅子には足をおかず台所の床に左足からおりた。
身体も足も伸びきった状態だったので、左足のかかとに衝撃が直接伝わり、そのあと身体が地面に倒れるまでに右手で床をつき、頭が直接床にあたらないよう背中で衝撃を吸収した。

一瞬の出来事だったけれど、その中では最善の選択をしたのかもしれない。左足のかかと、右手首、背中は今日は打撲による後遺症があるものの、どれも骨には異常がなさそう。頭もたぶんひどくは打たなかったのだろう、今のところ極めて正常。
次からは落下も想定してその予防策を考えて作業をすることにする。

村上春樹の『1Q84』を先週読んだ。まだ、私の中に強い余韻が残っている。


伝説のSMAPの元リーダー

2008-12-24 16:42:38 | 身近な出来事
SMAPのメンバーと一緒に海にやってきた。この季節は風が強いために海は荒れていると思っていた。たしかに沖のほうに目をやると見渡す限り白波がたっている。
でも私達が立っている砂浜の近くの波はとても静かだ。この海岸は遠浅になっているためだろう。
潮が満ちてくる時間が近づいているのか、我々がここについてからまだあまり時間がたっていないのに、波がどんどん砂浜の奥のほうまでやってくる。

SMAPとは特別親しいわけではない。
我々の関係というか、私からの一方的な関係というほうが正しい。以前日本人のコーラスグループで『夜空のムコウ』を歌った。それ以降カラオケでもこの歌を定番のように歌うし、車の中で時々SMAPの音楽を聴いている。『ライオンハート』は車のなかでよく歌っている。この季節に似合う曲だと思っている。

なぜこうなったのかわわからないけれど、とにかくSMAPと一緒にこの海岸にきている。SMAPのメンバーと波が引いた時には、その波が最もひいた場所まで走っていき波を眺める。そして波がよせてくると、潮で足元が濡れない場所に波と競争をしながら引き返してくる。

同じことの繰り返しをどれだけしただろう。波の押し寄せてくる量が多くそしてより浜辺の奥にまで入ってくるようになって、私もSMAPのメンバーも次第に波に足をとられるようになり、ズボンのすそといわず腰の近くまでずぶ濡れになり、濡れた部分の色が変わっている。

気がつくと遊びつかれて砂浜の手前にある防波堤に座ってこちらを眺めているメンバーもいる。
防波堤の向こうには、10階建てくらいの高さのある茶色とグレーの外壁を持った洋風の建物がある。歴史を感じさせる建物。この建物がなんのなのかは判らない。壁に多くの窓があるのでアパートかもしれない。でも窓は一つもあいていないし人の気配もしない。不思議な建物。

この建物の上には塔のようなものが立っている。波打ち際で遊んでいるときに次第に光の気配を感じるようになっていた。立ち止まって光の気配のするほうを眺めてみると、光は洋風の建物の上にある塔からやってきていた。
この建物と塔の写真を撮りたくなって、打ち寄せてくる波を気にせずにその場所でカメラを構えた。カメラに映し出される建物と塔の姿もとても美しい。

気がつくと波打ち際には私ひとりしかいなかった。SMAPのメンバーは皆防波堤に座っているのが見える。私も波打ち際から砂浜を通り越して防波堤に戻った。

防波堤にはSMAPのメンバーのほかにファンらしい人たちがいた。ここにきていることは誰にも伝えていないのに、波打ち際でおおはしゃぎをしている姿が目立ったのか我々の存在はこの海岸に来ていた人たちは皆しっていたようだ。

ファンはSMAPのメンバーの写真をとっている。SMAPのメンバーは特別なポ-ズをとるわけでもなく、自然な姿でファンが構えるカメラに収まっていた。

「すみません」と突然声をかけられた。

私が振り向くと1人の男性がたっていた。「私ですか?」と自分のほうを指差しながらこたえると、「ええ、そです」という返事。
とっさに私はSMAPのメンバーと写真を撮りたいのでシャッターを押してくださいというお願いだと思った。面倒くさいなという気持ちもあったが断る理由もない。

でも男性はとんでもないことを言ってきた。
「あなたはその存在が伝説になっているSMAPの元リーダーですよね?」
「あなたが波打ち際に1人で立って写真を撮っている姿を見て、それを確信したんです。私と一緒に写真をとってくれませんか?」

