ヒーメロス通信


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パリとの再会、小林稔第六詩集『蛇行するセーヌ』(旧天使舎)以心社刊より

2012年08月16日 | 小林稔第6詩集『蛇行するセーヌ』

小林稔第六詩集『蛇行するセーヌ』2003年(旧天使舎)以心社


パリとの再会
小林稔

 


スコットランドの旅から戻り再びロンドンに着いた時、この都会に親

しみがいっそう強く感じられ、このまま滞在したら好きになるだろうと

思った。四月はもうすぐ終わる。一ヶ月のイギリスの旅に終止符を打ち、

パリに戻らなければならない。コート・ダジュールに沿ってイタリアに

抜ける目論見であった。先の旅を思うと心が逸るばかりで、惜しみなが

らもロンドンを去った。ドーバー海峡を渡り列車でパリに向かった。

地下鉄に乗り換え、サン・ミシェル駅から地上に出た。樹木は青々と

した葉を風にそよがせ、通りのカフェでは観光客が色とりどりの服装で、

にぎやかに会話をしている。私の知っているパリではなかった。夏を思

わせるほどの暑い一日であった。冬を越したこの街は、私にとって旅の

寄留地に過ぎなかったのだろうか。それにしてもパリは私に消えること

のない刻印を押してしまったに違いないのだ。ヨーロッパのさまざまな

土地で感じ入ったことが、この街に集約されていた。エジプト、イラン、

モロッコのような異文化でさえ取り込まれてしまっている。屋根裏部屋

を引き払ってしまった今となれば、私も一人の旅行者に過ぎない。カル

チェラタンにある安宿にいく日か居を定めたが、パリは春とともに若返

って、私を再び拒んでいるように感じられた。六ヶ月前の、初対面のパ

リは老いて私の若さを拒んでいた。今は逆にパリの若さと華やかさに拒

まれているのであった。


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