「伝説のSMAPの元リーダー?」「確信した?」男性の言っていることは全て理解できるものの、それが私自身とに結びつかない。SMAPに伝説のリーダーがいたなんてことも聞いたことがない。でも悪い気はしない。一人一人がとても個性的で、また一人一人がとても成功しているSMAPのリーダー、元リーダーであったとしても伝説になっているんだからきっとすごい人だったんだと思う。そんな人に間違えられるのは光栄なこと。

光の存在を再び感じた。そちらの方向を見るとさっきの洋風の建物の上に建っている塔が再び光を放っていた。



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ここに書かれている内容は私が夢の中でみたことであり、現実世界の話ではありません。

投資回収型コミットメント

2008-12-03 23:43:36 | 身近な出来事
「継続は力なり」ではなくて「力になるまで継続する」というのが、前の組織のトップがいつも言っていた言葉だった。

この言葉には逆転の発想があり、それが正しいかどうかわからなくても、とにかく続けてみること、続けてみるとその本質が見えてくるし、そして続けていることで力がついてくるという意味だと私は思っている。

この逆転の発想に似たもので、『コミットメント』と『とにかくやってみること』との間に私にとっての新しい関係性を見出した。

私の場合最初にコミットメントがあって、それをベースにしてとにかくやってみるという思考パターン&行動パターンがある。コミットメントが先に来て、それで私自身のモチベーションをコントロールし行動を起こすパターンがあった。

この私自身のコントロールのしかたがあってのことだと思うが、私以外の人に対してもコミットメントをまず最初に求めていた気がする。

相手に対して「信じるのか、信じないのか まず決めてくれ!」とナイフを突きつけて、そして「信じる」といってもらうことをまず求めていた。
そして「信じる」というところで私とその人とでコミットメントの共有ができ、あとはそれをゆるぎないものとして実際の行動に移るというパターン。

先に決めて、それをエネルギーにして行動を起こすパターン。

私の、『コミットメント』と『とにかくやってみること』についてのとてもホットな発見は、「信じるか、信じないかは重要ではない」、「信じなくてもとにかく始めてみればいい」そして「やっていることにエネルギーや時間をかければかけるほど、コミットメントは勝手に高まってくる」というもの。

これに気がついたのは英語学校の宿題をやっていた時のこと。

「なんでこんな宿題をやらないといけないんだ」と不満を持ちながら宿題をしていた。量が多いから時間がかかり、なかなか終わりが見えないときには不満がとても強い。「もう勉強に行くのはやめてやる」とか、「あの先生の教え方はいまいちだ」とかいろんな不満に意識がいき、不満ばかりが出てくる。コミットメントはどこにもない。

それが、宿題が進み、終わりが見えてくると次第に気持ちが変わってくる。「ここまで時間をかけて宿題をやったのだから、私自身の役に立てたい、私の力を高めたい」というように気持ちが変わってくる。英語学習に対するコミットメントが高まってくる。『投資回収型コミットメント』と呼ぶのか、または『不満足から満足への転換型コミットメント』と呼ぶのか、いずれにしても最初にコミットメントがあるかどうかは全く重要ではない。

このことに気がついて自分自身がすごく楽になった気がする。私自身の気負いがなくなるような気がするし、私が接する人に対してもう少しリラックスした対応がとれるようになると思う。

『学びはいろんなところにある』ということも改めて気がついた。

ウインクの練習

2008-12-02 23:42:57 | 身近な出来事
毎週火曜日にアントワープにやってきた時にかかせないことは食料品の買い物。アパートの近くにある小さなカルフールに買い物にいく。

買い物をするものはだいたい決まっている。
今日の買い物はレタスを中心としたカット野菜、みかん、2種類のチーズ、ヨーグルト、ベーコン、牛ミンチ、ワイン、パン。 ここまでは定番の買い物。
食べ物の好き嫌いがあることもさることながら、料理を真剣にするつもりがないから立派なキッチンがあるのに、調味料、調理道具、お皿などがほとんどないこともその理由。

毎日15分以内でできる食事を作って、ワインかベルギービールを飲みながらひとりで食事をする。以前は毎日外食にでて美味しいベルギーの料理や日本食を食べていたけれど、ある時から外に食事にいくことがおっくうになって簡単食事生活が始まった。 

ただ、今日はいつも買わないフォワグラを買った。買い物をしながらフォワグラをバゲットにつけて食べる瞬間を想像し、その味を想像しウキウキした。

今日のレジはとても魅力的な女性。カルフールのさえない緑と白の制服もなんとなくお洒落に見えないこともない。

私のレジの番になると、まず目を合わせてウインクをするところからレジが始まった。シャイな人が多いベルギーではなかなかない体験。慌ててこちらも左目のウインクを返そうとしたが、鼻も口も左につりあがり、とても不自然なウインクになった。

次の機会に向けてウインクの練習をしようと心に決め、帰り道はウインクをしながら帰った。少し小雨が降っていたし、誰も見ていなかったと思う。

カッコいいウインクができるようにないたいな。

毎週お決まりの買い物が少し鮮やかなカラーになった。

コーラスの本番に向けて

2008-12-01 23:15:02 | 身近な出来事
今週日曜日12月7日はドイツの教会で、ドイツ人コーラスグループに招かれて歌を歌いにいく。"O Holy Night"他ドイツ語、英語、日本語の歌全5曲を日本人のコーラスグループで歌う。

11月からは毎週月曜日に2時間の練習をしてきた。週末の個人のボイストレーニングでも折に触れ練習を重ねてきた。
でも、すぐに旋律を忘れてしまう。

主旋律を歌うときは問題がないんだけれど、そうでないときは主旋律を歌うソプラノと私のパートであるテナーをいったりきたりしてしまう。
一度歌うとしっかりと私のパートを歌えるンだけれど、一回目がどうもうまくいかない。本番では一発勝負なのでどうなることか心配。

おまけに"O Holy Night"は私だけが主旋律を歌うことになっていて、加えて3番目の歌詞の最後は高音シを出すのだが、これがほとんどうまくいかず、音をはずしてしまうか、音がでないかのどちらか。

かなり深刻。
絶対音感は当然ないし、楽譜もまともに読めないから不安定感がもともとあるのに加えて「この音が綺麗にだせるだろうか」という不安と「みんなに迷惑をかけてはいけない」というプレゥシャーからますます声の柔軟性を失い、高音を出せなくなってしまっている。

練習するしかないな。
アントワープのアパートで1人で練習をしよう。

コーチ、コアクティブな存在

2008-11-30 16:45:11 | 身近な出来事
アントワープからデュッセルドルフに帰る車の中でコーチング資格試験時の教材であったコーチングのオーディオライブラリーを聞いた。

久しぶりに聞くオーディライブラリーにはとても新鮮な感覚を受けた。過去に聞いた回数は10回はくだらないと思うけれど、忘れていたことを思い出したり、以前何度も聞いているはずなのに始めて聞くように思える内容もあったりでとても興味深かった。

内容に加えて、オーディオライブラリーで語っているコーチにもすごく好奇心が向いていることを感じた。とても深い愛情、揺るがない感覚、人を安全でかつ勇気づけるエネルギー、これらのコーチがコーチングのワークショップで出しているそんないろいろなものをオーディオライブラリーからも感じた。
ワークショップ以外の場所で会うと、ユニークで面白い人達という感じなのに、伝える場面になるとなにかが乗り移ったようにすごくエネルギーレベルが高まっているように感じる。声を聞いていると、オーディオライブラリーの内容から離れて、お会いした時に聞かせていただいた話も思い出されてきた。

私の中のコーチとしてのあり方、コアクティブな存在が反応を始めた気がした。

パートナーとつくるダンス

2008-11-29 23:30:46 | 身近な出来事
思ったように踊れない。
ステップを完全にマスターしていないのもよくないが、あせっているのがもっとよくないのだろうと思う。

それがわかっていてもあせってしまう。

フロアには他のメンバーも踊っているから、スペースが開いたところに入っていこうとして、そこに気がとられてダンス自体に十分気持ちが入っていないところもある。

そんな気持ちはパートナーにも伝わる。パートナーはあまり楽しそうにしていない。楽しむというよりは『修行』のようなダンスになっている。

私自身は『楽しむ』ということが大切だど思い、そのように言っているのに、実際のところは『楽しむ』ことよりもいかにかっこよく見せるかという『見栄えがする』にこだわっているように感じる。

ええかっこしーの私には見栄えがとても大切。そこに妥協をすると私が私でなくなってしまう。

見栄えはしっかり保ちながら楽しむことができるといいのだけれど。

私の気負いはダンスの先生にはすべて見透かされている。
先生が時々やってきて私のパートナーと交代をしてダンスをしてくれる。

そんな時の先生のダンスはとても静か。静かだけれど沈んでいない、そこには力強さもあるし、そして何よりも楽しんでいる感覚もある。

これに私も影響をされる。力が抜けて、それとともに気負いも抜ける。
楽しみながらその瞬間瞬間にダンスを先生と一緒に創り出している。

私が求めている人との関係はこのようなコアクティブな関係。

本当のダンスから学べるところはたくさんあるのに、ついつい忘れてしまう。

インプットかアウトプットか

2008-11-27 21:08:23 | 身近な出来事
ドイツ語の授業に間に合うように早めに仕事を切り上げて学校に向った。

学校が近づくにつれ気持ちが暗くなる感じが増してくる。ドイツ語を勉強することが嫌なわけではなく、今の気分のままで3時間ドイツ語の授業を受けるのがとても辛い気がしていた。教室の席に着いてそこでじっとしてインプットを受けるのがとても辛い。

気分転換したい。インプットを得るよりはアウトプットしたい感覚。

そう思うともう学校にはいけなくなった。
学校を通りこしアントワープの家に向かった。
でも家にそのまま帰るわけではなく、駐車場に車を停めてトランクからスポーツバッグを取り出した。

駐車場の上にはスポーツクラブがある。
2週間前にカナダから戻ってきていらいトレーニングができていなかったことも気になっていた。

久しぶりにランニングマシンで走った。
フリーウエイトで胸や肩の筋肉を鍛えた。
マシンを使って腹筋や背中のトレーニングをした。

たくさんアウトプットした感覚。1時間後には心地よい疲労とすっきりした気持ちになった。

ジムから家に歩いて帰る途中にパブが目に付いた。ビールが飲みたくなった。

でも今日はパブに行くのは止めにして家でトラピストビールを楽しむことにした。
今日はアウトプット(さぼり)を選んで正解だった。

思い出のシーン

2008-11-25 23:18:44 | 身近な出来事
ひとりで飲んでいるときによく思い出すシーンがある。

場所は四国の松山。駅の名前は忘れてしまったけれど、とても小さな駅。
そこにくる電車は2両編成くらいの小さな電車。ここから電車に乗って松山港にいくところ。

耳に聞こえてくるのは街の音。道路を走る車のタイヤの音、エンジンの音や排気音も聞こえる。子供のはしゃいでいる声も聞こえる。それらは駅の外からやってくる。いろいろな声は皆とてもおだやかな音をしている。時折駅に電車が近づいてくると「カン、カン、カン、カン」というけたたましい警報機の音が聞こえてくる。駅の近くには踏み切りがあって、その警報機の音が聞こえてくる。

時間は夕方の5時を過ぎたくらい。
駅は混雑はしていない。小さな駅だから電車を待っている人も少しだけしかいない。お年寄りの人がめだつけれど、女子高生のようなグループもいる。気取らない飾らない人たちが多い。

11月の始めの頃だったな。空にはまだ日の光が残っているもの、光はオレンジ色をしていて夕方をかんじさせている。

私の隣には誰もたっていはいない。

誰かと別れてきたことを悲しんでいるわけではないし、誰かに会いに行くことをワクワクしているわけでもない。
今週、そして今日一日をやり遂げたことへの充実感を感じている。一方で、まだまだ不十分な私に対して少しの苛立ちも少し感じている。ただ、これ以上はできなかったたのだからしかたがないという割り切った気持ちが強く私を支配している。

1週間前にはここに立っている予定はなかった。前の週には大阪にいて、そこで松山に行くことが決まった。

終わりであり始まりとなる一日を感じていた。
振り返ったら、その日の私と今の私は繋がっている。そしてその日の私はそれ以前の私と繋がっている。

つながる記憶と記録の中の一場面。とても大切な一場面。

リーダーにとって大切なもの

2008-11-24 23:39:19 | 身近な出来事
リーダーにとって大切なことの一つに相手に自信を持たせることがあると思う。
無いものをあるように言うのではなく。あるものに焦点を当てる。
相手のよいところに焦点をあてて、それをしっかりと見て具体的でポジティブなフィードバックを返す。多少の欠点には目を瞑り、よいところに焦点をあてる。

ポイントになるのは、リーダーは対象となる相手がどこまで真剣に取り組んだのかをしっかり見ること、感じ取ることだと思う。
ここに対しては妥協はしない。アウトプットがよければOKというわけではなく、そこにどれだけの気持ちがこもっているのか、考えがこもっているのか、そうするために真剣に取り組んだのかをしっかりと感じ取る。

相手が真剣にやって出てきた答えならば、たとえ他によい答えがあるとしても、出てきた答えをしっかりと認める。そしてその答えをだすために取り組んだ相手のあり方を認める。

何をやったか、何をいったかという結果にだけとらわれることなく、むしろその源泉となった相手のあり方に焦点をあてて、それに対して必要なフィードバックを返す。
リーダーの言葉はとても思いからフィードバックの言葉に気をつけることが大切。過度な賞賛は必ずしも必要ない。あえて多くを語らないほうが良い場合もある。

ある人が言っていた。うちの上司は仕事の報告をした時に「グッドジョブ!」という言葉が出ればそれでOK。その言葉がいろいろなものを含めて認めてている時にでてくる言葉だということを知っている。

リーダーは相手の理解度、相手との関係を踏まえて言葉を使い分ける。ただその時にも常に安定していること、変わらないこと、ぶれないことがリーダーにとっては大切だと思う。

私の周りのリーダーにはそれがとても上手な人が多い。
今日もそんなリーダーシップにふれる機会があった。

たまたまなんだろう。今日は2種類の360度フィードバックレポートを受け取った。ひとつは日本の組織で採用しているコンピテンシーに照らして日本にいる上司や同僚が行ってくれたフィードバック。もうひとつはヨーロッパの組織で採用しているコンピテンシーに照らして、ヨーロッパにいる上司、同僚、部下や関係者が行ってくれたフィードバック。

内容はまだよく見ていないけれど、きっと面白い結果が出ていると思う。
リーダーについてえらそうに語っている私に、リーダーが持つ大切なものがあるのかどうか、そこに現れていると思う。

等身大の村と自然、そして人

2008-11-22 19:24:28 | 身近な出来事
デュツセルドルフに初雪が降った。



昨年よりも早い初雪。
地球温暖化の影響で、この冬は雪が降らないのかもと心配していたので雪を見て嬉しい気持ちになった。

10月に南ドイツを旅した時にドイツ南端ボーデンゼーの近くでこの冬初めての雪に出会った。先々週のカナダモントリオール空港に降り立ったときに2回目の雪に出会い、今日がこの冬3度目の雪。

今日はベルギーアントワープに同僚の結婚パーティーに参加する日だったので、雪を見て嬉しいと感じるとともに、移動のことが少し気にかかった。
幸い途中オランダで雪に降られ、ベルギーに着くとパーティーの間に大量の雪になったが、行きも帰りも雪に悩まされることは無かった。

結婚パーティーに参加したベルギー人の同僚が、今日は雪も降り、雨にもなり、目の覚めるような青空も広がるとても珍しい天気だったと話していた。新にうまれたカップルを祝福しているのかな?と二人で今日の天気に意味づけをしようとした。

パーティーは日本の披露宴のような位置づけなんだけれど、形式は一般的な日本の披露宴とは随分違う。どちらかと言えば日本の二次会に違い感じ。招待者であるカップルからのお礼の言葉はあったけれど、それ以外の形式的なものは全く無い。

終始カップルやカップルの親族の方、他の参加者同士でお祝いの言葉を掛け合ったり、お互いのことを紹介し知り合ったり、カップルと写真をとったり、とてもリラックスした雰囲気の中で時間が過ぎていく。

アントワープの郊外にある、このレストラン以外には何もないような場所。レストランの雰囲気はいいんだけれど特別なレストランではない。外は雪が降っているということもあるけれど、窓からは何も特別な景色は見えない。

カップルのこだわりは、この場所が新郎の育った村であること。彼の原点がこの村にある。
着飾ったところは何も無い村、ただ自然だけがある。大きくも見せない、小さくも見せない、そんなことには何の意識もいっていない等身大の村と自然。

彼の人柄を感じ、カップルのメッセージを感じた気がする。